蜷川幸雄の舞台に多数出演の若き実力派、佐藤蛍。初の主演映画が公開へ
現在公開中の竹馬靖具監督の映画『ふたつのシルエット』は、なにか自分の中で大切であるがゆえに心の奥深くにしまい込んだ想い出の場面に、ふいに引き戻されるような切ない時間が流れる1作だ。
かつて恋人同士だった慧也と佳苗が7年ぶりに偶然再会。すでにそれぞれに別のパートナーとともに別の道を歩いている彼らが、現状と過去の記憶を往来し、もしかしたらありえた二人の未来を思いながら、互いの巻き戻すことのできない時間と現在地を確かめる。
もう二度と元に戻ることのない互いへの想いと、それでもあの瞬間は確実にあった狂おしいまでの愛が浮かび上がる本作で、忘れがたい印象を残すのがヒロインの佳苗を演じる佐藤蛍だ。
蜷川幸雄主宰の劇団に所属してきた彼女は、これまで舞台を中心に活躍。『ふたつのシルエット』が映画初主演になる。これからキャリアを築いていく過程にある新進俳優だが、ここでの演技は今後、舞台のみならず映画界での活躍を期待させるに十分。学生の残り香がある20代前半から、7年の月日を経て、自立した女性へと変貌を遂げるヒロインを確かな演技で体現している。
舞台から映画へ。「これまでやったことのないことにチャレンジできる喜びのほうが大きかった」
まず本人は、この映画との出会いをこう明かす。
「ありがたいことに竹馬監督からお話をいただいて、まず一度お会いすることになりました。
それまで竹馬監督の作品は拝見したことはなかったんですけど、お会いする前に監督の前作で、今回の『ふたつのシルエット』の共演者でもある足立(智充)さんが出演されている『蜃気楼の舟』を観させていただきました。
そのとき、『ふたつのシルエット』の脚本も一緒にいただいたのですが、正直なことを言うと、本を読んだだけでは、どういう作品になるのかまるで想像できなかったんです。
ただ、『蜃気楼の舟』を拝見して『ふたりのシルエット』の脚本と照らし合わすと、少しですが想像できたというか。竹馬監督の作品は、見る側にすごく想像力を委ねてくれる。こういうお話でこういう結末です、と明確なストーリーが語られるわけではない。現在と過去が幾層にも重なるような中から、その人物の心情が丹念に浮かびあがり、それを受け取ったこちら側はその登場人物の人生や抱えている思いをすごく想像してしまう。作品に余白がある。そこが興味深くて、ぜひやってみたいなと思いました」
それは舞台を中心に活動してきたひとりの役者としても大きなチャレンジになると思ったという。
「舞台は、やはりすごくセリフの量が多いですし、それこそ状況や心情を一気に語ることも珍しくない。舞台独特のセリフ回しを求められることもある。
ただ、こうした舞台で培ってきたものが、竹馬監督の作品に関しては一切通用しないというか、自分の武器として臨めないだろうなと最初に思いました。それ以外で今回は勝負するしかない。
でも、不思議と不安はなかったんです。むしろ、自分がこれまでやったことのないことにチャレンジできる喜びのほうが大きかった。
映画はほとんど経験がありませんでしたから、どうやってこの物語の世界を創り上げていくのかもわからなくて。その工程をひとりの演じ手として経験できることにすごく興味がありましたし、相手役の足立さんと一緒に演じる中で、どういう変化が自分の中に起こるのかも楽しみでした。映画で演じる楽しみが勝っていた気がします」
作品は、7年ぶりに偶然の再会を果たした佳苗と慧也が主人公。自然と想い出の場所へと足を向けることになる二人の物語をこう読み解く。
「元恋人であるかどうかとかにかかわらず、自分の人生においてすごく重要な位置付けになる人というのが性別も年齢も問わず、誰にでもいるような気がするんですね。いい想い出も悪い想い出も含めて、自分の心にいつまでも残っているような。佳苗にとって、そういう存在のひとりが慧也だったのかなと。
確かにこの作品はラブストーリーではある。ただ、それよりもわたしは人の心に大切な人がどのようにして残っていくのかが描かれている映画ではないかと思いました。
人生のターニング・ポイントの中で出会いながら別れてしまった大切な人と、どうやって過去も未来も折り合いをつけるのか。そういう深いテーマが隠されている気がしましたね」
その中で、佳苗という役をどう紐解いたのだろうか?
