ろくでなし子さんは起訴され、AV強要被害は野放し 日本の欺瞞的な「わいせつ」
■ ろくでなし子さんの芸術活動は、果たして「わいせつ」?
昨年末、最も疑問を感じた二ュースの一つは、ろくでなし子さん逮捕、そして起訴という報道だ。
東京地検は24日、漫画家のろくでなし子さんをわいせつ電磁的記録頒布とわいせつ物陳列の罪で起訴された。
http://www.asahi.com/articles/ASGDS3SVCGDSUTIL013.html
弁護団によると、起訴事実は次の3つだそうだ。
(1)女性器をスキャンした3Dプリンタ用のデータがアップロードされているウェブサイトのURLをメールで送信したこと
(2)同様のデータが入ったCDを送付したこと
(3)北原みのり氏の経営する店舗で、女性器をかたどった模型を展示したこと
これが、刑法175条のわいせつ物頒布等罪違反に当たるというのだ。
これ、ひとつひとつ、構成要件に該当するのか、甚だ疑問というほかなく、つっこみどころは満載である。
そのあたりは弁護団が立派に弁護されることは間違いないであろうから、深く立ち入らない。
しかし、日頃女性の性が抑圧されている日本社会で、果敢に女性を主体とする表現をしてきた、ろくでなし子さんへのこの弾圧・起訴に対し、私も多くの女性とともに憤慨している。このような起訴に大いに異を唱えたいと思う。
ろくでなし子さんの活動といえば、こんな楽しいボートをつくったりしたことが知られる。
http://camp-fire.jp/projects/view/662
このようなことをするろくでなし子さんのこだわりはどこにあるのだろう。
ろくでなし子さんは言っている。
これをみるとわかるように、隠されているからかえっていやらしい、自分自身も忌避してしまい、愛着を持てない、自信が持てない、という悩みから女性たちを解放しようというのが目的であり、わいせつという意図とは180度違うことがわかる。
目的といい、活動といい、健全であり、男性の性欲の対象でなく、女性の視点から自分の身体の主体性を回復しようという動きのように思われる。なぜこれがわいせつとして禁圧されるのだろうか。
■ 納得できないダブルスタンダード
ところで・・・。この話、男性に置き換えてみると、どうなのだろうか。
まず、対象が男性の場合。
みんなが知っている
ダビデ像。
日本にもレプリカがいくつか展示されている。
このダビデ像は、割合リアルな男性器が露出されているが、公然と展示されている。
しかし、これは芸術と言われ、何ら問題とされていない。
日本でレプリカを展示したことを理由に誰かが処罰されたなど聞いたこともない。
ところが同じことが女性器であれば、禁圧され、処罰されるというのはなぜであろう。
3Dプリンタでスキャンしたからダメだというのか。
昔はそういう技術がなかったから、そんなことができなかったわけで、スキャンはできないものの、かなり忠実に模写をしたりして再現した写実的な芸術作品が多かったことは知られている。
いずれも創作の過程がどうだったかという問題に過ぎない。
仕上がりが芸術であれば、等しく表現として扱われ、尊重されるべきであろう。
そのように考えてみると、問題は女性器そのものにあるように見受けられる。
日本の「わいせつ」というものがあくまで男性視点で、男性をみだらな気持ちにさせるか否かによって決まっているようで、女性としては非常に不愉快である。
ろくでなしこさんが「これじゃ、真ん中がかわいそう」と書いている通りだ。
「いや、芸術性の問題だ、ダビデ像は芸術だけどろくでなし子さんは違う」という議論になるのだろうか。
ダビデ像が芸術でろくでなし子さんはわいせつなのか。
刑法には、何ら明確な線引き、合理的な基準と言うものは示されていない。
芸術性が高い、低い、という評価は主観的なものだ。
それを、そもそも芸術の専門化でもなんでもない検察・警察・裁判所によってジャッジされる、ということでいいのか?
