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英司会者のフロスト氏死去(下) 映画「フロストxニクソン」とは

小林恭子ジャーナリスト
デービッド・フロストとニクソン故・米元大統領 英ガーディアン紙のウェブサイトより

英国テレビ界の著名司会者デービッド・フロスト氏が8月31日、亡くなった。そのキャリアは半世紀以上にわたるが、ジャーナリズムの金字塔として歴史に残るのが、リチャード・ニクソン故米大統領(任期1969年―1974年)への長時間のインタビューだ。(以下、敬称略。)

米国の政治史に残るウォーターゲート事件(1972年)とは、米民主党全国委員会事務所への不法侵入・盗聴事件。事件の調査過程でニクソン大統領が盗聴に関わっていたことが明らかになり、1974年、辞任する羽目になる。任期中に辞任した大統領はニクソンが初めてだ。

米国民はニクソンが公式に謝罪することを望んでいたが、謝罪がないままに時が過ぎた。辞任の翌年、後任のフォード大統領はニクソンに特別恩赦を与えてしまった。

1977年、辞任から3年経ち、ニクソンはフロストの長時間インタビューを巨額で受諾する。ニクソンはイメージアップを狙っており、フロストは単なる番組ホストからの脱却を目指していた。巨額のインタビュー費用を借金し、ニクソンとの決戦に挑んだフロストは、果たして、米国民が望む謝罪を元大統領から引き出すだろうかー?

このインタビューの一部始終は、2006年、舞台劇としてドラマ化(「フロストxニクソン」)され、08年には映画になった。

以下は、この映画を公開時に見たときの感想である。以前に一度筆者ブログなどで出したが、フロスト死去がきっかけで、新たな興味を持った方もいらっしゃると思うので、補足の上、出してみることにする。

このインタビュー・ドラマ・映画はさまざまな見方ができる。特に、米国人あるいは米国に住んでいた方で1970年代の出来ごとを覚えている人にとっては、特別の思いがあるのではないだろうか。

私にとっては、ニクソン時代(1970年代)の米国の話は直接体験ではない、やや遠い・昔の話だったけれども、報道されている事実を確認したり、ドラマとしてどきどきしながら観た。

ここでは、メディア、及びジャーナリズムのドラマという観点から書いてみる。

ーなぜこの事件がドラマ化されたか

映画の元々はロンドンの舞台劇だった。初演は、2006年8月、ロンドンのドンマル・ウェアハウス劇場だった。翌年には米ブロードウェーで上演の運びとなった。

台本を書いたのは英国人ピーター・モーガン(1963年生まれ)。モーガンが最初にフロストとニクソンの話を書こうと思い立ったのは、「英国人ジャーナリストの話だったから」(2009年1月、BBCラジオでの談話)だそうだ。「英国人が」という部分がきっかけというのは意外である。

モーガンのこれまでの作品には映画「クィーン」、「ラスト・キング・オブ・イングランド」(2006年)、ブレア元首相と次のブラウン首相との確執を描いた英テレビのドラマ「ディール」(2003年)などがある。

映画化にあたり、モーガンが監督に選んだのはロン・ハワード(「コクーン」、「ビューティフル・マインド」など)だった。先のBBCラジオの番組の中で、「台本を素直に映画に出来る監督が欲しかった」とモーガンは述べている。オリバー・ストーン(「7月4日に生まれて」、「JFK」他)ではなく、ロン・ハワードだ、と。

ストーンは既に「ニクソン」(1995年)を作っている。ストーンがやったら、原作とは全く違う作品に作り変えられてしまうと懸念したのだろうか?

ニクソン大統領とウォーターゲート事件を扱った映画では、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンがワシントン・ポスト紙の記者に扮した「大統領の陰謀」(1976年)があった。この映画を観て、「ジャーナリストになりたい」と思った人は多いのではないだろうか。「フロストxニクソン」も似たような興奮を呼び起こす作品だ。ジャーナリズムに関する興味深い映画の1つと言えるだろう。

さて、「ジャーナリズム」というのを、どう説明したらいいだろう?

「日々の出来事をつづる」という意味で広く解釈するとしても、何らかの形で物事の真実、本質を言い当てるという役目があるとしたら、フロストはこの映画で完璧にジャーナリストだったと言えるだろう。

真実を突き止めるためのフロストのやり方は、経験に培われた勘である。調査も十分にやるのだけれど、最後は度胸とその人の感性がものを言う。改めて、それが分かる映画だ。

フロストのインタビューは12日間に渡って行われ、インタビューを収録した番組を4500万人が視聴した。

―フロストとニクソンを演じる

主役の2人の俳優(ニクソンがフランク・ランジェラ、フロストがマイケル・シーン)は、舞台劇の時そのままだ。

マイケル・シーンはウェールズ地方の出身であることを誇る俳優で、2013年現在44歳(映画公開時は40歳)。尊敬する俳優として、同じくウェールズ出身のリチャード・バートンを挙げている。英国内で広く注目されたのは、先のモーガンのテレビドラマ「ディール」でブレア元英首相を演じた時だ。その後、映画「クィーン」でもブレア氏を演じた。BBCのドラマで、英国の喜劇俳優ケネス・ウィリアムスを演じ(「ファンタビュロサ」、2006年)、これも高く評価された。実在の人物を演じるのが本当に好きらしい。

