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ツアーファイナル:錦織圭、迷いを振り切りフェデラーと対戦へ。敬意を向け合う者同士の「楽しみ」な一戦

内田暁フリーランスライター
ツアーファイナルに集う8選手。一番左が錦織、左から4人目がフェデラー

■両者にとり思い出に残る、9年前の初練習の日■

9年前……17歳の少年と初めてボールを打ち合った日のことを、“生きる伝説”とまで呼ばれる史上最高のテニスプレーヤーは、はっきり覚えているという。

「まずは、スピードが素晴らしかった。ごく自然に無理なく、効果的に走っていた。

次に、パワーがある。バックハンドで、とてもパワフルなショットを鋭角に打っていた。今では、バックのクロスからストレートに切り返すんのが誰より上手いしね。

そして、フォアハンド……僕はこのフォアが好きなんだ。バックハンドはフラットだが、フォアは鋭い弧を描く」

一目見るなり、その才能は時の世界1位の目にも明らかだった。もちろん、将来的にプレーヤーとしてツアーを回っていくには、それだけの覚悟ができるかというのが重要になるが、「彼は、その点に関しても問題がないように感じた」のだと言う。

果たしてロジャー・フェデラーは、初めての練習で才能を認めたその少年が、自分に向ける果てしない尊敬の眼差しと、胸を満たす感激に気付いていただろうか? 日頃は、例え相手がトッププレーヤーでも一緒に写真を撮ることを好まぬ17歳は、この時ばかりはフェデラーとは同じフレームに収まり、その一枚を松江市の自宅のピアノの上に飾っていた。

月日は流れ、その時の少年――錦織圭――は、世界のトップ8のみが立つことを許される、選ばれし者の決戦の舞台へと立つまでになった。フェデラーは依然として、錦織が最も尊敬するプレーヤーである。

ATPツアーファイナルズのラウンドロビン(総当たり予選)の最終戦で、錦織圭はフェデラーと対戦する(日本時間19日深夜)。今回の対戦は6戦目。過去の対戦成績は錦織の2勝3敗。対戦は、もはや珍しいことではない。既に勝利も得ている。それでも、錦織は言う。

「今でも彼と対戦するときは、初めて対戦するときのようなワクワクした感覚がある。ツアーの中で一番好きな選手なので、その選手と対戦し、最近では勝つ気持ちでも行けている」

フェデラーが言う。

「圭は、ツアーの中でも見て最もワクワクする選手の一人だ」

■全米オープン初戦敗退の失意から、再びテニスへ心が戻るきっかけに■

最近の錦織圭の動向を追っているファンなら御存知だろうが、9月上旬の全米オープン初戦で敗れて以降の彼は、本人曰く「モヤモヤした」日々を過ごしていた。勝機を得つつも、勝敗を分ける重要な数ポイントを取りきれず敗れる試合が続く。その「モヤモヤ」の端緒はやはり、マッチポイントを手にしながらも逆転を許した、全米オープン初戦の初戦敗退にあっただろう。

昨年は決勝まで進んだニューヨークの会場を早々に去り、人もまばらなフロリダのアカデミーに戻ったとき、錦織は「なんで、俺はここに居るのだろう」と茫然とした。3日間ほどは、ラケットを手にしなかった。それどころか、ベッドから起きることすら億劫だ。テレビをつける気にもならない。それではダメだと思いつつも、心はテニスに向かわなかった。

しかし敗退から一週間ほど経った頃から、一年前には自らが熱狂と興奮の中心に居た……そして今年は他人がその渦の中に居る全米オープンの様子を、彼はテレビで見るようになっていたという。

「全部、フェデラー目当てでした」

34歳を迎えてよりスピーディに、より攻撃力を増した新スタイルを確立させたフェデラーのプレーを、彼は少年の頃と変わらぬ興奮と好奇心で見ていたのだ。敗戦の失意の中、テニスから心が遠ざかっていた錦織を再びテニスに引き戻してくれたのは、尊敬の目を向け続ける憧れの選手だった。

やや余談になるが、以前に錦織のインタビューをしたとき、こんなやりとりがあった。

会話の流れからフェデラーに話題が及び、「なぜフェデラーはこの年齢に達し、なおかつ手に入れられる記録やタイトルも全て手にしたのに、まだテニスを続けられるのだろう」という話になった。「彼は、楽しそうにテニスをやってますよね?」、軽い気持ちでそう振ると、錦織はやや怪訝そうな表情を浮かべて答えた。

「う~ん、いや、確かにそう思いますけど……思いますけど、俺もそうやって言われることがあるので……決して楽しい訳じゃないときに『楽しそうだねって』。あ、そう見られているんだって思うときがあります」

フェデラーの話から発展し、彼はスッと自らの胸中へと踏み込んだ。彼はどこかで、常にフェデラーと自分を重ね合わせて見ているところがあるのだろうか……そんな風に感じたことを、印象的に覚えている。

話を、今に戻そう。

錦織は2日前の対トマシュ・ベルディフ戦で苦しみつつも、勝敗を分ける重要なポイントを取りきり勝利を掴んだ。

「自分のテニスを取り戻していくきっかけになると思う」

ベルディフ戦の勝利が持つ意味を、彼はそう定義する。

そうして、もやもやを振り切った先で対戦する相手がフェデラーだとは、偶然とは言え、この大会もなかなかに粋な演出をしてくれる。

錦織にとりフェデラーが、最も憧れる選手であることは今も変わりはない。だがその視座は、初めてボールを打ち合った9年前の少年の日とは、明らかに移り変わっている。彼らにとっての「楽しい」が我々の思うそれとは意味が異なるように、「憧れ」「尊敬」の深意もきっと異なる。

「どれだけ彼に通用するのか、そういうところを試せるのが楽しみ」

自分を重ねる存在との対戦は、今の彼の立ち位置や心の内を、鮮やかに映し出すだろう。

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錦織圭が初めてラケットを握った日から、今年の全米オープンまでの足跡を綴った著書『錦織圭 リターンゲーム』。ここに紹介した錦織とフェデラーの初練習時のエピソードや、過去の対戦の詳細もおさめられています。

版元 学研プラス/価格1,500円(+税)/四六判 336ページ/2015年11月10日発売

学研プラス 1,500円(+税)/四六判336ページ/2015年11月10日発売
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フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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