「竹馬監督から、佳苗はどういうキャリアを歩んで、こういう音楽を聴いているといった、かなり具体的なイメージを提示されたんです。そのことを聞いたとき、正直なことをいうと、わたしが想定していた佳苗とはかなり違って、最初はすごく戸惑いました。
ただ、竹馬監督から言われた佳苗が聴いている音楽を、毎日繰り返し聴いてみたり、リハーサルを経る中で、佳苗が自分に息づいていったといいますか。だんだんと理解が深まっていきました。
わたしの感じた佳苗は、ひとつひとつの人生の選択と真剣に向き合っている人。あまりなにかに流されて物事を決めたりはしていない。常に自分で判断している。そして、今を一生懸命生きている。常に真剣であるがゆえに、時に息が詰まってしまうときがある。なので、この映画で描かれる慧也との再会の1日は、瞬間瞬間で選択が迫られて、彼女にとっては葛藤の多いひどく長い1日なんじゃないかなと思いながら演じました」
作品は、慧也と佳苗の掛け合いにほぼ終始。ただ、互いのセリフが飛び交うような会話劇ではない。ある意味、使われる言葉は最小限。二人の置かれた状況や、相手の言葉を受けた瞬間のしぐさや過去の回想に思いを至らせた際の表情などで、その場の心情や感情を浮かび上がらせる。役者としては心技体すべてをフルに活用しなければならないような役といっていいかもしれない。
「それはもうわたしというよりも、慧也役の足立さんにすごく助けられたと思います。
足立さんは、とても自然な空気を持っているといいますか。ほんとうに無理なく、その場に存在されていて。
わたしははじめ、ちょっとパニックとまではいいませんけど、『どうしよう』と悩んで、けっこうガッチガチに緊張していたんです。どういうふうに存在すればいいかわからなくて。
でも、目の前にいる足立さんがあまりにも自然にそこに立っていらっしゃる。それで安心したといいますか、肩の力が抜けたところがあります。『あ、足立さんと一緒にやっていけば大丈夫だ』みたいな(笑)。
そこから自然体で立てたというか。セリフにしても動きにしても、『ここでこうしてこうする』みたいにあまり意識し過ぎなくていい。目の前にいる足立さんのことだけを見ていればいいかなと。
舞台の時は、それこそ出番の前になったらセリフを何回も言い直して、言葉を確認して、絶対かまないようにとか、飛ばさないようにとか、意識してなおかつ身体も温めて舞台に出ていく。でも、映画は違う。そこまで気を張っていくというよりも、その現場の空気にすっと溶け込んだほうがいいのかなと、足立さんをみていて思ったんです。ほんとうに足立さんには助けていただきました」
このように本人からは謙遜した言葉が並ぶが、20代前半から7年後の大人になった佳苗という微妙なブランクのある役柄を見事に演じ分けている。30歳の佳苗では成熟した大人の女性の姿を見せる一方で、23歳の佳苗ではまだあどけなささえ感じさせる若さを漂わす。
竹馬監督自身は、この7年というブランクに設定した理由を「もう忘れかけるぐらい遠くではあるけれど、まだその人への想いや記憶の残像がギリギリあるころ」と説明。映画では明かされていないが、現代の佳苗は30歳で、過去が23歳、現代の慧也が37歳で、過去が30歳としたという。
23歳と30歳、微妙な年月を経た佳苗を演じ切る
佐藤自身はこんなことを意識しながら演じ分けたという。
「現在28歳なので、まず、30歳はなんとなくイメージできたんです。考えると、女性は変化の起きる時期というか。周りの友人が結婚したり、子どもを産んだりといったことが多くなってくる。ある意味、ティーンの次に周囲のことに敏感になる多感な時期なのかなと。
そういうときに、過去に愛した人が突然現れたら、すごく戸惑うだろうなと思いました。その心の揺らぎをまずきちんと表現したいと考えました。
それから、見た目として23と30ですごく変わるかというと、人にもよるとは思うんですけど、そこまで大きくかわらないんじゃないかなと。実際、わたしも今と21くらいの時とでそれほど変わっていない。もちろん、近づいてよくみたら変わっているとは思うんですけど(苦笑)。
ゆえに、変化をつけるのはすごく難しいと最初は思いました。変化をつけすぎてもいけないですし、かといって変化がないわけではない。わずかな変化を見出さないといけない。
その中で、女性の場合、見た目とは別に30歳ぐらいでガラッと雰囲気が変わることは確かにあるなと思って。自分の経験でも、学生気分がいつまでも抜けなかった子が、久しぶりに会ったら、すっかり大人になっていたり、なにかすごくきれいになっていることがある。それは社会でもまれて、闘ってきての変化かもしれない。その変化はしっかり出せればなと思いました。
演じる上で意識したのは、30歳をベースにして、30歳の佳苗については自分が意識するよりさらに大人っぽいぐらいのイメージで演じました。23歳の佳苗については、無理に若さを出そうとするとわざとらしくなってしまう気がしたので、いまの自分をちょっとマイナスしたぐらいで大丈夫なんじゃないかなと。
あと、この映画自体が、時空をどこか飛び越えるところがある。シーンによっては、23歳の佳苗か、30歳の佳苗か定かではないときがある。たとえば慧也の視点に立つと、今の佳苗の中に過去の佳苗を見ている可能性もあれば、過去の佳苗に現在の佳苗を重ねたりする場面もある。なので、ここの年齢は絶対に23とか、30とかあまり考えないで、むしろ、慧也であり、みてくれた方にとっての想い出の中の人物として存在できればいいのかなと思いました」
こうしてさまざまなことを考えて演じ切った佳苗をいまこう感じている。
「作品の中で描かれる佳苗は23歳のときと、現在の1日ですけど、想像するに、このあと、結婚して、仕事もバリバリ続けていくんじゃないかなと。さらに自立した女性として人生を歩んでいくような気がします。そういう人としての『強さ』が彼女にはある」
初の主演映画になるが、これはどう受けとめているのだろうか?
