裁判員が勝手に現場検証をしたらアウト
「裁判員物語」と題する朝日新聞の連載が話題だ。特に「殺害現場、自分の目で 手震え、足すくむ」と題する記事だ。
自ら現場検証をしたい心情はよく分かる
この記事が取り上げているのは、2014年3月に発生した千葉県の柏市連続通り魔殺傷事件に対する裁判員裁判だ。
通行人1名をナイフで刺殺してバッグを奪い、1名を負傷させ、ほか2名からも財布や乗用車を次々と奪った当時24歳の男。2015年6月に一審の千葉地裁で無期懲役を言い渡されると、閉廷後、「これでまた殺人ができる」「悔しかったら死刑にしてみろ」などと叫んだとされる。
連載記事によると、この事件の裁判を担当していた裁判員の一人が、まだ審理が続いていたさなかの休日に、自ら犯行現場やその周辺を見て回ったという。
現場に行き、自分の目で犯人の行動を一つ一つたどったところ、方向性や距離感、自宅まで数メートルの場所で殺害された被害者の無念さ、通り魔に襲われる恐怖感などを手に取るように実感できたとのことだ。
視覚や聴覚、嗅覚などを使い、現場の客観的な状況などを認識し、把握するもので、まさしく「検証」に当たる行為である上、この裁判員はこれにより現場の状況などに関する様々な事実を認定し、心証を得ている。確かに、警察用語にも「現場百遍」とか「現場百回」といった言葉がある。
裁判員として特異重大事件の審理に携わるなどめったにない機会であり、法廷で示された現場の図面や写真だけでは物足りず、空気感などを含め、自ら現場を見て確かめた上で判断したい、より真相に近づきたい、といった思いに駆られる気持ちもよく分かる。むしろ、こうした心情には、人の人生を左右する裁判に対する真摯さすらうかがえる。
裁判員の負担を軽減する観点から短期間での審理が想定されている裁判員裁判では、公判前整理手続の過程で法廷に提出される証拠が吟味され、絞り込まれ、大胆に振るい落とされているから、なおさらだ。
もし自分が裁判員に選ばれたら、自ら犯行現場に足を運び、直接見聞きした上で判断を下したい、と思う方も多いだろう。
刑事裁判で事実を認定する際のルール
しかし、実はこうした勝手な行動は、違法なものだ。というのも、刑事裁判に関する厳格なルールを定めた刑事訴訟法という法律で、「事実の認定は、証拠による」(317条)と規定されている上、そこで言う「証拠」は裁判で取り調べられたものに限られているからだ。
プロの裁判官はもちろん、市民の中から選ばれた裁判員もこの規定に拘束される。裁判員法でも、「裁判員は、法令に従い公平誠実にその職務を行わなければならない」(9条1項)とか、「裁判員…は…、法令に従い公平誠実にその職務を行うことを誓う旨の宣誓をしなければならない」(39条2項)と規定されているほどだ。
先ほどの裁判員は、裁判で取り調べられた「証拠」だけでなく、自ら現場を検証した結果に基づいて事実を認定し、心証を得ており、この基本的なルールに違反しているということになる。
最高裁も注意喚起済み
この点については、最高裁も、裁判員裁判について解説したホームページ中のガイドラインで、次のように明確に注意喚起している。
「証拠には、書類、凶器などの証拠品、証人や被告人の話など、いろいろな種類がありますが、書類の場合は法廷で検察官や弁護人が朗読する書類の内容を聞くことが、凶器などの証拠品の場合は法廷で凶器などの状態を見ることが、証人の場合は法廷で証人の話を聞くことが、それぞれ『証拠を取り調べる』ことになります」「裁判員は、これら法廷で取り調べられた証拠のみに基づいて、起訴状に書かれた犯罪行為を被告人が犯したのかどうか(有罪かどうか)を判断します」(「『証拠を取り調べる』とは、具体的にはどのようなことをするのですか」より)
「裁判員制度の対象となる重大事件は、テレビのニュースや新聞といったマスコミに取り上げられることが多いと思います。そのような報道により、事件についての感想などを抱くことがあるかもしれません。しかし、裁判員は、そのような情報によって判断するのではなく、法廷で見たり聞いたりした証拠のみによって判断していただく必要があります」「もちろん、裁判長や他の裁判官も、この議論の中で、証拠以外の情報に基づく意見があった場合には、それが証拠に基づくものではないことを指摘するなどして、裁判員が証拠に基づいて判断できるように努めることになります」(「証拠だけに基づいた判断が裁判員にできるのでしょうか」より)
過去にその現場に行ったことがあるとか、テレビや新聞の報道で見聞きして知っているといった場合でも、予断を抱かず公平な判断を行うためには、その時に得た印象などをいったん頭の中から完全に消し去り、白紙の状態で裁判に臨み、法廷に出てきた現場の写真や図面などに基づいて事実を認定しなければならない。
裁判官や裁判員の中で一人だけ勝手に現場に行き、その状況などを見てきた者がいれば、見てきていない者との間で判断材料に差が出る結果となる。
裁判官や裁判員は、そもそも捜査官や訴追官ではなく、弁護人でもなく、あくまで彼ら刑事裁判の当事者が自ら法廷に提出してきた証拠に基づき、公平中立な立場で結論を下す判断者にすぎない、というわけだ。
