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アドミラブル産駒メイショウサチダケの勝利からはじまる次の夢

勝木淳競馬ライター

秋競馬開幕初日、阪神5R2歳新馬戦(芝1400m)は3番人気メイショウサチダケが逃げ切った。これがアドミラブル産駒のJRA初勝利だった。地方ではマイラブトゥルーが川崎で新馬勝ちを飾った。初年度の血統登録数わずか34頭のなかから初陣を飾る馬を2頭出した。

■アドミラブルが歩んだダービーへの道

アドミラブルは父ディープインパクト、母スカーレット、母の父シンボリクリスエスという血統構成で、スカーレットの母グレースアドマイヤはリンカーン、ヴィクトリーをこの世に送り、一族にはアリストテレス、イクスプロージョン、フアナ、アールドヴィーヴル、アドミラブルの妹エスポワールなど重賞戦線で活躍した馬が多い。

良血アドミラブルといえば、私にとって「青葉賞馬を日本ダービー馬にする会」を離れるきっかけになった馬でもある。デビューは2歳9月と早い時期だったが、その後は喉に疾患をかかえており、約5カ月半の休養に入った。戦列復帰は3歳3月上旬。皐月賞出走は厳しいものの、まだダービーにはギリギリ間に合う。しかし、2カ月半という期間を考えれば負けられなかった。復帰戦の未勝利戦は新馬戦と同じ阪神芝1800m。序盤、ある程度速めの流れのなか、中団から抜け出し、2着メルヴィンカズマに2馬身半差と快勝した。

3戦目は阪神芝2400mのアザレア賞。競馬場は違えど、ダービーと同じ距離への出走は目標を明確に示した一戦でもあった。だが、負ければ、その道はたちまち閉ざされていく。遠くにそそり立つに頂点への道はこの時点では細い一本道しかない。脇道へ逸れてしまえば、次の目標に切りかえなければならない。

レースでは3歳春の若駒には長い距離を意識したか、前半1000m1.05.0と極めて遅い流れになった。こうなると、後半勝負になる。最後の800mは12.4-11.0-10.9-11.8と10秒台のラップが入るハイレベルな決め脚比べのなか、アドミラブルは3、4コーナーでペースアップに合わせて進出し、上がり最速33.5を叩いて2着アドマイヤロブソンに3馬身差をつけた。この走りに底知れぬスケールを感じたものだ。アザレア賞で2勝目を挙げたとなれば、次は青葉賞。ダービーへ向かうための最後の壁だ。

■青葉賞からダービーへ

青葉賞は皐月賞の2週間後、舞台はダービーと同じ東京芝2400mであり、ダービーの4週間前に行われるトライアルレースだ。まったく同じ舞台のトライアルのため、有力候補に躍り出るレースではあるが、これまで青葉賞からダービーを勝った馬はいない。アドミラブルの母の父シンボリクリスエスも2002年青葉賞を勝ちながら、ダービーはタニノギムレットに1馬身及ばず2着に敗れた。

そして、いつの間にか、「青葉賞馬がダービー馬になる瞬間を見たい」と願う人があらわれるようになった。競馬は、劣勢の状況や前例なき挑戦に期待を抱く、そんな夢の付託に自分の人生を重ねるものでもある。「青葉賞馬は勝てない」そんな声が周囲にあればあるほど、頑なになる。それもまた競馬だから許される。

アドミラブルは青葉賞を勝った。それも勝ち時計2.23.6とダービーを超えるような記録を打ち立て、2着ベストアプローチに2馬身半差をつける圧勝劇だ。いよいよ青葉賞がダービーを勝つときが来た。私もそんな確信を抱いたひとりだった。

「これで勝てないなら、もう厳しいかもしれない」

勝手にそこまで想いを膨らませていった。だが、アドミラブルが皐月賞組を抑え、1番人気に支持されたことを考えると、あながち私だけが思い込んでいたわけではなかった。ついにダービーを勝つときがきた、はずだった。

だが、レースはアドミラブルが後方に位置するなか、前半1000m通過1.03.2と稀にみるスローペースに陥った。このままいけば、届かない。観衆も騎乗する騎手たちも感じたことは同じだ。後方の外目にいたレイデオロが向正面で一気に順位を上げていく。東京芝2400mでは掟破りのまくりを仕掛けたのだ。このとき、アドミラブルも一緒に動きたかったように見えた。だが、密集した馬群のなか、進路がなかった。騎手の後悔と無念が痛いほど伝わってきた。

4コーナー2番手につけたレイデオロが抜け出す。アドミラブルは12番手から末脚勝負に出る。記録した上がりはレイデオロ33.8に対し、アドミラブル33.3。上がり最速は記録できたが、位置取りの差が明暗を分け、3着に終わった。勝ち時計は2.26.9で青葉賞より3秒3も遅かった。競馬は展開や馬場といった条件によって、決着することがあり、時計だけでは語れない。競馬の奥深さを伝えるとともに、私の「青葉賞馬をダービー馬に」という夢にひと区切りつけるダービーだった。

■メイショウサチダケの初勝利からはじまる次の夢

あれから6年が経ち、アドミラブルの血を受けた馬たちが競馬場に姿を見せ、メイショウサチダケがJRAの新馬を勝った。初年度の血統登録数は決して多くはないだけに、この新馬勝ちは価値がある。いつか、アドミラブル産駒のなかから青葉賞に、いやダービーに挑む馬があらわれたとしたら。そんな次の夢が当時、アドミラブルを応援したファンのなかに芽生えた気がする。メイショウサチダケの勝利は、このようにアドミラブルの記憶を掘り起こしてくれる。この血の連鎖こそ、競馬を長い愛せる魅力のひとつ。ファンにはそれぞれファンであり続けた年月だけ記憶と物語が残る。

競馬ライター

かつては築地仲卸勤務の市場人。その後、競馬系出版社勤務を経てフリーに。仲卸勤務時代、優駿エッセイ賞2016にて『築地と競馬と』でグランプリ受賞。主に競馬雑誌『優駿』(中央競馬ピーアール・センター)、AI競馬SPAIA、競馬のWEBフリーペーパー&ブログ『ウマフリ』にて記事を執筆。近著『競馬 伝説の名勝負』シリーズ(星海社新書)

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