「NEXT芸人大賞」優勝の「デルマパンゲ」を支える先輩の存在
独自の世界観を持ったネタで芸人仲間からも一目置かれるお笑いコンビ「デルマパンゲ」の広木英介(36)さんと迫田篤さん(37)。今月開催された「第1回NEXT芸人大賞」でも優勝するなど存在感を見せています。オンリーワンの道を行く二人が目指すところとは。
広木:「NEXT芸人大賞」で優勝できたというのは純粋にうれしいですし、何かしら評価をしていただくというのはありがたいことだと思っています。
迫田:いつまで「NEXT」の存在なんだということもありますけど(笑)、優勝できたのはうれしく思っています。
新型コロナ禍でこれまでなかった配信が当たり前になったり、いろいろと状況が変わっている中で評価をしてもらえるのは本当にありがたいなと。
コロナ禍の最初の頃は漫才中もアクリル板を置いてマイクも2本用意されてという状況だったんですけど、その中で考えられるボケは全部やったりもしました(笑)。
なかなか先が見えにくい状況ではありますけど、その中でもできることを模索する。それが少しでも前向きなことにつながればなと。
広木:あと、配信でこれまでになかった収入が得られることもありがたいですし、自分らのネタを簡単に映像で振り返ることができるようになったのも実は大きいなと。見返すことによって、いろいろと確認できることもありますしね。
迫田:YouTubeもコロナ禍をきっかけに始めましたし、止まっていても仕方ない。それによって動けた部分もあったと思います。
広木:ただ、やっぱり無観客というのは今でも慣れないですね。何も反応がないので、迫田がボケて自分がツッコミを入れて、そこでシーンとなる。当然なんです。誰もいないんですから。
でも、今までだったらそこで多少なりとも笑いがあったところで無音というのは、自分がとんでもなく的外れなツッコミを毎回しているような気になって(笑)、今でも何とも言えないやりづらさを感じてもいます。
それもアリなのか
広木:コロナ禍のみならず、いろいろと悩むこともあるんですけど、本当に先輩に恵まれているというか、幾重にも助けてもらっています。
今はコロナ禍でなかなか行きにくくはなったんですけど、僕らは二人とも「笑い飯」の西田さんに頻繁に飲みに連れて行ってもらってまして。
今はコンビ別々に誘ってもらうことが増えたんですけど、昔は二人そろって誘ってもらうことも多くて。その場でもいろいろな学びをいただいてました。
僕はツッコミなので、ボケである相方に寄り添うというか、相方が言ったことについていってその都度しっかりと処理するのが自分の仕事だと思ってきたんです。
ただ、西田さんはいろいろなパターンを見せてくださるというか、迫田がいろいろしゃべった後に「分からん!」というひと言で笑いにされたりもする。
細かいことかもしれませんけど、以前の自分の考えからいうと「分からん!」というのはツッコミとして職務放棄というか、それはナシという考えだったんです。
だけど、その方向にも正解があったのか。それもアリなのか。そんな広がりをナチュラルに見せてもらっています。
迫田:それでいうと、僕は鳥山明さんから学びを得てますね。
広木:すさまじい方向転換、大丈夫か?
迫田:鳥山明さんがまた「ドラゴンボール」の新作の原作を手がけられていて、もう年齢的には60代半ばのはずですけど、それでもアイデアが出てくるというのはすごい話だなと。
スポーツみたいに、どこかで才能も頭打ちというかピークを迎えて後は落ちていくだけみたいなことになるのかなと思ったら、本当にすごい人はまだまだ出てくるんだなと。そこは一つの希望として見ています。
広木:ただ、鳥山明さんやからな…。比較対象が凄まじいというか。
迫田:いつまでも進んでいけるという一つの例ではありますから。何とかこの先に、深夜のテレビの枠で夜の街に出て不良を諭していくような“夜回り先生”みたいな番組ができるよう、頑張りたいと思います。
広木:何をやるのも自由やけど、よりによってそこなんか(笑)?
ま、コンビとしてもやりたいこと、やらないといけないことがたくさんあるのは事実ですし、なんとか一つ一つ積み重ねていきたいと思っています。
(撮影・中西正男)
■デルマパンゲ
1985年4月14日生まれの迫田篤と、同年8月12日生まれの広木英介がコンビ結成。高校の同級生同士で、ともに福岡県出身。他の相方とお笑いコンビ「デルマパンゲ」を組んでいた迫田がコンビ別れを経て、広木を新しい相方として招き入れる。2019年、審査員がネタを音声のみで審査する異色のお笑いコンテスト「MBSラジオ演芸 第7回ヤングスネーク杯」で優勝。今月行われた「第1回NEXT芸人大賞」でも優勝した。4月29日には大阪・道頓堀ZAZA HOUSEで同期の「吉田たち」を迎えてのイベント「迫田たちのネタとトーク」を開催する。