一般の市民は、たまたま摘発されたら犯罪者となり、深々と反省し、刑に服さなければならなず、摘発されなければ特に何ら問題はないということになるのか。
すべては検察や裁判所の判断ひとつ(しかも司法コミュニティの多数派は男性によって構成されている)、そんなことでいいのだろうか。
■ 男性視点からの性搾取、「性奴隷」的表現には天国のように寛容。
また、私が「これでは、あまりにもダブルスタンダードだ」と思うのは、男性の視点から女性を性的に商品化するわいせつ表現について、日本があまりにも寛容な国だということだ。
日本では、男性の好むポルノ広告は、電車などパブリックなところも含めて、いたるところに張り巡らされている。
社内にポルノ・ポスターを貼ることは女性の就業環境を害する「セクハラ行為」として認められているのに、公共の場ではそのようなルールは働かない。電車など、公的スペースへのポルノ広告は何らの規制も受けないのだ。
このような性の商品化天国ともいうべき文化は外国では考えられないことであり、外国人はみな大変驚いて、眉をひそめている。
そして、、、、私が以前、こちらのブログ
[AV出演を強要される被害が続出~ http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20140816-00038321/]
でも紹介した通り、
AVに出演強要される被害者
は後をたたないようで、ひどい目にあい続けている。
私のブログ・エントリーがひとつのきっかけになったのか、夏以降、被害者相談窓口には、AV出演強要された、脅迫されて出演した恥ずかしいビデオを回収したい、AVから足を洗いたい、という相談が相次いで、パンク状態だという。
しかし、それでも氷山の一角ではないかと思う。
AVは単に性器そのものというより、性行為そのものを撮影しているのだ。
モザイクさえあれば、別にそれは「わいせつ」ではないという。
そして、いかなる凌辱的行為も、女性の尊厳を傷つける表現もOKとされる。
『AVを強要された』という相談を受けてビデオを見ると、女性が本当に性奴隷のように凌辱されている。
このような人権侵害の過程を映したビデオが「表現の自由」を理由に守られて、被害者が救済されないのは本当にいたたまれない。
私は個別ケースに取り組んでいるが、この問題、昨年の国会で法規制がついに実現した
リベンジ・ポルノ
に続いて、抜本的な対策が急務だと思う。
■ 不均衡な処罰と侮辱
AV、着エロ、ポルノ、若い女性たちが性の商品化の対象となり続け、女性の意に反する表現を強要されても規制や被害救済システムがほとんどない日本。
表現の自由の壁のもとで、深刻な被害事例が後を絶たないのに、救済への壁は厚く、一歩ずつ進むしかない。
そんな、女性たちが「客体」として性を消費され、被害にあってきた日本で、女性の側から、女性の視点から性や性器を表現しようとしたろくでなし子さんの試みが、かくも不均衡な形で、処罰の対象となるのはなぜだろうか。
ろくでなし子さんの勾留理由開示公判では、女性器について彼女が
「まんこ」
と発言するたびに裁判官が叱責したという。
http://www.bengo4.com/topics/2464/
なぜだ? 女性にとって大切な身体部位について、法廷で語ること自体が汚らわしいかのように、禁圧されるのはなぜなのか。
今回のような事件があると、日本は男性中心の曖昧な法制度のなかで、男性権力者の好まない表現が鎮圧され、本当に女性が虐げられ、侮辱されている社会なのではないか、という感想を抱かざるを得ない。
TV等でこの問題が議論されていても、なぜか男性ばかりが声高に発言し、女性は違和感を感じても結局何も言えないという場面に出くわすのも残念だ。
もっと女性たちがこうしたことに声を上げられる社会であってほしい。
女性の身体は女性のもの。
意に反してあらわにされたり、流通したり、性的な消費・搾取・虐待の対象になったり、
自らの決定を理由に貶められたり、糾弾されるようなことなく、
身体への「主権」が回復できる社会にしていきたい。
幸い、保釈されたろくでなし子さんは楽しく裁判を闘うつもりみたいで頼もしい。
この裁判を注目し続け、二度とこのようなことが繰り返されない結論が出されるよう監視していくことが必要だと思う。