「翁長さんから"宿題"を受け取った」広島出身の女性が沖縄と向き合ってたどり着いた一つの「指針」
沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされているーー。8年前、沖縄県の翁長雄志知事(当時)はスイス・ジュネーブの国連人権理事会で声明を発表し、広く世界にそう訴えた。現場で目の当たりにして以来、その言葉の意味を問い続けてきた広島出身・沖縄在住の阿部藹さんが、「翁長さんからの宿題」に向き合い、国際人権法を学んで1冊の本にまとめた。「私のアイデンティティは広島にある」という彼女に、沖縄への思いや平和の訴え方などを聞いた。
あべ・あい 1978年、広島市生まれ。琉球大学客員研究員・非常勤講師。京都大学法学部卒業後、2002年NHKに入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年に退局して、沖縄に転居。「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力。2017年に渡英してエセックス大学大学院で国際人権法学修士課程を修了。2022年11月、初の単著「沖縄と国際人権法」(高文研)を上梓。
ーー「沖縄と国際人権法 自己決定権をめぐる議論への一考察」を編まれるきっかけとなった翁長雄志さんへの思いをお聞かせください
オール沖縄を作ったとか、保守革新を越え「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉で人を鼓舞して沖縄の人をまとめ上げ、沖縄の誇りを取り戻すということを一つの指針として示したとか、政治的な功績はたくさんあると思います。ただ、私が翁長さんと実際にお会いして語ったのはジュネーブに同行したときだけなので、私はそのときに感じたことで動いています。
当時、翁長さんはサイドイベントや記者会見もやった。その記者会見で私は司会をして、サイドイベントは裏方としてサポートしたのですが、間近で翁長さんが語る言葉を聞き、本物の政治家ってこういう言葉を使うんだってびっくりしたんです。
通訳を挟んでのイベントや記者会見でした。日本の政治家の言葉って、主語も動詞も曖昧で訳しにくいことが多いですが、翁長さんが語った言葉は、実の塊というか、すべて通訳できるし、通訳した言葉が普遍性を持っていたんです。
法と平和と人権と民主主義を尊重すると謳う国がこんな不正義を許していいのか、と。相手がどの国の人であっても伝わる普遍性を持つ言葉で言っていた。しかも、手元の文章を読むのではなく、問われたことに答える。そのやり取りの中で、ぶれることなく、民主主義国家としての日本のあるべき姿は何かを全世界の記者に問いかけた。
そうしてすごい言葉を世界に残して帰ってきたら、「よく言ってくれた」と喜んだ県民が多かった一方で、歪んだ議論によってバッシングもあった。その結果、自己決定権というものがそれ以降、彼の口から伝えられなくなった。その不当な状況が許せなかった。
なので、彼が語った言葉の価値は、国際人権法で考えると普遍性、正当性があったということを、分析の上に伝えたかった。その普遍性と正当性を多くの人に知ってもらいたかった。翁長さんの奥様と息子さんに本を手渡せたので、私が翁長さんから受け取った宿題は一旦終えることができたかなと思っています。
ーーNHKを退職後、市民活動にコミットしながら大学院で学び、現在は大学の客員研究員、そして世界最大のオンライン署名サイト「Change.org」のスタッフでもあります。いろいろな世界をご存知だからか、専門的でありながら読みやすい内容だと感じました
本を書くときに、琉球大学の阿部小涼教授や国際人権法の専門家である明治学院大学の阿部浩己教授にアドバイスを頂きました。市民運動に関わりつつもアカデミアの世界でまっしぐらに研究をされてきた、その膨大な蓄積の力をお借りした。私一人では絶対に書けていません。
ただ、この本を書く際にも意識したんですが、「論文」ってなかなか読んでもらえない。何か難しいと言われるので、アカデミアで話されてることを噛み砕いて、みんなが理解して使えるようにすることが必要だと思うのです。
自分の中のいろいろな要素は、単に人生の選択をしてきた結果。だけど、たまたまジャーナリズムの経験やアカデミアをかじった土台があるから、それらを融合させることで、ここの越えられなさに橋を掛けたかった。アカデミアで話されてることを自由に使えるようにして、社会課題を解決していく力にすることに、少しでも貢献できるようになりたいです。
ーー「沖縄からジュネーブへ」と題した第1章は、とてもジャーナリスティックなルポルタージュで、「琉球・沖縄の人々の自己決定権」と題した第2章は、とてもアカデミックな研究論文だという印象を受けました
1章は、沖縄の人にこそ読んでほしいと思って書きました。沖縄の人に、翁長さんの国連人権理事会での発言や世界に訴えたことの記憶をとどめておいてほしくて。でも、アカデミズムとジャーナリズムを混ぜて書いた3章は、論座(朝日新聞社が運営していた言論サイト)に書いてるときから、本土にいる人に届けるべき文章だと思って書きました。
