【京都府向日市】古墳や神社、常夜灯に古民家。歴史ロマンあふれる街の魅力を厳選(乙訓景観十景向日市編)
京都の西山連峰の麓に位置する長岡京市、向日市、大山崎町は、古くは継体天皇の時代に弟国宮という都が置かれて以来、乙訓地域と呼ばれてきました。令和元年度京都府交響地域プロジェクト などが中心となって乙訓景観十景というのが選定されていると知り、2022年6月9日、その向日市バージョンを巡ってみました。
五辻常夜灯は、幕末の慶応元年(1865年)に、目の病に効能があるとされる水を有する楊谷寺(柳谷観音)へ参拝する講(現在のサークルのようなもの)の一つ、千眼講によって建てられた石灯籠です。
「物集女車塚古墳」は、古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳です。淳和天皇(840年没)の棺を運んだ車を納めた地という伝承が、名の由来とされています。「石室の構造や副葬品から、埋葬者は6世紀前半に弟国宮をつくった継体大王と所縁が深い人物と考えられています。」(京都府向日市歴史観光サイトより)
中小路家住宅は、文化庁の登録有形文化財にも指定されている西国街道に沿った住宅で、旧家の屋敷構えを今に伝えています。中小路家の先祖は菅原道真の一族で、太宰府へ左遷される道真に従ったのち京へ戻り、道真を祀る天満宮を、現在の長岡京市開田に造立したと伝わります。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛した際にも、向日神社がこの地域を共同で治めていた、神足氏、中小路氏、能勢氏、鶏冠井氏など、国衆たちの結集拠点となりました。
向日丘陵には、3世紀後半から4世紀の王の墓が密集しています。勝山の元稲荷山古墳は出土した埴輪から最も古い前方後方墳です。王たちは交通の要衝であるこの地域の実権を握っていたと考えられています。
史跡長岡宮跡は、まさに長岡京の大極殿があったとされる場所です。大極殿跡公園として整備が進んでいます。延暦3年(784年)に桓武天皇によって、都が奈良の平城京から乙訓地域に遷されました。そう長岡京です。その後、平安京へ遷されるまでわずか10年でしたが、その規模は、平安京と変らない大規模な都だったことが近代の調査で明らかになっています。
他にも西国街道下河原歴史の道や西向日桜の径が上げられています。歴史ロマンあふれる街道沿いをゆっくり散策して見てください!
五辻常夜灯 向日市向日町南山 物集女車塚古墳 向日市物集女町南条
中小路家住宅 (外部リンク)向日市上植野町下川原48
向日神社 (外部リンク)向日市向日町北山65 075-921-0217
元稲荷山古墳 向日市向日町北山35
史跡長岡宮跡 向日市鶏冠井町山畑22