「自分にとって初の主演映画ですから大切な作品であることは確かです。ただ、自分のことに関しては反省点だらけで、ほんとうにみなさんに支えられたなと。竹馬監督、足立さん、撮影カメラマンの佐々木(靖之)さん、みなさんプロフェッショナルで自分にとって大きな経験になりました」
忘れたくない大切な瞬間やささやかな幸せや喜びが日常にあることに気づかせてくれる作品
作品についてはこう言葉を寄せる。
「いまコロナ禍でいろいろと自由が制限される中で、当たり前の日常が当たり前ではないことに気づいた人も多いのではないかと思うんです。わたしもそうで。
こうなってしまった今、わたし自身は、ほんとうに何の変哲もない何気ない日常を描いたような映画とかをみると、すごく心が癒される。なにか忘れたくない大切な瞬間やささやかな幸せや喜びが日常にあることに気づかせてくれる。
『ふたつのシルエット』もみなさんにとってそういう映画になってくれたらと思います。見てくださった方の心がちょっとでも癒やされたり、元気づけられたらうれしい。
あと、わたしは中高6年間、女子校に通っていたんですが、いまでも電車とかで女子高生がワイワイ楽しそうに話しているところに出くわすと、胸にグッとくるんです。なにか、自分の学生時代の楽しかった記憶が甦ってきて。あのときの風景や人が面影となって脳裏に浮かぶ。
『ふたつのシルエット』も同じで、慧也と佳苗を通して、みなさんそれぞれの大切な人や大切な想い出の記憶がよみがえるんじゃないかなと思っています」
世界的名演出家、蜷川幸雄のもとで学んだこと
いま主演映画をやり終えたわけだが、先述した通り、佐藤はこれまで舞台を中心に活動してきた。ただ、本人は以前から映画にも興味があったと明かす。
「あくまで漠然とですけど、中学生くらいの時に、女優さんになりたいなって夢を抱き始めたんです。だけど、中高は芸能活動が禁止されていたので、大学生になったら始めてみようと思っていました。
それで中学と高校とまずは演劇部に入って、そのころから演劇や映画に足を運ぶようになって、いろいろな映画や演劇に出会いました。
いろいろな作品に触れる中で、やはり舞台だったら演出家、映画だったら監督に自然と目がいって、あくまで夢ですけど、演劇でしたら蜷川幸雄さんの舞台に立ってみたいなとか、あの監督の映画にいつか出られたらとか、思っていました。
なので、舞台も映画も分け隔てなく見ていたんですけど、演劇部に所属していたこともあって、やはり演劇の情報というのは自分のところにも入ってくる。たとえば蜷川さんの舞台も大々的なオーディションをやっていたりしました。
ただ、当時のわたしにとっては映画は逆にクローズドされているイメージというか。オーディションひとつとってもいつ行われているのかまったく情報が入ってこなかった。どうすれば映画に出られるのかまったくわからない。
あと、演劇部だったのでひとつの舞台を作り上げていく工程は現場の実体験として想像できるところがある。でも、映画がどのように現場で作られていくのかは、実際の現場を体験していないのでわからない。
映画は、このシーンってどうやって作ったのか、まったく想像ができない。映画はわからないことだらけで、それで映画を学びたくて、大学は映画学科に進んだんです」
こうして彼女は日本大学芸術学部映画学科へ進学する。
「授業は実践重視のところがあって、映画作りを一から学べて、なんとなく映画の舞台裏も理解できるようになりました。もちろん映画に出てみたいという気持ちも高まりましたね」
ただ、大学3年生の2013年に、蜷川幸雄が主宰する、彩の国さいたま芸術劇場を拠点とする若手演劇集団「さいたまネクスト・シアター」のオーディションに合格。そこから役者としての活動は自然と舞台が中心になっていった。
「さきほど触れたように、蜷川さんは憧れの存在。2018年にお亡くなりになりましたが、当時もすでにご高齢で、今出会っておかないと、もう一生出会うことはないかもしれない。蜷川さんのもとで学べるのは今しかないと思いました。それで大学3年生のときにオーディションを受け、無事合格して劇団に入ることができました。
一方で大学で学ぶことで映画のことも自分の頭からは離れませんでした。なので、その時点では、舞台を中心にやっていこうという考えもありませんでした。
