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難民だった神父とベトナム人移住労働者【前編】強姦された女性からの助けを求める声と支援活動

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
台湾でベトナム人移住労働者の支援を行うペーター・グエン・バン・フン神父、筆者撮影

国策として海外へ労働者を送り出しているベトナム。一方、日本で働く技能実習生の事例にあるように、海外に出稼ぎに出たベトナム人労働者の中には困難な状況に直面している人がいることも事実だ。そんな中、ベトナム人労働者の主要な出稼ぎ先となっている台湾には、助けを求めるベトナム人を支援している1人の神父がいる。神父は、元インドシナ難民で、命の危機にさらされながらもなんとか生き延び、現在は台湾で同胞の支援に尽力している。今回は、この神父とベトナム人移住労働者をめぐる物語を伝えたい。

◆教会内に設置された支援組織と1人の神父

ペーター・グエン・バン・フン神父、筆者撮影
ペーター・グエン・バン・フン神父、筆者撮影

「あのとき、たくさんのベトナム人女性が強姦被害に遭っていることがわかりました」

2016年8月半ば、台湾・桃園市にあるカトリック教会の中に設置されたベトナム人移住者の支援組織「Vietnamese Migrant Workers and Brides Office(ベトナム人移住労働者・花嫁事務所)」を訪れた私に、ベトナム系オーストラリア人のペーター・グエン・バン・フン神父は、こう語り始めた。

その日、私は台北市のホテルを朝7時半すぎに出てタクシーで桃園に向かい、約束の8時半ごろ、フン神父の教会にたどり着いた。

桃園は、台湾の空の玄関口である国際空港を抱えるほか、周辺には工場が集積し、そこでは多数の外国人出稼ぎ労働者が就労している。

台湾政府は労働力不足に対応するため、海外から移住労働者を政策的に受け入れている。

そうした政策の中で、インドネシア、フィリピン、ベトナムなど各国からやってきた外国人労働者がこのまちに集まり、働き、台湾の産業を支えているのだ。

ビルが建ち並び、あちこちにさまざまな商品を売る店やレストランなどの商業施設が設置されるとともに、MRTが整備されている台北市の中心部に比べ、フン神父の教会のある辺りは小さな商店が集まり、車やバイクがひっきりなしに行きかう、ぐっと庶民的な場所だった。

そうかと思うと、教会の近くの店には「越南」とベトナムを表す漢字が書かれた看板がかけられ、このまちがどこかで、ベトナムなど海外とつながっていることを予感させた。

恰幅良いタクシー運転手の男性は、私が示した教会の住所を目で追いつつ、一度、道を行きすぎてしまった後、少しだけUターンして、元の場所に戻り、教会の前に車を滑り込ませた。

そこに、マリア像が配置された門を持つ教会がたたずんでいた。

門が閉じられていたため、どうやって中に入ろうかと思ったところ、すぐに関係者と思われる女性たちが門の中に入っていったので、彼女たちの後に続いて中に入り、女性たちにフン神父に会いに来たことを伝えた。1人の女性が階段を上れという身振りをし、私は教会の建物の2階に上がった。

そこで事務所に通されると、1人の男性が現れた。

白いシャツにズボンを合わせたシンプルな身なりのこの男性が、台湾でベトナム人労働者の支援活動を長年にわたり行っているペーター・グエン・バン・フン神父、その人だった。

小柄な体躯に親しみやすい笑顔のフン神父だが、すっと背筋を伸ばしている。その動きはきびきびとし、よくみるとその眼光はするどい。

フン神父に挨拶をすると、神父はすぐにイスをすすめてくれた後、グラスに入った冷たい水を出してくれた。8月の桃園は気温が上がっていて、私はそれをぐっと飲みほした。

フン神父とは、その日が初対面だったが、神父の名前は私の記憶に刻まれ、彼に会うことは私にとって以前からの希望だった。

神父の顔を見ながら、私はベトナムの農村部で出会った女性たちの顔を思い浮かべた。

◆「私はフン神父に助けられました」、ベトナム人労働者に知られた支援活動

台北市の地下鉄駅。筆者撮影
台北市の地下鉄駅。筆者撮影

それは台湾を訪れる前のことだった。

2015年3月から2016年2月まで、私はベトナムの首都ハノイ市に滞在しながら、ベトナム北部ハイズオン省の農村部の訪問を繰り返し、海外に移住労働に出た経験を持つベトナム人女性たちへのインタビューを行っていた。

