【幕末こぼれ話】土方歳三のライバル・大鳥圭介の身長は149センチ! 小柄だった幕末の人々
私が最近出版した『幕末維新 解剖図鑑』(エクスナレッジ刊)では、幕末期の人物の体格をなるべく多く載せている。どんな顔をしていたか、どんな体格をしていたかというのは、その人物を知る上で重要な要素だからだ。
読者の反応を見てみると、最も意外であったのは、箱館政権陸軍奉行の大鳥圭介の身長が149センチとなっていたことのようだ。現代的な観点からすれば、かなり小柄ということになる。
本当に大鳥の身長はそんなに低かったのか。幕末期のほかの人物たちはどうだったのだろうか――。
当時の平均身長は158センチ
江戸時代の成人男性の平均身長は、おおよそ5尺2寸程度であったとされている。メートル法に換算すると、約158センチだ。
幕府の剣豪・伊庭八郎がちょうど5尺2寸で、一橋家臣の渋沢栄一や、長州の伊藤博文などは5尺3寸(約161センチ)であることがわかっている。ほぼ当時の標準的な身長ということになるだろう。
なかには薩摩の西郷隆盛の5尺9寸8分(約181センチ)や、土佐の坂本龍馬の5尺8寸(約176センチ)といった巨漢もいたが、一般に当時の人々は栄養状態が現在にくらべて大幅に劣っていたため、小柄な者が多かった。
そんななかでも、大鳥圭介の149センチというのはかなり小柄な部類ということができるが、これは大鳥が71歳の明治35年(1902)に計測した記録である。晩年の数字であるから、若い頃とは多少は違っていたかもしれないが、おおむねこのような身長であったことは間違いないだろう。
正確にはこの時の計測値は4尺9寸であったという。換算すると、148・47センチとなり、149センチに足りていない。大鳥が当時の人々のなかでも、目立って小柄であったことは確かなようだ。
幕府最強の軍隊を組織した大鳥圭介
しかし、男の価値は体格で決まるわけではない。播州赤穂の村医者の子として生まれた大鳥は、緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、西洋兵学者として頭角を現した。
やがて幕臣に取り立てられ、慶応3年(1867)にフランス式調練を受けた「伝習隊」が組織されると、その隊長に就任したのだ。伝習隊は戊辰戦争では幕府軍最強の部隊といわれ、新政府軍との戦いに大いに力を発揮した。
箱館戦争では大鳥は、箱館政権の陸軍奉行に選ばれ、陸軍兵を統率した。新選組出身の土方歳三が陸軍奉行の次官である陸軍奉行並であったから、ライバル的存在の土方を一歩リードしたのである。
ところで大鳥の伝習隊には、兵士を募集する際に独特な入隊条件があった。それは身長で、5尺2寸以上の者と決められていたのだ。
「医者に体格検査をやらせ、身の丈5尺2寸以上と定めて選抜したから、見上げるばかりの立派な兵隊ができた」(山崎有信『大鳥圭介伝』)
現代では自衛隊の入隊条件などで身長制限はあるが、江戸時代においては例をみないことだった。5尺2寸は158センチで、つまり平均より大柄な者を大鳥は兵士として集めようとしたのである。
強い軍隊を作るためには大柄に限るという、自分が小柄なことを逆手にとったようなこのアイデア、痛快というべきではあるまいか――。