【中津川市】江戸時代のジャンクション!そして、水路にまつわる歴史とは?
メイン道であった中山道から苗木方面に向かう脇街道、苗木道。苗木道はここから中山道に別れを告げて、先日お伝えした青木稲荷神社、津島神社を通り、木曽川を超えて苗木に向かうのですが、今日はこの分岐点周辺のお話です。
今の時代で言えば、ジャンクションですね。
さて、ジャンクションから中山道方面へ向かうと石碑が。
体は1つ、男女2人の顔を持つ像。珍しいですね。道が2つ分かれるからこのような像があったんでしょうか?こちらは中津川市の指定文化財になってます。
さらに進むと一里塚に。こちらは江戸時代は今の3倍くらいの大きさだったらしいですが、今の3倍ってかなり大きいです。一里塚ですから存在感ないといけませんよね。
さらに進むと、上用水之碑が。
※なおここは休憩所でもあるのですが、鎖で閉鎖されていることもあるので、使用に注意が必要です。
碑によるとこの辺りは水路が乏しく、田畑の開発が進まない地域だったとのことです。水路の開拓が行われたのは明治に入ってからとのことなので、長い間とても苦しい時代が続いたのですね。
今は水路も確保されて、きれいな水が流れています。
春になってくるとハイキングする方も多くなってくるので、田畑の美しさや花を愛でながら歩くのもいいですね。
苗木道~上用水之碑
住所:中津川市駒場周辺