今改めて上方落語の神髄を味わう 「上方落語四天王」の至高の芸と功績
11月22日、上方芸能の殿堂、大阪・国立文楽劇場は、なかなかお目にかかれない人気落語家4人の顔合わせによる高座に沸いていた。六代目桂文枝、四代目桂福團治、二代目笑福亭鶴光、五代目桂米團治 、それぞれが上方落語唯一の寄席「天満天神繁盛亭」でトリを務める、人気と実力を兼ね備えた、まさに現代の“四天王”とでも言いたくなる四人だ。
「上方落語四天王」とは?
そもそもこの組合わせがなぜ実現したかというと、4人の師匠である“上方落語四天王”と称される六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝の口演映像を集めたDVDボックス『落語研究会 上方落語四天王』が11月23日に発売され、それを記念し、四天王の功績を讃える「上方落語四天王 追善落語会」が行われ、そこに四天王のスピリッツを受け継ぐ4人が揃って登場したというわけだ。開演前に行われた囲み取材で六代目文枝は「戦後、上方落語の危機をバイタリティある4人の師匠が救った。今年一月、三代目(桂)春団治師匠も亡くなって、四天王全員が帰らぬ人になり、ついに我々の時代に託されました。我々も道を切り拓きながら次の時代に引き継いでいく。そんな時期にこのDVDが発売されるという事は、これを観てもっと勉強して、少しでも四天王に近づけるよう頑張れと言われているよう」としみじみと語っていた。
高座の前には4人での座談会が行われ、それぞれの師匠との交流、とんでもエピソードを次々と披露した。さらに高座の“枕”(=本番目の導入部)でも四天王の素顔が語られ、文枝は「四天王も素晴らしいが、今生きている落語家を応援して欲しい。DVDも買い、繁盛亭にも来て」と笑わせていた。笑福亭鶴光はその独特の軽妙なリズムと“間”で「試し酒」を披露。桂福團治は「藪入り」で深い、いぶし銀の笑いで魅せ、桂米團治は、明るさと気品溢れる話術で「親子茶屋」を披露、そしてオリジナルか古典か、その演目が注目されていた桂文枝は、童謡唱歌に憑りつかれた会社員を、面白おかしく描く三枝時代のオリジナル落語「赤とんぼ」を聴かせてくれた。四天王の高弟による名人芸の熱演に、客席は爆笑につぐ爆笑だった。
“上方落語四天王”の存在は、落語ファンの間ではおなじみだが、知らないという人も多いと思う。四天王と呼ばれるほどの名人芸に触れるいい機会でもあるので、紹介したい。
戦後、上方落語は衰退の一途をたどり下火だった。そんな中、昭和22年、時を同じくして上方落語の世界の門をたたいた4人の若者が、後の四天王だ。4人は意識し合い、しのぎを削って芸に磨きをかけ、とにかく精進したという。当時数名しかいなかったベテラン噺家の元へ日参し、稽古をつけてもらったり、東京の落語家の元へも駆けつけ、ネタを継承すべく必死に稽古に励んだ。キャリア3年そこそこの20代前半の若い4人の肩に、上方落語復興の命運はかかっていた。4人は稽古を積みながらも、全国のお寺や公民館など、小さなところで草の根的に落語を披露し、上方落語の面白さが少しずつ全国に伝播し始めた。そんな努力が花開いたのは昭和30年代。4人に注目が集まったおかげで、わずか十数人しかいなかった上方落語界にはようやく落語家を目指す人材が増えてきて、賑やかさを取り戻した。そしてラジオやテレビの普及により、上方落語は息を吹き返した。松鶴、米朝、春團治、文枝の4人は当代きっての人気者となり、後に「上方落語四天王」と称され、東西問わず多くの落語家から尊敬を集め、多くの弟子を輩出し上方落語は、昭和30年から40年にかけて、第三次黄金期を迎えた。
四天王の名人芸を初めてひとつにまとめた、後世に残したい映像作品
『落語研究会 上方落語四天王』にはその貴重な昭和40年、50年代の高座がそれぞれ3席ずつ収録されている。当たり前だが何から何までもが全く違う芸風の偉大な4人の口演を、こうして一気に観ることができる幸せを改めて感じる。初見の人も、そうではない人も必ず楽しめる名演ばかりだ。