普遍的な法である国際人権法に基づいて沖縄の問題を見たときに、沖縄の訴えにはちゃんと法的な正当性がある。法的な正当性がある訴えを、日本政府や日本国民が聞かないってことは、論理的にも倫理的に間違っているではないかということを理詰めで説得したかった。
私は沖縄のことをろくすっぽ分かっていませんでした。沖縄に暮らして初めて、ここが、いろいろな理不尽が押し付けられている場所であるとわかった。私が大きな影響を受けたのは、押し付けられた理不尽に対して、声を上げて行動、デモや署名で変えていこうとする人たち。政治にコミットしたり、市民運動をしたりが、当たり前に行われている土地なんですね。
それは日本が侵略をして、アメリカによる統治があって、理不尽な状況で、何とか生活を維持していくために、沖縄の人たちが闘ってきた歴史があったから。今でもそれが生きているのを目の当たりにしたときに、ただ漠然と社会の今のありようを受け入れるのは、一人の市民として違うなと。何かおかしいことがあったら、それに対してできることでコミットするのがあるべき姿だと身を持って思えるのは、ここ10年沖縄にいるおかげです。
ただ、自分と沖縄の人とでは立場が違うということは、常に自覚しておきたいし、その違いをリスペクトしておきたい。沖縄で何かをやるときはやっぱり沖縄の人々が当事者で、一番真ん中にいるべき。でも、真ん中にいる人しかできないかというとそうじゃなくて、色々な立場の人たちが互いの立場を認識しながら一緒に何かをやることはできる。
人権というのはすごく重層的で、沖縄に元々ルーツがある人たちの権利は、沖縄に引っ越してきた人の権利とは異なります。なので、あまねく関わりがあるということで共闘できても立場性は違う、ということも学びました。
ーー「はじめに」で、ご自身が広島出身であることについて書いています。今ご自身の中に広島はどんな形で存在しているのですか
私のアイデンティティは間違いなく広島。この本を書くとき自分が広島の人間だってことはすごい根本にありました。私が沖縄の問題に取り組まなきゃいけないって思ったのも、やっぱり広島出身だからだと思います。
小中高と広島で育ちましたが、広島の平和教育って、原爆が落ちて、どんなに人が苦しんだかというテーマや語り口や見方に基づく教育だったと思うんですよね。原爆の実相を伝えていく意味では、すごく価値のあることだけど、相対化できていないと思うんです。
留学先のカナダの学校にはアジアからの留学生もたくさんいました。そこで、原爆をテーマにしたレクチャーがあった。広島出身だから何か言わなきゃと思ったのに、日本という国が侵略戦争をして、植民地支配をしてきたアジアの国々の子や孫がいる前で、どう原爆被害を語ればいいのかがわからない。原爆をどう相対化して何を語ればいいのかがわからなくて口をつぐんでしまった。
それは沖縄に来たときも同じです。沖縄の新聞を見たとき、被害の歴史が同じように語られているけど、その被害の歴史の加害者は日本軍だったりする。被害の歴史を背負ってきた広島の人間として加害の歴史を背負っていたという、まったく自覚してなかったことを沖縄で突きつけられた。被害と加害という側面も見なきゃいけないし、もっと多様な視点を見なきゃいけない。広島の人間として足りないし、だから学ぼうと思った。
被害と加害を歴史として学んだ上で、この被害と加害をどう許し合ってどう新しい社会を作るかっていうところに初めて立脚できるのに、加害が隠されたままでは、次に進めない。
ーー2016年に当時米大統領だったオバマ氏が来訪して以降、広島では「和解」ということが頻繁に聞かれます
オバマ氏が被爆者と抱擁するのを、沖縄から見ていました。単純な人間なので、以前なら「なんて感動的なシーンだ」と思ったかもしれないけど、沖縄で「複眼的に見る」ことを学んでいたときなので、違和感がありました。核兵器を使用した国の責任を明確にしなくてはいけなかったのに、日本側も、広島側も、追及しなかった。だからそれが隠され、形だけの和解で感動が演出されたように感じました。
国際人権で言うなら、事実と責任を明らかにするプロセスがあり、その自覚の上での謝罪というプロセスがあっての和解です。責任の所在を明確化しない状態での和解はあり得ない。
私は、国際人権法を学ぶことによって、考え方の一つの指針を得られたと思っています。いろいろな事象があったとき、人権という枠組みに落とし込む考え方ができた。そこにいる私の立場性を理解する手助けとしても大きな指針になっています。
なぜ聞き遂げられないんだ、っていうぐらい沖縄の人々はしっかり声を上げてきたのに聞き遂げられないのはなぜか。そう考えたとき、立場が違っても理解せざるを得なくなるような理論をもっと身につける必要があると思ったんです。それを、私は国際人権法というところで見つけた。国際人権法の言葉で語れば、沖縄とハワイの共通点が見えてくるし、フィリピンと沖縄の共通点が見えてくるんです。沖縄と広島の共通点も見えるかもしれない。
