芸人のプライバシーはどこまで保護されるのかー16年前の淫行疑惑ー
■はじめに
先日、ある人気お笑い芸人が写真週刊誌に16年前の淫行(いんこう)疑惑を報道されました。これが淫行罪(注)という犯罪になる可能性があるとしても、後述のようにすでに時効が成立しており、制度的に警察や裁判所で事実の詳細を明らかにして、処罰することができません。有名人はプライバシーが制限されるといわれますが、このようなかなり前の淫行疑惑について、今あえて雑誌で公にすることは許されることなのでしょうか。
以下では、
- プライバシーとは何か、
- 有名人はどの程度プライバシーの制限が許されるのか、
といった点から、今回の写真週刊誌の行動について考えてみたいと思います。
(注)「淫行とは、青少年に対する性行為一般を指すのではなく、青少年を誘惑したり、おどすなどする不当な手段による性交または性的類似行為のほか、青少年を単に自己の性欲の対象として扱っているとしか認められないような性交または性交類似行為を意味する」(最高裁判例)。
■プライバシーとは何か
「プライバシー」という言葉はさまざまな文脈で使われていて、とくに最近では自己に関する個人情報の流通に関与する権利として「自己情報コントロール権」という理解が広まっていますが、一般的には「人に知られたくないこと」がプライバシーだといって差し支えありません。
プライバシーについては、次の2つのことが問題になります。
第一は、「人に知られたくないこと」の内容は、時代によってかなり流動的だということです。たとえば、少し前ならば、結婚歴や病歴などは「人に知られたくないこと」の典型例でしたが、最近では、「バツ1」や「バツ2」といった言葉を本人が進んで公言することも多いようですし、病歴についても、みずから社会に公表することもよく見聞きするようになりました。しかし、本件で問題になっているような過去の犯罪歴については、依然として多くの人にとって「人に知られたくないこと」の最たるものだといえるでしょう。「犯罪者」という言葉はもっとも厳しいレッテルであり、今は普通の市民として生活し、活動していても、社会的にさまざまな不利益を被るおそれがあるからです。
第二に、「人に知られたくないこと」が本人の同意なしに公にされた場合にプライバシー侵害となるわけですが、一般の人びとがそれに寄せる関心に理由があり、正当だと評価される場合があるということです。つまり、自己に対する他者の関心を遮断(拒否)することは、すべての人に対して一律に認められるものではなく、その人の社会的地位、活動などによって制限される場合があります。
■有名人はどの程度プライバシーの制限が許されるのか
有名人といっても、さまざまなタイプがありますが、一般には、マスコミなどに登場する人で、広く世間に名前が知られた人のことです。ただし、その中には、不本意ながらマスコミに取り上げられ有名になった人(たとえば、犯罪や事故の被害者、災害の被災者など)がいますが、それと自発的にみずからを世間にさらす人びととでは、当然問題は異なります。前者の場合は、本人はそっとしておいてほしいと願うのが当然ですから、「有名人」という言葉では、後者の人びとが問題になります。
このような意味での有名人の典型例としては、政治家、芸能人やスポーツ選手などがあげられます。このような人びとは、みずからの意思で世間に存在をアピールしているわけですから、ある程度はプライバシーを放棄していると考えることができます。また、一般の人びとも、彼らの行動について関心をもつことは基本的に正当だと認めることができます。
もちろん、政治家と芸能人では、プライバシーの内容と範囲は異なります。政治的な影響力が大きい首相・閣僚や国会議員、知事などでは、その健康状態、財産状態、交友関係、経歴、あるいは、日々誰と会って、どんな会合に出席したのかなどについてマスコミが詳しく報道する価値がありますし、一般の人びとにとっても、そのような事柄について関心を寄せることは民主主義に関わる問題として正当だといえます。過去の行為であっても、反道徳的な行為はもちろんのこと、すでに時効になった事柄であっても変わりはありません。つまり、そのような事柄は、全人格的な資質が問題になる政治家の場合は、個人の私的領域にとどまるものではなく、社会全体の利益に関わるものとして、公共性が認められるものなのです。
それに対して、芸能人の場合は、テレビや映画などに出演することじたい、みずからを世間にさらすことですし、有名になればなるほど、ファンが興味を持つプライベートな事柄(どんな暮らしをし、誰と交際しているのかなど)について、一般の人以上にマスコミで公にされてもやむをえないといえます。ただし、多くの人びとが知りたいと思うことが、ただちにその事実に公共性を裏付けるということにはなりません。たとえば、美しい女優さんの裸体は、多くの人が見たいと思うでしょうが、その裸体に公共性がないのは当たり前のことです。
このようにプライバシーの内容と範囲は、本人の社会的影響力や知名度の大きさ、活動の種類などを手がかりに判断される問題だといえます。一般論としていえば、大衆の好奇心を満たすだけの事柄、公にされた事柄が本人や家族らにとって当惑や恥辱、悲しみのみを与えるような事柄などを暴露することは、いくら有名人だとしても許されないことだということになります。
■本件をどう考えるべきか
性に関することは基本的にプライベートなことです。しかし、その人がたずさわる社会的活動の性質やこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、性的な事柄に公共性が認められる場合があり、一般の人びとがそれを知りたいと思うことに正当性が認められる場合があります(「月刊ペン事件」についての最高裁判決)。ましてそれが犯罪である場合は、それを公にすることには基本的に正当性が認められます。
しかし、本件では、確かに愛知県青少年保護育成条例違反(いん行罪)(法定刑は「2年以下の懲役又は100万円以下の罰金」)が問題になっていますが、これは16年前の事件です。すでに公訴時効期間の3年が経過しており、処罰に値するかどうかを判断するために、警察や裁判所で事実の詳細を解明し、審理することができません。
時効制度の意味については諸説がありますが、時間の経過とともに証拠も散逸し、事実の解明も難しくなり、社会の処罰感情も弱まることから、行為者の今の社会生活の安定性を処罰に優先することにも理由はあると思います。
もちろん、青少年をたんなる性的欲望の対象としてもてあそぶことは、道義的にも非難されるべき行為であるし、犯罪を起訴して、処罰することは公共的な利益にかかわる問題であることはそのとおりですが、性的同意がある点では淫行罪は、強制性交罪(強姦罪)や強制わいせつ罪に比べて軽い犯罪です。
たとえ人気があるとしても、制度上刑事法的な問題として扱うことができない一芸人の16年前の淫行疑惑について、その事実を知らないことが社会的に大きな問題かといえば否定的に考えざるをえませんし、これをこのようなかたちで公にすることについて、何らかの社会的利益があるのでしょうか。(了)