一方のフランク・ランジェラは75歳(公開時は71歳)。イタリア系米国人でニュー・ジャージー生まれ。シラキュース大学でドラマを専攻し、1959年卒業。ブロードウェーの舞台劇と後の映画版「ドラキュラ」(1979年)でドラキュラ役を演じて名が知られるようになる。出演作品は多いが、近年の作品の一つが俳優ジョージ・クルーニーが監督した、米テレビ界の内幕物「グッドナイト・アンド・グッドラック」(2005年)。2007年、「フロストxニクソン」の舞台版での演技で、優れた米演劇に与えられるトニー賞の主演男優賞を授賞している。

「フロストxニクソン」は2009年の第81回米アカデミー賞で最優秀作品賞にノミネートされていたが、受賞は逃した。派手な作品ではなく、おもしろおかしい作品でもないが、知的な娯楽作品として、じっくり楽しめる映画だ。おそらく最も似つかわしいのは映画館よりも、くつろげる自宅の居間かもしれない。

―ウォーターゲート事件の経緯

ウォーターゲート事件を振り返ってみよう。

1972年6月17日、ワシントンのウォーターゲート・ビル内の米民主党本部に押し入った5人の男性が逮捕された。男性たちは数千ドルの現金と大統領官邸内の電話番号を持っていた。

同年8月、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者が、ニクソンの大統領再選のための選挙チームが先の強盗の1人に2万5000ドル(当時と現在では比較が難しいが、あえて現在の換算にすれば約250万円)を渡していたと報道した。

「ディープ・スロート」と呼ばれる秘密の情報源からの情報をもとに、記者2人は、与党共和党が民主党を混乱させるため「汚い手口」を使っていたことを突き止める。(2005年、元FBI副長官マーク・フェルト氏が自分がディープ・スロートだったと告白した。フェルト氏は2007年亡くなった。)

11月、事件への関与が噂されていたにも関わらず、ニクソンは再選を果たす。

1973年7月、上院のウォーターゲート事件特別委員会の公聴会で、大統領補佐役の一人が、大統領官邸では執務室の全ての会話が録音されていると証言する。特別検察官アーチボルド・コックスが録音テープの提出を要求したが、ニクソンはこれを拒み続けた。

同年10月、テープの提出を拒むニクソンに委員会への召喚命令が出た。ニクソンはコックス検察官の解雇を要求した。解雇を拒否した司法長官が辞任し、司法次官も辞任。結局、検察官を解雇したのは新任の司法長官代理だった。相次いだ辞任と解雇を「土曜の夜の虐殺」と呼ぶ。

1974年7月30日、最高裁の命令でニクソンはテープを提出するが、一本のテープの中の18分半の記録が消されていた。「秘書があやまって消してしまった」とニクソン側は説明した。一方、下院は大統領の弾劾決議を可決していた。

8月4日、1972年の強盗事件の数日後、ニクソンが事件のもみ消しを画策していたことを示すテープが見つかった。8日、ニクソンはテレビ演説で辞任を表明。翌日、ヘリコプターに乗ったニクソンは大統領官邸を後にした。1ヶ月後、後任となったフォード大統領はニクソン元大統領に対し、無条件の特別恩赦を行うと発表した。

フロストによるニクソンのインタビューが実現したのは1977年だ。3月23日から12日間の間に行なわれ、同年5月、4回に分けて放映された。

―インタビューの後、登場人物はどうなったか?

フロストはニクソン以降、歴代米大統領をインタビューする機会を得た。朝のテレビ番組の司会者として著名になり、1993年から2005年まで続いた「ブレックファースト・ウィズ・フロスト」はBBCの人気番組の1つとなった。2006年からはカタールの衛星放送「アルジャジーラ」の英語版で「フロスト・オーバー・ザ・ワールド」という自分の番組を持った。1993年、「ナイト」の称号を得た。2013年8月末、没。

ニクソンは辞任後、10冊の本を書き、多くのスピーチの依頼をこなし、精力的に活動を続けた。1994年、政策シンクタンク「ニクソン・センター」を立ち上げて間もなく、心臓発作で亡くなった。

ー裏話

英ガーディアン紙が、フロストによるニクソンのインタビューで、プロデューサーの役割を果たしたジョン・バートに取材している(9月2日付)。バートは「フロストxニクソン」にも出てくる人物だ。後、BBCの経営陣トップ、ディレクタージェネラルに就任している(1992-2000年)。

バートによると、フロストの2つの遺産とは、1960年代の風刺ブームを作ったこと、権力者に挑戦するようなインタビューの形を作ったことだ。

ニクソンへのインタビューが可能になったのは、「フロストが個人で資金を出し、当初たった一つだけインタビュー番組に関心を持っていた、米ネットワークに勝ったからだ」。フロストはロンドン・ウイークエンド・テレビジョンの株を売るなどをして、取材を可能にするための資金作りを行った。

インタビューのために、ニクソンはベトナム戦争や国交樹立を果たした中国について周到な準備を重ねていたが、ウオーターゲート事件についてはそれほど準備をしていなかったとバートは語る。「4時間近くのインタビューの後で、謝罪の言葉がニクソンから出てきた」。バートは「その瞬間、まるで(赤ん坊の)誕生に出くわしたような気がしたよ、正直言って」。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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