もはや宗教の領域か?!脱スマホ・ケータイ宣言
もし、児童生徒のスマホやケータイ使用について強く関心を引くための宣言であるならば、その効果は絶大でしょう。ただ、それが反語的な修辞法ではなく、素直な表現であるとするならば問題を先送りするだけでなく、現実を見ない愚策であると言わざるえません。
ほぼ10年ほど前に、「中学生にケータイの利用を認めるべきか否か」という議論が盛んになされました。それこそ当時の大阪府知事が反語的な修辞法を用いて、「大阪府は小中学生のケータイ利用禁止!」と宣言し、話題になったのです。当時の知事の独特な言い回しで、極論から議論を盛り上げ、妥当で現実性のある解答を導こうとしたのだと考えています。
当時の議論からの結論として、小学校高学年や中学生については利用を禁止するのではなく、その利用方法について教え込むことが第一であると考えられています。結局のところ、高校大学、あるいは社会人になってから使わなければならない必須の道具であり、避けて通れないからです。スマホに限らずネットを使いこなすためには、少なくとも中学生になれば習熟する必要があると考えられます。ネットは他人と、あるいは機械とのコミュニケーションをとるための、今となっては必須の道具なのです。コミュニケーションの習熟には自我が確立した前後に行う必要があり、その学習および修練の機会を逃せば、結局、誰の目も届かないところで、取り返しの利かない大きな失敗や事故、あるいは事件を引き起こすことになるのです。