【高崎市】榛名湖畔に復元された竹久夢二のアトリエ~夢二の愛した榛名の風景
群馬県にお住まいの方は「竹久夢二」の観光スポットを尋ねられたなら、まずは伊香保の「竹久夢二伊香保記念館」を思い浮かべるのではないでしょうか。
竹久夢二伊香保記念館では今、紅葉のピークを迎えているようです。(公式Facebook)
今日は、伊香保から榛名湖まで登り、榛名湖畔にあるもう一箇所の竹久夢二・観光スポット~復元された「竹久夢二アトリエ」をご紹介します!
竹久夢二アトリエ どこにある?
「竹久夢二アトリエ」は、前回ご紹介いたしました「榛名湖畔の宿記念公園」に隣接して建っています。(GoogleMap)
竹久夢二について
明治17年9月16日、岡山県に生まれる。明治38年、22歳の時、『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選。以来、美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家。
明治44年伊香保に住む少女からのファンレターにより伊香保を知り、その後、大正8年に初めて伊香保榛名の地を訪れる。以来、伊香保の気候・風土・人情に心を寄せ、度々訪問。
晩年には「榛名山美術研究所」建設という大きな構想を抱くが、志半ばで病に倒れ、昭和9年信州富士見高原療養所にて永眠。数え51歳。
代表作は「黒船屋」「五月之朝」「青山河」など。絵画・挿絵のほか、千代紙・浴衣・書籍の装丁などのデザインや詩、俳句など幅広いジャンルで活躍。
(竹久夢二伊香保記念館HP「竹久夢二とは」)
竹久夢二アトリエ へ
「榛名湖畔の宿記念公園」から「竹久夢二アトリエ」へ向かいます。
道路側から探し、ひっそりと建つこちらの2階建て家屋が「竹久夢二アトリエ」と解るまでに少し時間を要しました。
開館しているのか?と心配になりましたが、室内の照明が点灯しているので開館しているようです。
「榛名湖畔の宿記念公園」入口の階段を上がり、左へ進むと「竹久夢二アトリエ」への案内板が立っています。
アトリエへ向かう小路は自然がいっぱい。
アトリエに到着しました。なかなか趣があります。
「竹久夢二アトリエ ご案内」の看板が立っています。
竹久夢二(1884~1934)は、明治17年(1884)岡山県邑久郡本庄村(現在の邑久町)に生まれ、その豊かな才能を詩や絵画などの分野に発揮し、明治末期から昭和初期にかけて「大正ロマンの夢二」として多くの人に愛好されました。
晩年榛名湖の風光にひかれ、昭和5年(1930年)地域に根ざした美術工芸品を創作することにより産業の振興を図ろうと、「榛名山産業美術研究所」設立構想を発表し、榛名湖畔にアトリエ(山荘)を建設しました。
この建物は、当時夢二が建設したアトリエ(山荘)を現存する資料を基に復元したものです。
(竹久夢二アトリエ ご案内より)
竹久夢二アトリエ 観覧
アトリエの中へ入ってみましょう!玄関は建物の2階となります。
榛名湖と榛名富士をバックにポーズをキメる竹久夢二の写真( 昭和5年撮影)が玄関でお出迎え。なかなか素敵な方ですね。
係の方はいらっしゃらないようです。
スイッチを押すと「竹久夢二アトリエの解説ナレーション」が流れます。
2階は、玄関・6畳二間・厨房です。
榛名湖に面した2階の窓。良い眺めです。
外へ出て、外観と1階部分を見てみましょう。
1階 アトリエの出入口はこちらの引戸のようですが、鍵が掛けられていました。
アトリエの内部を窓から覗いてみます。説明や写真、絵が展示されていました。
平日なので閉まっていたのかもしれませんね。
竹久夢二アトリエ まとめ
竹久夢二は 昭和6年に渡米する直前まで高崎市などで活動されていたようです。
昭和6年(48歳)
4月~5月 「榛名山産業美術学校建設・夢二画伯外遊送別舞踊と音楽の会」が前橋市、富岡町、高崎市などで催される。
5月7日 横浜港より秩父丸で出帆、ホノルルに2週間滞在の後、龍田丸でアメリカへ向かう。
9月 カーメルのセブンアーツギャラリーで展覧会開催。
(夢二郷土美術館HP「竹久夢二の足跡」より抜粋)
大きなビジョンを抱いて精力的に活動した夢二が榛名湖畔の美しい風景を愛したことは、とても嬉しく誇らしいと感じました。
皆様も気候の良い時期に「竹久夢二アトリエ」へ出掛けてみてはいかがでしょう。
(※12月~4月上旬は冬季期間のため入場不可)
【詳細情報】
施設名:竹久夢二アトリエ
住所:高崎市榛名湖町848(GoogleMap)
開館時間:9~16時
休業日:12月~4月上旬
料金:無料
駐車場:あり 榛名湖畔の宿記念公園駐車場
お問合せ先:榛名観光協会
027-374-6712(月~金曜 8:30~17:15)
027-374-5111(土日祝日 8:30~17:15)