貧者用ドアとエコノミック・アパルトヘイト
ニューヨークのマンションが、正面玄関とは別に「プア・ドア(低額所得者用の玄関)」を設けているということがスキャンダラスに報道されたとき、わたしが思い出したのはITVのドラマ『Down Town Abbey(邦題:ダウントン・アビー 〜貴族とメイドと相続人〜)』だった。1910年代の貴族の館が舞台になっているあのドラマでも、優雅な暮らしを送る上階の貴族と、芋の皮を剥いたり破れた服を繕ったりしている下階の使用人たちは別々の玄関を使用している。この「プア・ドア」はすぐ英国人が真似をするな。こういうのを見るとDNAがざわつく筈だ。と思っていると、もうすでにロンドンにはそういうマンションがあるのだそうで、「ニューヨークの話で騒いでいる場合じゃない。ロンドンでは貧者の隔離がすでに進行中だ」とガーディアン紙が伝えている。
大都市では住宅価格が高騰し、庶民が暮らせない街になっている。そこでニューヨークやロンドンでは、市が「手頃な家賃」の住宅を確保するスキームを考え出した。その一つは、都市デベロッパーが大規模マンション建設を計画する場合、マンション内に一定数の「手頃な家賃」の部屋を含む開発計画でなければ建設許可を降ろさないといったものだった。
こうした背景で富裕層向けのハイクラスな部屋と、庶民向けのベーシックな部屋が同じビルの中に存在する大型マンションが首都圏に登場することになった。が、ロンドンのマンションの幾つかでは、豪華なガラス張りの正面玄関はハイクラスな部屋の住民しか使用できず、ベーシックな部屋の住民は別のドアを使用しているという。その事実はマンションのパンフレットにも明記されており、「(低額家賃の部屋がある)北棟の住民は、正面玄関とは違うドアを使用。ゴミを出す場所も別に設けられており、北棟の住民には地下駐車場も自転車置き場も使用できません」と記されている。
都市デベロッパーにしてみればマキシマムな利益を上げたいのは道理なので、役所が「一定数の安い部屋も作れ」と要求すれば、その一定数しか作らない。ニューヨークのマンションでは、「手頃な家賃」の部屋が約50戸、富裕層向けの豪華な部屋が200戸以上なので、プア・ドアから出入りする人々は建物の中では少数派になる。デベロッパーが富裕層テナントに対して、「少数派の貧しい人々は別の玄関を使いますし、ゴミ出しも別々の場所ですから、顔を合わすことはありません」と保証しているように聞こえるパンフレットはなかなか強烈なので、「エコノミック・アパルトヘイト」と批判する声が上がり、ニューヨークのビル・デブラシオ市長は、市内のマンションに「プア・ドア」を作ることを禁止する意向を示した。
こうなってくると、ロンドン市長のボリス・ジョンソンも同じように禁止に動き出すだろう。と思われていたが、ボリス・ジョンソンは「プア・ドア」を禁止しないと発表した。
「この問題の難しさは、デベロッパーにも言い分があるということだ。彼らは、管理費や共益費などをマンションの住民全員に平等に負担させることはできないと言う。だから、別々の玄関が存在しているのだ」
とボリス・ジョンソンは言う。つまり、富裕層は高額の管理費や共益費をチャージされ、庶民層は低額しかチャージされていない。だから富裕層は豪華な玄関を使用するべきで、庶民層は質素なドアから出入りしろ。というわけだ。キャピタリズムの鏡のような見解だが、キャピタリズムの行き詰まりが国際的に指摘されている現代にあって、英国はディケンズの時代に逆戻りしているように見える。
左寄りの新聞、ガーディアン電子版の読者コメントを読んでみた。
●同じ玄関を使うようになれば、スーパー・リッチが有り余った資産を貧しい人々のために使おうという気にもなるのではないか
●アパルトヘイトはネルソン・マンデラが釈放されたときに終わったと思っていたが、英国の都市部には残ってたんだな
保守派のデイリー・メイル紙の読者コメントはこうだ。
●首都圏のマンションに「手頃な家賃」の部屋を含むことを強制する必要はない
●管理費や共益費を平等な金額で負担できない人々が、負担できる人々と同じ権利を要求するのは理に適っていない。それとも英国は社会主義国なのか?
こっそりと以下のようなコメントも混ざっていた。
●クラス・ウォーが再び始まった。
ミドルクラスの奴らはイズリントン(注:ファッショナブルな高級住宅街)に帰ってラテでも飲んでろ
ほんの3年前の8月、ロンドンの街は暴動の火で燃えていたのだ。