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久田将義氏に「生身の暴力」を聞きに行く 第一回

藤井誠二ノンフィクションライター

『生身の暴力論』(講談社新書)( http://goo.gl/sIzpkm )を上梓したばかりの久田将義氏は、元『実話ナックルズ』発行人だ。現代ではタブー視されているような題材やテーマでも、硬軟取り混ぜて誌面化する久田氏の編集者としての技が体現された同誌は、じつは私も愛読者の一人だった。久田牛は『実話~』以前から、編集者として現代のさまざまな「暴力」と向き合う機会が多かった。編集者という仕事を通じて、現代の暴力に「生身」で対峙した、自身のそうした取材経験を書いたものが本書なのだ。同世代でもある久田氏と語り合った。

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■綾瀬女子高校生監禁殺人事件1989

■「デビュー」の意味を考えてみる

■ヤンキーたちの価値観を考える

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■綾瀬女子高校生監禁殺人事件1989■

藤井:

ぼくが最初に取材を手がけた著名な事件は、1989年に発覚した東京都足立区の綾瀬で起きた女子高校生監禁殺人事件なのですが、久田さんとぼくは二つしか年も違わないし、あの事件の衝撃をリアルに受けましたよね。そもそも、このタイトルも含め、この本を書こうと思ったのですか。

久田:

編集者からあるときに、何か書いて下さいよと頼まれて、いいですよと言って、半年くらい忘れていたのです。けれど、「どうなりました」と聞かれて、一気に書き出したのです。今、社会の「言葉の暴力的」的なもの─ヘイトスピーチも含め─ネットに浮遊するのが多すぎると思っていました。そういった編集者として取材してきたことや、感じてきたことがモヤモヤしていたのですが、それをきちんと正方形くらいの形にしたいなと思ったんです。それで、暴力論はどうですかと提案したら、ではそれにしましょうという感じで決まりました。ぼくもカルく考えていたのですが、「暴力論」はすごく広いので、書くのにめちゃめちゃ苦労しました。

藤井:

久田さんの編集者時代は、暴走族とかヤクザとか近いところで取材しておられたので、当然、当時から色んな事を考えたりしてきたと思うのです。「暴力」と直面していた。そういう経験から考えてきた事の一つの集大成ともいえますか。

久田:

それもそうですね。ミリオン出版を辞めて2年くらいは経つので、離れて考えてみて、自分が接してきたのは「暴力」だったのだなと思いながら書きました。あとは、ぼくが「選択出版」にいた時、クレーム係だったので、政治家とかに怒鳴られたりしていた訳です。それも「暴力」だし、考えてみればいろいろな「暴力」に接してきたと思った。暴力論というテーマは漠然としていたけれど、そういうさまざまなかたちの「暴力」を書くなら、自分だと思ったんです。誰かが書かなきゃいけない。使命感と言うと大げさですけれど、誰かがやってみてもいいのではないかというノリで書きました。自分の経験をさらけ出すことによって読者に親近感を得られるかなと思ったのですが、読み返してみたら「自分語り」になっていやらしいなと思ったのでかなり削りました。自分の体験を照らし合わせる事件を考察したりすることのバランス感覚が難しかったですね。

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■「デビュー」の意味を考えてみる■

藤井:

ぼくが久田さんと重なるところは、さっきも言った綾瀬の事件や1980年代後半くらいからの少年や若者の暴力なのですけれど、久田さんは「デビューが早いか・遅いか」という不良少年の特性を書いています。昔からそのような感覚はあったんですか。

久田:

自分の通っていた明大中野中学は、「頭は良い」のですけれど悪い奴もたくさんいる不思議な学校だったので、「高校デビュー」とバカにされてました。もう今から30年くらい前の話ですけれど。デビューの遅い奴の犯罪はすごく酷いなとか、いたたまれないなという実感はありました。

藤井:

それは僕も高校時代あたりから感じていました。ところで、「デビュー」というのは、言葉にすると、不良やアウトローとして自分のいる「世界」に出て行くってことですか。よく、中学デビューとか、高校デビューとか言いますが、地域によってはもっと早い年齢のときに不良化する少年というか、子どももいます。久田さん的に「デビュー」というのはどういうふうに説明できますか。

久田:

だからといって、皆さんに早く「デビュー」しろという訳でもないし、書いてもいないのですけれど、デビューが遅い人間が起こす犯罪は酷いなと思っていました。「デビュー」を自分なりに定義すると、たとえば、自分の仲の良い人間とか、同級生の暴走族の連中は中学生からデビューして、アイパーをかけていました。今は普通に潔い人間です。話していても気持ちが良いです。それか、ヤクザになっちゃう奴もいるのですけれど、そういう酷い犯罪というか、綾瀬事件みたいな犯罪はしていないなと思ったのです。

藤井:

綾瀬の事件だと主犯は小三から、近隣の小学校とかに殴りこみとかをかけている。小学生からパンチパーマだった。でも、あんな事件を起こしてしまった。

久田:

主犯の他に5~6人いましたよね。綾瀬の主犯の場合は早くデビューしているのですけれど、その他の人間は高校デビューではないかなと思ったのです。あの辺の暴走族は「藁人形」です。

藤井:

「藁人形」の連中には、綾瀬の事件の取材の関係で、当時たまに会いました。「5人来てくれ」と言ったら、ファミレスに150人来た。あの時は本当に嫌でした。(笑) 俺一人だし。当時の暴走族は今よりももっと超ダサいというか、もう、かっこうがヤバすぎる。特攻服とか着てくるやつもたくさんいて、「気志団」の仮装パーティみたいなかんじですよ、今だったら。店に謝り倒しました。