どこか愛嬌のあるドラ声、ダミ声が魅力的な六代目笑福亭松鶴は、豪快で力強く、繊細さを持ち合わせた芸風。酔態と子供の描写は他の追随を許さず、その豪放磊落さとのメリハリが魅力だ。DVDのライナーノーツに寄稿している芸能史研究家・前田憲司氏によると「壮年期(1977(昭和52)年まで)の松鶴の芸が、最も充実し素晴らしい」と言い、今回収録されている「高津の富」「遊山船」「貧乏花見」の3本はどれも“壮年期”のものであり、「松鶴落語の真の魅力がうかがえる」(同氏)。
落語家として初めて重要無形文化財保持者=人間国宝に認定された三代目桂米朝は、何色もの声を使い分け、多彩な言葉使いと細やかな仕草、テンポの良さで様々な人物を描き、その全てが決して大げさではなく繊細なところが、心地よさを作り出していた。上品かつストイック。人情噺はもちろん、芝居噺や滑稽噺などネタの豊富さは他を圧倒し、その中から「明治十年代という期間限定の噺なのにいまだに人気がある演目」(落語作家・小佐田定雄氏)という浄瑠璃噺「どうらんの幸助」、「東京の落語家でも演じる人が多い」(同氏)という米朝作の昭和の古典落語「一文笛」、「玄人落語家が聞いても騙されるほどの巧妙なトリック」(同氏)の「壷算」が収録されている。埋もれたネタを発掘し、仲間を増やし、弟子の育成に熱心に取り組み、上方落語復興の礎を築いた名人の、端正で品格ある噺は必聴だ。
上品さすら感じる低音が魅力的な、上方古典落語の正統派・三代目桂春團治は、枕をやらずにすぐに本題に入る独特のスタイルを貫いた、上品で職人のストイックさを感じる芸風が魅力的だ。羽織を真後ろに一瞬で落とす流麗な所作や、絶妙の間など全てにおいて“美しさ”を感じさせてくれた。DVDには十八番の滑稽話「野崎詣(まい)り」、「主人公の若旦那と優男の春團治の姿が重なる」(前出・前田氏)という「宇治の柴船」、そして「若い頃の春團治は踊りを売りにしていて、それを披露するために落語は手身近に演じていた。前座話に属するこのネタも春團治の手にかかると、立派な作品に仕上がる」(同氏)と絶賛する「月並丁稚」が収録されている。「70年に及ぶ落語家人生で演じたネタはおそらく二十に満たない。なのにずっとトップを走り続けた稀有な存在」(同氏)の春團治は、洗練された高い技術で芸を磨きに磨きあげた職人である。
その高い声は、時に色気さえ感じさせてくれ、陽気な語り口が魅力的な五代目桂文枝は、滑稽噺の第一人者だ。豪放さとしなやかさ、繊細さを持ち合わせ、上方特有の「はめもの」(三味線、太鼓、どら)と呼ばれる音曲を組み入れた高座が真骨頂で、女性を演じるのが得意だった。その優しく柔らかな芸風は「はんなり」と言われ、そこには若き日に、歌舞伎の下座囃子方を目指したキャリアが色濃く出ている。六代目桂文枝が、「上方落語四天王 追善落語会」での囲み取材で、DVDに収録されている演目の中で印象的なものを聞かれると、「「蛸芝居」が絶品。動き、話の運び方、これだけは我々には誰もできない」と絶賛。この他にも「天神山」「菊江仏壇」で、上方の濃厚な空気が楽しめる。
「上方として守っていきたいもの、これぞ上方というものを感じて欲しい」(桂米團治)
上方落語は江戸落語と比較すると、関西弁が持つ独特のリズムが味になっている。同じネタ、内容も江戸言葉と比べるとアクセントが強く、逆にそれが効果的だ。そして、関西弁特有の“どぎつさ”が、よくも悪くも上方落語の色になっている。そして文枝が得意とした「はめもの」、鳴物入りの演出も特徴のひとつだ。噺の途中に入ってくることによって、雰囲気と空気を変え、場面転換のおもしろさを強調し、お客さんを最後まで飽きさせず、ひきつける。この上方落語の神髄の全てを見せてくれるのが四天王の芸だ。
四天王が磨き、紡いできた上方落語は、その高弟達にしっかり受け継がれている。上方落語中興の祖といわれている三代目桂米朝の長男でもある五代目桂米團治は「上方として守っていきたいもの、これぞ上方というものをこのDVDで感じて欲しい」と力強く語っていた。