とりわけ私が集中して話を聞いたのは、家事労働者として海外で働いた女性たちだった。

家事労働者とは、日本では「家政婦さん」や「メイドさん」と呼ばれ、家庭内で料理、洗濯、掃除、育児、介護などの家事労働を行う労働者のことを言う。世界的に見て、家事労働者として出身国の外に出て就労する労働者は少なくない。

ベトナムからも女性たちが海外へ移住家事労働者として渡り就労してきた。

そして、その渡航先の多くを台湾が占めていた。

一方、家事労働者の多くは女性だが、その就労状況に課題が指摘されてきた面もある。

私がベトナムで聞き取りをした移住家事労働経験者からは、台湾など海外での厳しい就労の実態が聞かれた。

そうしたインタビューをするうち、耳に入ってきたのが、フン神父のことだった。

複数の移住家事労働の経験者が、「私はフン神父に助けられました」「台湾ではよく知られるフン神父という人がいます」と話していたのだった。

◆日本へ逃れてさまざまな仕事を経験、オーストラリアで神学校に

フン神父は1950年代にベトナム南部で生まれ、その後に、小さな船でベトナムを脱出した経験を持つ。

神父はいわゆる「ボートピープル」としてベトナムを逃れた難民だったのだ。

船で逃れた神父がたどり着いたのは日本だった。フン神父は、難民キャンプで過ごした後に日本の工場や建設現場などで働いた。当時、日本人労働者の日当が8,000円のところ、フン神父の日当は4,000円という状況で就労していたという。ベトナムからの難民ということによる賃金差別に直面しながらも、様々な仕事をし、日々を乗り切ろうとしていた。

フン神父は日本での暮らしをこう説明しながらも、日本人の私に気を使ったのか、日本の難民キャンプでは「ヤマグチさん」という支援者から助けられた上、日本のキリスト教コミュニティから支援を受けたことを、丁寧に、そして静かに話してくれた。

フン神父はその後、日本からオーストラリアに移り、現地の神学校で学び、神父となった。

◆派遣された台湾で出会ったベトナム人移住労働者とその困難

台北市の街並み、筆者撮影
台北市の街並み、筆者撮影

そんなフン神父の台湾との出会いは、80年代後半のことだ。1988年に教会の指示で、台湾にある教会に派遣されたのだった。

さらにその後、フン神父は台湾でベトナムからの移住労働者に多数出会うことになる。

きっかけは、90年代後半に、ベトナムと台湾が移住労働者の送り出し/受け入れに関する二国間協定を結んだことだった。それ以降、台湾で働くベトナム人労働者が増加していく。この動きの中で、家事労働者として台湾で就労するベトナム人女性が増えていった。

しかし、2001年に入ると、台湾で就労する多数のベトナム人女性からフン神父のもとに、さまざまな相談の電話が入るようになる。

フン神父が受けたベトナム人女性からの相談というのは、台湾に移住労働者として入ったベトナム人女性がブローカーらから強姦され、助けを求めるといった内容のものが多かった。

中には、強姦被害に遭ったために、就労先から逃走し、後に非正規滞在を理由に台湾当局に拘束された女性もいたのだった。

このような被害者の女性たちは家事労働者として働く人が大半であったという。

こうしてフン神父はベトナム人移住家事労働者の苦境を知ることになり、女性たちからの相談を受け始めた。

◆強姦被害に遭った女性たち、出稼ぎ先で脅されて逃げ場を失う

台北市の駅。こうした駅周辺には海外からの移住労働者が集まる。筆者撮影
台北市の駅。こうした駅周辺には海外からの移住労働者が集まる。筆者撮影

2001年から2004年にかけ、グエン神父に強姦被害を相談したベトナム人女性は約100人に上った。ベトナム人の家事労働者がなんらかの形で強姦被害に遭うケースが多発していたのだ。ブローカーらは、ベトナム人女性を「強制的に帰国させる」と脅すなどして、強姦していたようだ。

こうした中で、グエン神父は、女性を強姦したブローカーらを裁判で訴えるよう取り組み始めた。

さらに、裁判に当たり、グエン神父は台湾で記者会見をし、メディアを通じてベトナム人女性移住労働者の苦境を発信した。

同時に、他のNGOと連携し、台湾政府に対して、ベトナムからの家事労働者の受け入れを停止するよう働きかけた。

また、支援を続けるうち、女性たちの中には、渡航前に「前借金」を負う契約書にサインさせられ、台湾での就労期間の最初の半年間、「借金返済」の名目で給与が出なかった人がいたなど、ベトナム人家事労働者がさまざまな課題に直面していることもわかったという。(「難民だった神父とベトナム人移住労働者【後編】」に続く。)

研究者、ジャーナリスト

岐阜大学教員。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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