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【検証を検証する】遠隔操作ウィルス事件が示すもの

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

こうやってインターネットを利用しているだけで、いつ犯してもいない罪に問われるか分からないーー遠隔操作ウィルスに感染したパソコンから脅迫メールが送りつけられた容疑で4人が誤認逮捕され、2人が虚偽の「自白」をした事件で、冤罪の怖さを身近に感じた人は少なくないだろう。

警視庁に逮捕された男性の場合、自宅を訪れた捜査員から「このパソコンから送られたのは間違いない」と迫られ、同居している女性をかばうために、任意の取り調べの段階で虚偽自白をした、という。

それを知って、私は20数年前、神奈川新聞記者をしていた頃に出会った冤罪事件を思い出した。

昔と変わらない警察の取り調べ

一家3人が暮らしている団地の一室で、ある朝母親が亡くなっていた。解剖の結果、鎖骨付近の筋肉内に出血があったことから法医学者が「手で首を絞めて殺した」と判断。警察が夫のYさんの取り調べを始めた。Yさんが否認していると、捜査員は「お前でなければ息子か?息子を厳しく取り調べる」と追及。ただでさえ気が弱く、妻の死で混乱していたYさんは、とっさに中学生の息子を庇って言った。

「息子じゃありません。私です」

Yさんは逮捕・起訴されたが、裁判で亡くなった妻が実は重篤な心臓病に罹っていたことが明らかにされ、主治医も「いつ亡くなってもおかしくない状態だった」と証言。病死で矛盾はないとする鑑定も出され、無罪判決が出た。

遠隔操作ウイルス事件で男性が同居女性を庇ったケースは、Yさんと同じパターンなのではないか。おそらく捜査員からは「お前がやっていないというなら、女か?じゃあ、女を調べる」などと言われているだろう。

警察は、Yさん事件のような過去の失敗から何も学んでいないようだ。

「取り調べは適正」と居直る警察

今回は、「真犯人」から都内の弁護士に犯行告白のメールが送られて問題が明るみに出て、警察は検証を迫られることになった。

ところが、公表された検証報告書を見て唖然とした。

警視庁
警視庁

警視庁のそれには、男性が虚偽の「自白」に至る経緯が一切書かれていないのだ。「虚偽自白を見抜けず、身柄を拘束したことは、極めて遺憾である」と述べるのみ。まるで男性が勝手に虚偽の申告をしたような印象を与える記載になっている。裏付け捜査が不十分だったことは認めているものの、取り調べがどのように行われ、どこに問題があったのかは、まったく検証されていない。

それどころか、「取り調べにおける不適正な行為は認められない」「(犯行を自白する)上申書の作成に関して、意図的に記述内容を誘導したり、客観的事実に合致する記述を押しつけたりした状況は認められない」など、問題がなかったことを強調している。

そのうえで、ネットを利用したサイバー犯罪についての新たな捜査手法の検討や捜査員の遠隔操作についての知識を教育することなどが対策として盛り込まれている。サイバー犯罪についての知識不足が誤認逮捕に結びついたとは言えるだろうから、そうした取り組みは必要だ。

しかし、虚偽の「自白」が作られたのは、ITという新しい領域の知識が追いつけなかったためではなく、取り調べのやり方の問題だ。自白を取るための取り調べ技術は、警察の中で先輩から後輩へと受け継がれてきた、いわば”伝統芸”。警察内部の検証は、この部分には踏み込もうとしない。

冤罪被害者の訴えを否定する「検証」

同じように虚偽の「自白」を引き出した神奈川県警の報告書には、取り調べ状況について、誤認逮捕された少年サイドの言い分が記されている。ところが、その一つひとつに警察が反論して問題を否定したり薄めたりしている。

例えば、少年は捜査員から「否認をしていたら検察官送致されて、このままだと「(少年)院」に入ることになるぞ」「検察官送致になると裁判になり、大勢が見に来る。実名報道されてしまう。」などと言われて自白を迫られた、としている。

これについての県警の反論はこうだ。

〈(少年が)今後の手続きに不安を持っているだろうと考えた取調べ官が、今後の刑事手続きについて(中略)説明するとともに、少年院や保護観察について質問があったので、それに答えている〉〈逆送という制度があり、成人と同じように裁判することもあり、裁判は誰でも自由に傍聴出来るという説明をしている〉

県警によれば、単なる手続きの説明を、少年が勝手に誤解した、ということになる。「『院』に入ることになるぞ」という言葉は、少年の想像の産物とでも言うのだろうか。

少年は、取り調べの際でこんな追及をされたと言っている。

「自分でやっていないことを、証明してみろ。無罪を証明してみろ」

これに対しては、県警は次のような反論をした。

〈(少年が)下を向いた状態であったため、取調べ官が、「今まで聞いても、『やっていない。覚えていない。忘れました。』と答えるだけで、『こういう理由で自分がやったのではない。』という説明をしたらどうか。」などと問い質している〉