ただ、やはり劇団に入ると定期的に公演があることもあって、それを中心に活動が回っていく。まだ役者として駆け出しでもありますし、とにかく一生懸命あらゆることを吸収しようと奔走していたら、いつの間にか何年か経っていて舞台中心の生活になっていた感じでした。
でも、その間にも映画に出演したい気持ちは途切れることがなくて、大学では友人たちと自主映画を作ってみたりもしていました」
世界的な演出家である蜷川からは多くのことを学んだという。
「蜷川さんが、たとえ自身が出演していない舞台でも劇場に通うことをよしとしてくださって。蜷川さんが演出する舞台に関しては、稽古も好きに見学することができたんです。
蜷川さんの手掛けられる舞台ですから、それこそ演劇界の名優から、映画やテレビで大活躍されている俳優の方もいらっしゃる。そういう方々の演技を、間近にみることができるなんてそうはないですから、ほんとうに贅沢な時間で勉強になりましたね。
あと、そうした第一線で活躍されている俳優の方の演技を拝見すると、その方が出演されている映画がやはり気になって。比較というわけではないんですけど、こういう場面ではこういうお芝居をするんだとか、勝手に検証して研究していました(笑)。
いろいろな役柄をこなしてしまう俳優さんを実際に見てしまうと、やはりどうしてそうなれるのか気になるんですよね。若い時は、この方はどんな作品に出演されて、どんなお芝居をしていたのかまで気になってしまう。
どういうキャリアを歩んで、どう演技を構築していけば、そこに到達するのか紐解きたくなってしまいます。
たとえば、お名前を挙げてしまうと、田中裕子さんが稽古場にいらしたときがありました。もともとすごく尊敬している女優さんのひとりで、食い入るように稽古をみていたんですけど、映画やドラマのときとはなにかが違う。
その違いはどこにあるのか気になって、家に帰って田中さんの若いころのドラマとか見てみる。するとやはり発見がいっぱいある。あくまでわたしの解釈でしかないんですけど。
そういうことをしていろいろと考えるんですけど、それでも解き明かせないというか。自分ならこういうアプローチをするとか、こういう演技がベストではないかとか考える余地がないくらい、すごい役者さんもいて、そういうときはもう思い切り、打ちのめされます(苦笑)。
いくら検証してもそれが自分の身になるかはわからない。実際、自分が演じることになったら、そういう独自のメソッドは忘れちゃうし(苦笑)。でも、そういうふうにお芝居を細かく見ることが好きですね」
こういう学びを忘れない姿勢もまた蜷川の教えによるところがあるという。
「中高ぐらいからそういう演技の分析をするのはやっていたんですけど、蜷川さんの劇団に入ってからより意識してみるようになりましたね。
蜷川さんからいわれていたんです。『稽古場に来てもいい。でも、ただただ見て、ああ上手だったとか、おもしろかったといって帰るんだったら来ないでくれ。必ず何かを得て帰ってくれ』と。
つまり物事を漫然と見るなということ。ひとつでもいいから自分の実にして次に、自分(蜷川)の前で演技をするときに、『ああ、あいつはあれを見てたから、こんなのができるようになったんだなと、自分を驚かせるようなものを見せるために来てよ』みたいなことを言われたことがあるんです。そのとき、『あ、ただぼーっとみるだけじゃダメ。自分なりにいろいろと意識してみないとな』と心に決めたところがあります。
まだまだキャリアも浅くて、ひたすら学んでいかなければならないので、自分なりの学びだと思って今も続けています」
舞台も映画も垣根なくやっていきたい
こうしたキャリアを経て、今回、いわば念願でもあった映画初主演を果たした。今後は、どんな俳優を目指すのだろう?
「舞台も映画も垣根なく、ぽんっと飛び越えて欲張りにいろいろできたらいいなと。『これやってみませんか』という声をかけていただけたら、もう、何でもやってみたい気持ちでいます」
『ふたつのシルエット』
監督・脚本・編集:竹馬靖具
出演:佐藤 蛍 足立 智充 jan and naomi
アップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷にて公開中。以後、全国順次公開予定。
場面写真はすべて(C)chiyuwfilm