久田:

怖くてお客さんがいなくなっちゃいますもんね。

藤井:

ええ、お客さんたちは皆、帰ってしまいました。

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■ヤンキーたちの価値観を考える■

久田:

「藁人形」の人間に訊いても「主犯のやつは顔を見た事があるな」とか、すぐ傍に「習志野スペクター」という暴走族がいたのですが、彼らに聞いても「(主犯は)集会には出た事があるんじゃないの?」くらいな感じだったので、いちおう、主犯のやつはデビューしていると思ったのですが、それ以外の、女子高校生を監禁していたやつとかはデビューしていないのではないかと思いました。藤井さんが当時、綾瀬の事件を取材して書いた『17歳の殺人者』など、何人かの書き手が書いたものを読んでそう思いました。

藤井:

「デビュー」というのは、暴走族などのある種、統率下に置かれたアウトロー的なグループや、地域のヤンキーグループのレールに乗るという意味なんですね。ぼくのイメージでは主犯はたしかにグレたのは早かったけど、あの地域ではそれほど珍しいことではなかったし、やつに従っていた連中もそのレールには乗っかっていないかんじがしました。むしろ当時から出遅れた感じはありました。そういう意味ではデビューは遅いと言えるのかも。

久田:

そう、そのイメージを言葉に直すと「デビュー」です。無理やりですけれど。(笑) 「デビュー」を何という言葉に置き換えようかと思いましたが。

藤井:

久田さんも『生身の暴力論』に書かれていますが、"先輩に褒められる"とか、やつらの、それしかない極端な価値がある。あとは、"地元を縄張のごとく愛する"とか。他のグループに舐められるというのは死に値するぐらいの価値が通用する世界で生きている彼らの中では、たしかに綾瀬事件の犯行グループは「デビュー」が遅かったかんじがします。主犯以外はほんとうに主犯に暴力で無理やり従わせられていたかんじです。ほんとうはグループというか、主犯の支配下から抜け出したくてしょうがなかった。つまり、「横」の繋がりがない。主犯が圧倒的な暴力で他のやつを従わせていたので、とにかく、女性を拉致・監禁するというような、めちゃくちゃな事をやって他のグループをビビらせよう、みたいな事は相当あったと思います。

久田:

綾瀬事件の犯行グループは地元に恥をかかせないとか、先輩に褒められると嬉しいとか、先輩に逆らえないという感じではなかったじゃないですか。主犯はヤクザにつながる人脈にもいたようですが。

藤井:

準主犯もヤクザと付き合わせられていた。

久田:

事務所に出入はしていたのですよね。ぼくは別に、不良少年をかばっている訳ではじゃないのですけれど、彼らには独特の地元愛と、独特の舐められてはいけない感があると思います。僕は暴走族の連載を『ナックルズ』でやっていたので、毎月、会っていたのですが、必ず最後に聞いていました。「あの(綾瀬の)事件はどう思う?」と。そう聞くと、「うちの地域ではやらせないですね」という言葉が返ってきました。ああ、綾瀬の犯行グループはちょっと外れているな、デビューしていないなという印象があった。あの事件に関しては、直接は取材をしていないので、藤井さんの本等で読むしかなかったのですけれど、見当は外れていないと思いました。

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■不良たちの集団が作り出したエアポケットにはまってしまった被害者■

藤井:

僕はあの事件をノンフィクション作品(当初は『少年の街』(教育史料出版会)、のちに『17歳の殺人者』(ワニブックス)に改題して再出版。さらに朝日文庫にはいる)として発表したのですが、ずいぶんあとになって、『漫画アクション』が復刊されるときに、実話をもとにした漫画をいくつか掲載するということになり、同事件をモデルにして創作物にして『17歳。』という漫画の原作を鎌田洋次さんと組んでやりました。最終的に単行本4冊になったのです。その時も、久田さんがおっしゃったようなテーマを考えました。女子高校生を監禁した部屋にかなりの人数が出入するわけです、じっさいに。強姦をしたりして、何事もなく帰っていくのです。誰も通報をしないし、監禁された空間だけ切り離されたようなところがあった。普通だったら先輩が注意したり、誰かが「さすがにやばいだろう」と誰かに話したりして、外にもれていくと思うのです。最後は被害者にオイルをかけて火傷させたり、めちゃくちゃな事をやり、暴力も常識を逸するようなものでした。不良たちの悪意のエアポケットみたいなところに被害者ははめられてしまい、それをテーマに漫画化したのです。ノンフィクションでは書けなかったことを提起してみました。

久田:

一線を越える感じですよね。実際、監禁していた女子高校生を見に来ていたのはどういう連中だったのですか。

藤井:

地元の奴らを主犯が呼ぶのです。どこかの暴走族の奴とか、ヤクザの下っ端のような奴を。そうすると「あの人(主犯のこと)は危ない」みたいなふうに見られるのに快感を得ていたようです。

久田:

主犯を抑えるような先輩はいなかったのですかね。頭が上がらない先輩のような存在は。

藤井:

タメをはっていたのは、いましたが、縦、横とも関係が薄い連中でした。組織化されていないというか、地元の不良連中からもはぐれているというか。

久田:

たとえば、関東連合とか怒羅権には逆らえないのだけれど、けんかは強いのでしょうけれど、もっと凶暴な関東連合や怒羅権には逆らえなかった人間というイメージを持ちます。そういう人が一番悲惨な事件を起こしちゃうのではないかなという。

第二回に続く

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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