そうすると、沖縄の訴えていることの中に、沖縄という土地だけはなく、日本という土地だけでもなく、世界的な普遍性が出てくる。そういう普遍性を持った言葉で沖縄を語ることによって、日本の意思決定者にも、訴えの正当性が伝わるという形にしなくちゃいけない。それができるのが国際人権という普遍的な法ではないかと思った。
体験や当事者としての思い、考えは沖縄の人しか語れないことだけど、逆にそこでなかなか説得できない人たちも、法とか論理で言うと説得されるかもしれない。だから、沖縄を理解する一つの方法論として、国際人権法があってもいいのではと思っています。
ーー体験の有無とか、その問題の当事者は誰なのか、とか、核兵器廃絶を訴える広島での語りにも通底することですが、沖縄の問題の当事者は誰ですか
最も民主主義的と言われたドイツの憲法のもとで、合法的にホロコーストという恐ろしい殺戮が行われた。その惨状を見た当時のリーダーたちが、人権を個別の国に任せていては守られないということに驚愕とともに気がついた。人権は、国という枠組みを超えて国際的に守っていかなければならないという考えによって国際人権法は生まれ、国を越えて人権を守っていく枠組みとなった。
だけど、それぞれの国に住む人たちの人権を守る責任はその国の政府に課されている。政府には、自ら人権を奪わない「尊重の義務」、第三者に侵害されないように守る「保護の義務」、そして人権を充足する「充足の義務」の3つの義務があると考えられている。国の中で、これは外国の人であろうと、国民であろうと、その国に住んでいる人たちの人権が侵害されているときに、その責任は政府にある。
なので、沖縄で生じている人権問題の一番の責任はどこにあるかと言われれば、日本政府にあると思います。ただ日本政府が何者かというと、その政府を動かしている国会を構成している議員を選んでいる日本人一人一人に、やはり究極的な責任があるし、選挙における投票行動の責任は重い。
ーー多くの人たちが反対の声を上げた改正入管法の問題にも通じる考えですね
そうですね。国際人権法は、人権擁護の責任を政府に課していますが、それと同時に、その一人一人が人権を実現していくために努力し続けなくてはならないということも前文で謳っている。それは、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とした日本国憲法も同じです。
途方もなくなるし、気が遠くなるんだけど、やっていくしかないし、それをやってきたのが沖縄の人々。アメリカによる統治という中で一つ一つ権利を勝ち取ってきている。一人一人が声をあげることの力を沖縄から学ばせてもらいました。
私が今Change.orgで働いてるのは、そこなんだって最近思いました。人権のことを法の論理に基づいて書くことを今もやってるけど、それだけでは実現しない。より良い社会を実現するためにはアクティビズムとか、いろいろな人の声が必要で、政治に意見を届ける政治活動も必要。Change.orgは、そういう声を上げる人を応援する場所で、そこに大きな力を感じています。
ーー広島出身で沖縄在住であるという立場で、「核兵器のない世界を」と訴える広島の声を大きくするために何が必要と考えますか
広島での語りの中では、加害者が誰かが見えにくい。教育でも、政治家の語りの中でも、原爆の加害者が誰かは、ぼやかされている。つまり、原爆においては被害者で、その直接の加害者はアメリカであるその構造をまず隠さないということが必要だと思う。その上で、原爆の被害だけでなく戦争の加害というものを歴史の中でしっかり捉えることが大事だと思います。原爆に至った背景に、太平洋戦争に突っ込んでいった日本の歴史や侵略の歴史がある。加害と被害をしっかりとまず歴史の中で重層的に把握することが大事だと思うんです。
歴史を見据えた上で被害を捉えると、普遍的な言葉で表すことが可能になると思うんです。それは人道に対する罪という言葉で表されるかもしれない。広島の原爆の被害というのは普遍的に捉えたときに何なのか、ということをしっかりと把握することによって、立場や状況が違う人にも「核兵器のない世界を」という訴えが普遍的なメッセージとして伝わるのではないでしょうか。
ーー原爆被害の特殊性、個別性だけでなく、普遍性と正当性をもった説明を加えないといけない、と。最近若い世代の中に、ほかの社会課題と交差させて核被害を語るナラティブが台頭していることはその一つの流れですね
政治家に直接会いに行って政治姿勢を引き出す活動をしている「核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)」という存在を知ったときに、とても嬉しかったです。広島から核兵器の廃絶を求めて活動している人たちが、核兵器だけではなく環境問題や沖縄の課題でも発信していて、広島を越えて日本を越えて、世界の人と議論をしている。若い世代のみなさんは被爆者の声を受け継ぎつつ、そして悩みつつだとは思いますが、果敢に自分たちの当事者性を持って言葉を紡いでいることをとても心強いと感じています。