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シリア:なぜかだれも触れない「あってはならないこと」

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 日本や欧米諸国の報道や学術研究を眺めているだけだと、シリア紛争やシリアを取り巻く外交環境は「相変わらず」に見えるかもしれない。しかし、トルコとシリアでの震災、シリアのアラブ連盟復帰など、状況は確実に変化している。それでも硬直的な状況分析や政策判断がまかり通っているのは、そのようにする主体がシリア紛争に対し予め立場や評価を固定させ、「あるべき姿」を夢見ながら事態を論じているからだ。このような行動様式の持ち主たちにとっては、「悪の独裁政権」である現政府が正統性や領域への統治を回復することは「あってはならない」ことなので、「悪の独裁政権」を打倒したり、その後により良い政治体制を作ったりする意志や能力のある主体が現場にはいないことを認められない。その一方で、彼らにとってシリア紛争の「反体制派」は客観的な情勢の変化のいかんを問わず「自由と民主主義を希求する善良な民衆」や「市民社会」だ。しかし、このような教条主義的な物語に囚われていると、現場で起きている本当に「あってはならないこと」を意図的に見過ごすことになる。

 2023年5月14日付『シャルク・ル・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)は、APを基にイドリブ市周辺を占拠するイスラーム過激派団体である「シャーム解放機構」の衣替え戦術について報じた。「シャーム解放機構」は、シリア紛争勃発当初は「イラク・イスラーム国」のフロント団体として、同派やアル=カーイダの正体を隠してシリアで領域や資源や権力を奪取するために送り込まれた「ヌスラ戦線」だ。同派は、2013年に「イラクとシャームのイスラーム国」に改称した「イラク・イスラーム国」とたもとを分かち、独自にアル=カーイダに忠誠を表明した。その後、「ヌスラ戦線」はトルコやカタルの支援を得て「シャーム解放戦線」と改称し、イドリブ県一帯の占拠に成功した。その上、国際的な認知や支援を受けやすくするためにアル=カーイダとの「分離」を進め、2017年には「シャーム解放機構」に改称した。しかし、「シャーム解放機構」は、「分離」によってイスラーム過激派諸派の大同団結を実現してほしいとのアル=カーイダの期待(なり指令)に反し、アル=カーイダと関係の深いものも含む他のイスラーム過激派諸派を追放・解体・制圧し、占拠地域での権力を独占してしまった。

 その「シャーム解放機構」が占拠地でしたことは、非ムスリムの虐待、宗教警察の設置、女性の抑圧をはじめとする住民の日常生活への干渉だった。このような状態は、「イスラーム国」と全く変わりがないと評されるほどだった。しかし、その一方で「シャーム解放機構」は、「シリアの反体制派」を装い、シリア領内で確固たる権力を確立する努力、そしてアメリカなどによる「テロ組織」指定の解除のための努力を怠らなかった。同派は、2017年に占拠地域に「シリア救済政府」なる機構を設け、日常的な行政サービスの提供を「外注化」し、イドリブ県などでの統治からイスラーム過激派色を薄めようと図った。また、上記報道によると、最近「シャーム解放機構」はキリスト教の教会の再開を認めたり、宗教警察を解散したりしている。さらに、同派の首領であるアブー・ムハンマド・ジャウラーニーは、西側諸国も含む国際的な報道機関の取材に愛想よく応じ、「多元性の尊重」や「多宗教への寛容」とのメッセージを発信するまでになった。

 「シャーム解放機構」がこのような行動をとるのは、自派の権力維持、シリアをめぐる外交環境の変化の中での生き残りを目指すからだ。自派の権力維持や存続のために当初掲げていた政治目標(この場合は偏狭で排他的なイスラーム統治の強制)を後景化するとなると、同派の行動は「強欲さ」によって説明がつくことになる。「強欲さ」とは、紛争の現場に現れる反乱軍・武装勢力・非国家武装主体の出現や行動を説明する際に用いられる要素の一つで、これに突き動かされる当事者は紛争を扇動したり、紛争に参加したりすることによって自らの政治・経済・社会的上昇を図る(つまり政治目標や人民からの支持なんてどーだっていい)者たちだということになる。もちろん、このような「シャーム解放機構」の振る舞いには、同派と敵対する(はずの)「イスラーム国」のファンを中心に連日罵詈雑言が浴びせられている。その一方で、「シャーム解放機構」がジハードやイスラーム過激派の政治目標を放棄することを、シリアの「革命の担い手」への変化として喜んでみていることはできない。

 というのも、首領のジャウラーニーをはじめとする「シャーム解放機構」が、元々はイラクでの凶悪な活動で知られた「タウヒードとジハード団」(現「イスラーム国」)の一員だったことは隠しようがないからだ。ジャウラーニーは、現在もアメリカ政府が1000万ドルの賞金を懸ける「お尋ね者」であり、アメリカの専門家の見立てでは「シャーム解放機構」が「テロ組織」指定を近日中に解除される見込みもない。「シャーム解放機構」やそのフロント政体に報道機関や援助団体がすり寄ってもとがめだてを受けないのは、アメリカが主導した「テロとの戦い」が矛盾に満ちた恣意的な営みであることを証明しているに過ぎない。アメリカは、現在も「シャーム解放機構」の占拠地で暮らす「ハードコアの」イスラーム過激派活動家の暗殺を続けている。これは、一見するとアメリカも「シャーム解放機構」の「脱イスラーム過激派化」を助けているかのように見える。ただし、これまでも指摘したように、「シャーム解放機構」の占拠地には「イスラーム国」の自称カリフをはじめとする重要活動家、「アンサール・イスラーム団」のような凶悪なイスラーム過激派、本来は中華人民共和国と戦うイスラーム過激派だったはずの「トルキスタン・イスラーム党」が身を寄せ、シリア人民の犠牲の上に安穏と暮らしている。もし「シャーム解放機構」と同派のフロント政体が、自由と民主主義と多様性を愛する「シリアの反体制派」ならば、これらの活動家や団体を真っ先に殲滅してくれるはずだ。特に、「アンサール・イスラーム団」は日本人殺害事件(2005年)を引き起こした団体で、筆者も同派には嫌な目に遭わされっぱなしなので、一刻も早く何とかしてほしいと思う。しかし、「シャーム解放機構」の占拠地が各地のイスラーム過激派の絶好の滞在場所となっている現状は変わりそうにない。

 つまり、「シャーム解放機構」の最近の行動は、資金洗浄ならぬ経歴洗浄、自派を「清く正しいシリアの反体制派」であるかのように見せかける偽装工作、政治目標を一顧だにしない「強欲な」武装勢力の振る舞いだということだ。同派の生き残りを見逃すということは、彼らが「イラク・イスラーム国」の一員だったころのイラク人民の犠牲、そしてシリア人民の犠牲を「なかったこと」にすることだ。シリア紛争を教条主義的・硬直的に認識し続け、「悪の独裁政権」の存続や復権を「あってはならないこと」とみなすのならば、イスラーム過激派(いや、それ以下の「強欲」集団)の生き残りもやはり「あってはならないこと」なのだが、後者についての情報発信は悲しいほど少ない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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