イヒネ イツアの後輩、誉高校の黒野颯太は指名漏れの悔しさを払拭して独立リーグ・石川からNPBを目指す
■開幕からローテーションを守る
全身のバネを活かした伸びやかなボールと、若武者らしくけれんみのないピッチング。石川ミリオンスターズの背番号14番、黒野颯太は大器を予感させる投手だ。
独立リーグとはいえ、「プロ」の世界である。その中で、臆する様子はまったく見られない。18歳のまだあどけない顔立ちながら、堂々とした振る舞いのマウンドを披露している。
この春、愛知県の誉高校を卒業したばかりだが、先発3本柱の一角として開幕からしっかりとローテーションを守っている。ここまで6試合の先発で5.1、4、6、6、7、7回とイニングを伸ばし、球数も1試合に100球以上を継続して投げるなど、強い肢体を誇る。
5月11日の初先発を経て、3試合目からは2試合連続でクオリティスタートを、6月に入っての2先発はともにハイクオリティスタートを記録するなど、投げるごとに頼もしさを増している。
■硬い体を柔らかく使えるタイプ
決して無理をさせているわけではない。体の管理には、理学療法士としても活動する片田敬太郎コーチが目を光らせている。
「黒野は瞬発力があり、僕が最も強いと思う『硬い体を柔らかく使える』タイプに近い。投げる能力もあるし、投げる体力もついてきている。ただ、ピッチャー経験が浅い分、最初のころは明らかに球の質が悪い方向に向かっているのに、本人は痛くもなく元気に投げられていた。体の使い方や可動域など自分の体をまだ理解していないので、なぜそうなるのかの説明を一つ一つするようにしています」。
ただ、そのアドバイスをすぐに吸収して修正し、維持できる自己管理能力も上がっているという。そうして今、階段を一段ずつ上っているところだ。
「ローテーションも、体的には余裕をもって回れている。体は本当に強い。本人は勝っていない(0勝3敗)ことを気にしていると思うけど、ローテーションを守るという一番難しいことが苦もなくできているというところを、僕自身はすごく評価しています」。
ローテーションを任されるということは、イニングを消化できているということであり、結果も残しているということだ。
「岡﨑(太一)監督も、あまりにも大事に育てられすぎてNPBに行って苦労する選手というのを見てきたと。70球、80球でやめさせることはもちろんできるんですけど、それでは成功する可能性を減らしてしまう。黒野に関しては、ちょっと厳しくいきたいというのは監督の意向でもあります。それは彼の先を見据えてということ。もちろん、無理をさせることは決してないですけど」。
NPBに行くことが目的ではない。行って活躍することが重要だと考えているのだ。体の状態を日々確認しながら、先の先まで考えた上での育成で、黒野投手の夢をかなえる手助けをする。
とにかく今は、経験を積ませたいのだと片田コーチは語る。
■フォームのマイナーチェンジ
黒野投手自身も試行錯誤する日々だ。
開幕当初は2段モーションだったのを、前試合(6月25日)からは1段にマイナーチェンジした。
「片足で立ったときの“立ち感”をすごく大事にしていて、1度止めたほうがよかったんですけど、あんま腕が振れないなと思って、逆に。それで2段をやめてみたらタイミングが掴みやすかった。キャッチボールでやってみたら、足を着いてからのリリースのときのパチンっていう感覚がすごくよかったんで、ブルペンでも練習するようになりました」。
5月の終わりころからやりだし、紅白戦で試すなどした。なかなか試合でやる勇気がなかったそうだが、とうとう“解禁”したのだ。
2段にしなくても、しっかりと“立ち感”が得られるようになったのは、おそらくトレーニングなどで体幹が鍛えられてきたからだろう。体の変化とともに感覚は変わってくる。その変化を敏感に感じとれるのも、黒野投手の能力の一つだ。
■投手になってまだ1年半
本格的にピッチャーをやり始めたのは、高校2年の秋だという。
「自分たちの代になって、秋の大会は予選ですぐ負けちゃったので、毎週のように試合をやっていて。エースがケガしたりでピッチャーの人数がいなかったので、遠征で『たまには1試合目で先発やってみろ』って言われて投げたらけっこうよくて、球速も140キロくらいで思ったより出て…。ずっと外野をやってたんで肩が強くなっていたのかも」。
それまで紅白戦や練習試合の2試合目の最後に投げることはあったが、ずっと外野を守ってきた。中学時代も「“中学生あるある”で、練習試合の2試合目にピッチャーがいなくなったから野手がピッチャーをやるみたいな感じで、たまにやった」くらいだった。
その試合で京都国際高校を相手に8回を完投して4失点ながら自責点は1で、しっかりと試合を作った。その好投を受け、秋の全尾張大会では「この大会はお前ひとりで投げきるくらいの気持ちでやってくれ」と、初めて背番号「1」を授けられた。
しかしエースナンバーを背負ったのはそのときだけで、以降は投手と外野手を兼務した。先発で五回まで投げてから外野に就くこともあれば、外野のスタメンからリリーフ登板ということもあった。
■“二刀流”で活躍
小学2年で野球を始め、人数が少なかった小学生のころはキャッチャーをし、中学では外野、内野、たまにピッチャー。投げるのも楽しかったが、それ以上にバッティングが好きだった。
大砲タイプではないが、外野の間を抜く強い打球や逆方向に伸びる打球が持ち味で、足にもかなり自信があった。
高校2年の秋から本格的にピッチャーをやり始めても、メインはピッチャーの練習メニューながら自ら外野の1カ所ノックを受け、居残りでバッティング練習にも汗を流した。
「バッティングは本当に好きだったんで。でもピッチャーの楽しさというのもすごくあった。打つほうでも投げるほうでも、両方とも頑張っていきたいなというのは、すごくあった」。
いわゆる“二刀流”で奮闘した。
■NPB11球団から注目を集めた高校時代
野球を始めたころからプロ野球選手を夢見てきた。「よく野球やってる少年が『野球選手になりたい』って言っているのの、そのひとり(笑)」だったが、本気でプロを目指そうと思いはじめたのは高校3年の春の大会だ。野手ではなく投手として。
1つ上のイヒネ・イツア選手(現福岡ソフトバンクホークス)を見にきていたスカウト陣が「投手の黒野」に注目していたことも自覚していたし、ピッチャーとしてのほうが今後伸びるだろうと自分自身への期待もあったからだ。
11球団が視察に訪れ、そのうち3球団から調査書が届いたが、指名には至らなかった。
ドラフト会議翌日、あるNPB球団のスカウトから監督のもとに連絡があった。「あれだけ目指して頑張ってきたから、指名漏れで相当落ち込んでいると思うけど、大丈夫ですか。でもまだまだNPBを目指せるから」と、ミリオンスターズを紹介された。
すぐに練習に参加し、入団が決まった。こうして黒野颯太の独立リーグからNPBを目指す戦いがスタートしたのだ。(続く)
*次回は黒野投手に多大な影響を与えた人物と、独立リーガーとしての奮闘ぶりを伝える。
【黒野颯太(くろの そうた)*プロフィール】
2005年7月13日(18歳)
178cm・78kg/右投右打
誉高校
愛知県出身/背番号14
最速:148キロ
球種:ストレート、カーブ、スライダー、カットボール、フォーク
【黒野颯太*今季成績】
7試合/0勝3敗0S/防御率3.72
36.1回/被安打45/被本塁打1/奪三振24/与四球19/与死球2
失点26/自責点15
(7月5日現在)
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(撮影はすべて筆者)