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【富田林市】合祀と分祀を繰り返して鎮座する、伏山神社の祭神と由来を調べてみました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林の西側、金剛地区は羽曳野丘陵を開発した関係で神社などは見かけません。しかし南西付近には江戸時代初期にに開墾された伏山新田があったこともあり、伏山神社が鎮座しています。

伏山神社の位置関係です。河内長野方面から狭山池に流れ込む西除川により作られた谷の東側の高いところに鎮座し、狭山方面を見下ろすようなところにあります。

伏山台小学校や伏山台幼稚園の横から神社への入り口があります。

画像の左側は伏山台幼稚園の敷地です。

幼稚園の入り口と神社の入り口といえる鳥居が並んでいました。また幼稚園の園児たちがこの伏山神社横の森で遊ぶとの情報もあります。

鳥居を過ぎても緩やかな登りの参道が続きます。

正面にコンクリートの壁が見えてきました。あそこは高台になっていて、あの先は金剛伏山台1号公園があり、金剛伏山台の住宅地になっています。

その壁を左に曲がると、境内が見えてきました。公園側が高くかつ柵がしてあることから、金剛伏山台1号公園と伏山神社は直接アクセスはできないようになっているようです。

伏山神社拝殿の前に来ました。

昨年の錦織神社でのだんじり宮入りのようす ※注:伏山のだんじりではありません
昨年の錦織神社でのだんじり宮入りのようす ※注:伏山のだんじりではありません

伏山にはだんじり小屋があり錦織神社に宮入りしますが、これは伏山神社は明治政府により一時期「錦織神社」に合祀されていたことが関係していそうです。

伏山神社に参拝します。祭神は建早素戔嗚命(たけやはすさのおのみこと)で、伏山新田が開墾された江戸初期の頃には鎮座していたと推測されていますが詳細は不明とのこと。

1908(明治41)年には錦織神社に合祀されましたが、1926(大正15)年に、分祀され伏山地区に再度創建されたとあります。

さらに1976(昭和51)年に現在地に社を移したのち、1981(昭和56)年に神社本殿が造営されたそうです。

ということで現在の社殿は比較的新しいんですね。

さらにもうひとつ境内社がありました。こちらも説明があり、善女龍王(ぜんにょりゅうおう)社とのこと。

説明によれば龍神の一種で、水に関する信仰に絶大な利益をもたらすそうで、村人から「龍宮さん」と呼ばれて親しまれてきた存在。

江戸時代に新たに開墾された伏山新田、田んぼには水は必須ですから、龍宮を拝みながら水の恵みに感謝していたのでしょうね。

善女龍王社の手前で気になるものを発見しました。

百度石です。

神社を支える献金や電気工事に関係する人たちの札がありました。

ということで参拝の後来た道を戻りました。ちょうど右横には伏山台幼稚園の園内の様子がよく見えました。

伏山神社
住所:大阪府富田林市伏山2丁目1
アクセス:南海金剛駅から徒歩18分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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