野球界のキャプテン・アメリカが下した“最後の復活”という悲しい決断
メッツは現地13日、マーリンズ戦前に記者会見を開き、デビッド・ライト選手からの要望で今シーズン限りで同選手を出場枠ロースターから外すことを明らかにした。また現在故障者リスト(DL)入りしている同選手を25日にDLから復帰させ、29日に本拠地で実施するマーリンズ戦に三塁で先発出場させることを併せて発表した。
ライト選手といえば、昨年10月に本欄でも報告しているように、2016年6月に頸椎ヘルニアでDL入りすると、そのまま長期離脱を余儀なくされることになった。その後も脊柱管狭窄症に悩まされ、首、肩、背中と3度の手術を受けながら復帰を目指して懸命なリハビリを続けていたが、2016年5月27日に公式戦出場を最後に、MLBの舞台から遠ざかっていた。
今シーズンも8月からマイナーリーグでリハビリ出場を続けていたが、思うように状態は上がらず遂に今回の決断に至ったようだ。約30分に及ぶ記者会見でライト選手は涙を浮かべながらも一度も「引退」という言葉を使わなかったが、29日のマーリンズ戦が“最後の復活”の場であり、引退試合となることを認めている。
「こういう状態になってから、再び期待に応えられるだけのプレーができるようになることを目指してやってきた。ただ気持ちは強くそう思っていても、身体はまったく別だった。連続して試合に出場することは自分にとってサバイバルのような状態だった。このまま続けても(復活できるという)可能性を見出すことができなかった」
ライト選手のデビューは今でも忘れることができない。2004年にMLBデビューを飾った当時、メッツには松井稼頭央選手が在籍し、多くの日本人メディアも取材に回っていた。2001年にメッツからドラフト1巡目指名された21歳の若者は、マイク・ピアザ選手を引き継ぐ次世代のスター候補選手として注目を集める存在だった。
その甘いマスクはスター性十分だが、それ以上に素晴らしかったのが性格だった。時には厳しい地元ニューヨークのメディアに対しても裏表のない対応ですっかり愛される存在だった。日本人メディアにも分け隔てなく接し、自分が取材してきたMLB選手の中でも、トップ10に入る“ナイスガイ”だった。その姿勢はメッツの主力選手になってもまったく変わることはなかった。この日の会見も引退表明会見であるにもかかわらず、開口一番「契約延長を発表するのだと思った」とジョークを飛ばす気遣いをみせていた。
デビューから周囲の期待に応えるような活躍を続け、スター街道を突き進んだライト選手。2006年オフには総額1億9200万ドルに及ぶ14年契約という超破格契約を結び、周囲を驚かせたりもした。だが人々が彼を最も印象づけることになったのは、自身2度目の出場となった第3回WBCだろう。その時にみせた米国代表チームを牽引する活躍から、いつしか“キャプテン・アメリカ”という称号で呼ばれるようになった。そしてメッツでも、2013年から現在に至るまでキャプテンを務めてきた。
そんなライト選手が残り2年の契約を全うできずにグラウンドを去る決断をせざるを得なかったのは、やはり切なさを感じずにはいられない。これまで個人タイルを一度も獲得したことはないものの、7度のオールスター戦出場が物語るように、“記録より記憶に残る選手”として人々を魅了し続けていた選手だけに、あまりに寂しい幕の降ろし方だ。
とはいえ自分の中ではキャプテン・アメリカはライト選手をおいて他には存在しない。これからも米国代表チームでホットコーナーを守った彼の姿が記憶に残り続けることだろう。