もし検察側の提出する証拠が分かりにくく、ある事実を認定できないというのであれば、判断者は自らその事実の存否などを調査するのではなく、端的に訴追された被告人にとって有利な判断を下すべきだ、というのが刑事裁判の大原則だからだ。
裁判員が現場を見たいと思ったら、どうすればよいか
もちろん、自ら現場を見たいと思うこともあるだろう。その場合には、裁判官にその旨を要望し、刑事訴訟法で定められた「検証」という手続をきちんと取ればよい。
というのも、「裁判所は、事実発見のため必要があるときは、検証することができる」(128条)と規定されているし、裁判員裁判のように公判前整理手続に付された事件でも、「裁判所が、必要と認めるときに、職権で証拠調べをすることを妨げるものではない」(316条の32第2項)と規定されているからだ。
ただし、この「検証」は検察官や被告人、弁護人が立ち会えるものなので、あらかじめ、その日時や場所を彼らに通知しておかなければならない。また、単に見っぱなし、聞きっぱなしではダメであり、検証の結果を記載した「検証調書」と呼ばれる書面をきちんと作成しなければならない。
現に、裁判員裁判でこうした正式な検証が行われることもある。例えば、2009年に発生した鹿児島高齢夫婦強盗殺人事件の裁判員裁判が有名だ(被告人が関与を全面的に否認。検察の死刑求刑に対して一審は無罪。控訴審係属中に被告人が死亡したため公訴棄却で事件終結)。
弁護側の要請で行われたものではあったが、裁判官と裁判員が犯行現場である夫婦の自宅を訪れ、検察官や弁護人の立ち会いの下、犯人が侵入した窓や夫婦が殺害された部屋などを確認している。
今回の裁判員の行動は、こうした厳格なルールにも違反していることになる。
ルール違反が発覚した場合、判決はどうなるか
ただ、このルール違反には罰則がないから、裁判員が罪に問われることはない。審理の途中で発覚していれば、「不公平な裁判をするおそれがある」ということで解任されたことだろうが、既に審理は終わっている。
では、ルール違反に及んだ裁判員が関与した一審の有罪判決はどうなるだろうか。アメリカの陪審員制度だと、こうした事実が発覚すれば、審理無効となり、新たに陪審員を選任し直した上で最初から裁判手続をやり直すことになっている。
わが国でも、判決が確定する前であれば、控訴審や上告審で問題視され、審理が差し戻され、裁判のやり直しが行われたかもしれない。
問題は、この事件の場合、2016年10月に最高裁が弁護側の上告を棄却し、有罪判決が確定しているという点だ。確定判決を是正する手段としては「再審」が有名だが、今回のケースは刑事訴訟法が定める再審請求の理由に当たらない。
そこで、同じく刑事訴訟法が定める「非常上告」という方法が考えられる。「検事総長は、判決が確定した後その事件の審判が法令に違反したことを発見したときは、最高裁判所に非常上告をすることができる」(451条)というものだ。
最高裁は、これに理由があれば、もとの判決や違反した手続を破棄するなどし、法令違反を是正することになっている。
もっとも、この事件で検察が非常上告をすることはないだろう。検察の求刑どおり無期懲役の有罪判決が下ったものだし、ルール違反が審理に与えた影響は小さく、仮に審理をやり直したとしても、同じ判断結果になると思われるからだ。
法曹関係者にとっての反省事項
今回のケースは、裁判員裁判に携わる法曹関係者に様々な教訓を与えた。審理が係属している中、独断で犯行現場を見に行くような裁判員が現にいるということが分かったからだ(氷山の一角とも考えられる)。
そもそも、裁判員法では、「裁判長は、裁判員…に対し…、裁判員…の権限、義務その他必要な事項を説明するものとする」(39条)と規定されている。
また、この法律を受けて制定された最高裁規則でも、「裁判長は、裁判員…に対し、その権限及び義務のほか、事実の認定は証拠によること、被告事件について犯罪の証明をすべき者及び事実の認定に必要な証明の程度について説明する」(36条)と規定されている。
今回のケースは、裁判長の裁判員らに対するこうした説明が必ずしも十分ではないという事実を示した。
この点、アメリカの陪審員制度では、裁判長から陪審員に対し、インターネットで事件のことを調べてはならない、現場に行ってはならない、といった具体的な注意が行われている。
特に今回の事件のように、個人宅や会社事務所などではなく、誰でも出入りできる路上が犯行現場になったようなケースであれば、裁判長は裁判員に対し、勝手に現場に行き、見て回ってはならないといった注意を与えるとともに、その理由を懇切丁寧に説明しておくべきだろう。
また、弁護人からも、裁判所に対し、こうした注意喚起の申入れを行っておくべきだろう。
最後に検察だが、今回、裁判員が自ら犯行現場まで足を運んだのは、ひとえにその状況などに関する検察側の立証が不十分であり、法廷に提出した証拠だけだと腑に落ちなかったからにほかならない。
裁判員法では、「検察官…は、裁判員の負担が過重なものとならないようにしつつ、裁判員がその職責を十分に果たすことができるよう、審理を迅速で分かりやすいものとすることに努めなければならない」(51条)と規定されている。
平面的な写真や図面だけでなく、犯行現場やその周辺、犯行経路などを撮影した動画による立証なども、考慮されてしかるべきではなかろうか。(了)