すべてがこんな調子。それでも、報告書に少年の主張が盛り込まれているだけ、警視庁に比べてはるかにマシと言わねばならない。

公安委員会に調査権限を

同県警は、この検証にあたって、7回にわたり神奈川県公安委員会に報告をし、様々な指導・指摘を受けたというから、その”成果”と言えるかもしれない(それに比べ、東京の公安委員会はいったい何をやっていたんだろう)。

しかし、公安委員会には直接調査を行う権限はなく、出来るのは警察への指示のみ。しかも、公安委員会の事務局は警察本部の中にあり、警察の職員が事務局員を務める。

せっかく、公安委員会という第三者機関をおきながら、不祥事があっても、直々に調査をすることができずないのでは、その存在意義は大きく減殺される。

これまでも、足利事件や志布志事件など、警察の取り調べによってありもしない事実を「自白」させられた事件はたくさんある。こうした著名事件では、事後に検証を行っているはずだが、この時にも「外の目」は入っていない。

こんなことだから、二十数年前と同じ過ちを、何度も繰り返すのだ。このままでは、今後も同じような虚偽の「自白」は生まれるだろう。

この事態を改善するには、少なくとも(1)警察法を改正して、公安委員会に調査権限を与えると共に、事務局を都道府県の県庁に移す、(2)取り調べの全課程を録音するなどして記録に残すーーの2点くらいは実行しないとどうしようもない。

検察はさらに問題だ

警察以上に問題なのは、検察だ。各警察の検証報告書は警察庁のホームページから誰でもダウンロードできる形で公開された。

ところが検察は、何の書面も公表していない。検証結果を書面にまとめたのか、そもそもどのように検証を行ったのかも分からない。少年を自白させ、家裁に送った横浜地検も、地元の司法記者クラブに口頭で説明するだけ済ませてしまった。

その理由を問い合わせると、横浜地検の堀嗣亜貴次席は広報担当者を通じて、次のように回答してきた。

「(警察と)問題意識は共有しているうえ、本件については、とりわけプライバシー等への配慮を要する少年事件であること、少年側の意向、未だ真犯人の特定にむけて捜査中の事案であることなどから、その検証結果を口頭で公表するのが相当と判断した」

プライバシーに関する部分は警察も伏せており、それを理由に検察が検証報告書を公表しない理由にならない。脅迫メールの中身はすでに公表されており、検察官調書の作成状況を明らかにしても、今さら捜査に影響を与えることはないはずだ。

大阪地検特捜部が村木厚子厚労省局長を逮捕・起訴た事件では、身内による不十分な調査しか行われなかったものの、検証報告書作成には外部のアドバイザーが関わった。要約版ではあったが、最高検のサイトで公表された。小沢一郎衆院議員の強制起訴を巡って、東京地検特捜部が虚偽の捜査報告書を作成した問題でも、まったく不十分な身内の調査が行われ、処分も極めて甘いものだったが、一応検証報告書は記者発表された。

この2件は検察の独自捜査によるものだが、警察から送検された事件でも、足利事件、氷見事件、志布志事件では最高検が検証を行った。その中身の薄さはともかく、検証結果の報告書は公表した。

検察は今回の事件を軽視しているのではないか。いくら検察改革の成果をPRしてみても、できるだけ問題は隠蔽したい体質は依然として変わっていないのではないか、という疑念を抱かせる。

可視化が必要だ

第2次安倍政権の法相となった谷垣禎一氏は、就任会見で私がこの事件の事件を引き合いに冤罪防止策について尋ねると、「捜査を担当する者のITに関する知識の問題もある。IT捜査の改善を研究する必要がある」と答えた。

だが、先も述べたように、誤認逮捕や起訴については、IT関係の知識の乏しさが原因だとしても、やってもいないことを「自白」させることは、以前から指摘されている取り調べのやり方の問題だ。

本気で冤罪を防ごうと考えるなら、殺人事件などに限定されている裁判員裁判対象事件だけではなく、こうしたもっと身近で日常的な事件においても、取り調べの可視化、すなわち全課程の録音や録画を原則とする必要がある。神奈川県警のように、取り調べられた側と調べた側の主張が異なる場合、録音を録ってあれば、簡単に確認できる。そもそも、可視化すれば虚偽の「自白」が減り、それに基づいて罪に問われるようなことが防止できるはずだ。

谷垣新法相のリーダーシップを求めたい。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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