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今は亡き後藤浩輝が、安田記念の勝利後、反時計回りでウイニングランをした理由

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
10年の安田記念。順回りでスタンド前をウイニングランする後藤浩輝とショウワモダン

デビュー前から強かった海外志向

 今週末、東京競馬場で安田記念(GⅠ)が行われる。

 2010年、このレースを勝ったのがショウワモダン。手綱を取ったのは、後藤浩輝だった。

 1974年3月生まれの後藤。彼が若い時から海外に目を向けていた事は、当時からの競馬ファンならご存知だろう。競馬学校で見たビデオで、スティーヴ・コーゼン騎手(アメリカで三冠騎手となった後、欧州に拠点を移すと、イギリスでリーディングジョッキーを獲得)の騎乗ぶりに目を奪われたのが、海の向こうに憧れる初めの一歩となった。

海外での調教に跨る後藤浩輝元騎手
海外での調教に跨る後藤浩輝元騎手

 92年にデビューすると、ますます強くなったそんな思いが「師匠(伊藤正徳元調教師)との軋轢を生んだ」(後藤)。何の実績もない減量騎手が事あるごとに「海外へ行きたい」と語ると、4年目には厩舎を飛び出し、アメリカへ飛んだ。後に後藤は次のように語っている。

 「伊藤先生は『何も分からない若造が、何をやっているんだ?!』と思ったでしょうね。やっかいな弟子に手を焼いたと思います」

 帰国すると、異国での経験を糧に一気に成績を伸ばした。しかし、伊藤はしばらくの間、後藤を乗せなかった。その間、エアジハードが安田記念を勝利するなど、活躍馬を出したが、後藤がその鞍上にいる事はなかったのだ。

 もっとも、決して弟子を見放したわけではなかった。2000年に再び声をかけるようになった。わだかまりがなくなった事で、もう一皮剥けた後藤は02年にアドマイヤコジーンを駆って安田記念を優勝。自身初のGⅠ制覇を飾った。

 GⅠジョッキーになった後藤に、伊藤は厩舎の期待馬の鞍上を任せた。

 ローエングリンだ。

 後藤は同馬とのタッグで03年の中山記念(GⅡ)とマイラーズC(GⅡ)を優勝。安田記念こそ3着に惜敗したが、夏にはフランスへ遠征。かつては「海外なんて時期尚早」と言われた師匠からの指名で、海を越えると、ジャックルマロワ賞(GⅠ)こそ10着と大敗したものの、ムーランドロンシャン賞(GⅠ)では2着と善戦してみせた。

現役時代のローエングリン(2005年撮影)
現役時代のローエングリン(2005年撮影)

反時計回りでウイニングランをした理由

 そして、この時の縁が、新たな物語を紡いだ。

 ローエングリンと共にフランスに渡ったのがテレグノシス。杉浦宏昭の管理する馬だった。

 「杉浦先生と一緒に食事をする機会があり、それ以来、騎乗依頼が増えました」

 こうして鞍上を任される事になった馬の1頭にショウワモダンがいた。10年にダービー卿CT(GⅢ)を制すと、続くメイSを連勝。更に中1週で安田記念に挑んだ。

 「良い手応えで直線に向いて、どこでゴーサインを出そうかと思った時に、1頭の馬が頭を過りました」

 頭をかすめたのはローズキングダムだった。

 丁度1週間前、後藤はローズキングダムとのコンビで日本ダービー(GⅠ)に挑んだ。直線を向き、ダービージョッキーの称号が見えたと感じた後藤は一気に追い出した。しかし、先頭に立った彼を次の刹那、エイシンフラッシュがかわした。結果、クビ差で戴冠を逸した。

 「2週連続で同じ負け方は出来ないと思い、冷静に我慢した後、追い出しました」

 これが奏功し、ショウワモダンは先頭でゴールに飛び込んだ。

安田記念を制したショウワモダンと後藤
安田記念を制したショウワモダンと後藤

 自身2度目の安田記念制覇を達成した後藤は、すぐにウイニングランには移らなかった。多くの場合、馬を止めると、Uターンをして、2コーナーから時計回りにスタンド前へ戻る形で行われるウイニングラン。しかし、後藤は反時計回りで馬場をもう1周。4コーナーからスタンド前にかけてウイニングランをした。これは8年前、アドマイヤコジーンで初めてGⅠを勝った時と同じだった。うれし涙を流し、クチャクチャになる顔を見られたくなくて、あえて大回りし、時間をかけたのだ。

 そうやってゆっくりと馬場を回る後藤の頭に、沢山の人と馬の顔が浮かんだ。アドマイヤコジーンにローズキングダムや杉浦宏昭。鞍下のショウワモダンを見ながら、その父であるエアジハードには、一度も乗せてもらえなかったな、とも思うと、当然、伊藤の顔も浮かんだ。すると、その目から大粒の涙がとめどなく溢れ、クチャクチャになった顔が、ターフビジョンに大映しになった。

ショウワモダンの上で、涙の溢れた表情を見せる後藤
ショウワモダンの上で、涙の溢れた表情を見せる後藤

 翌11年5月、ショウワモダンは後藤を背に出走した京王杯SC(GⅡ)で14着に敗れたのを最後に、ターフを去った。すると、その年の12月、馬房内での不慮の事故で、唐突に星になってしまった。突然、星になったのは後藤も伊藤も同じだ。果たして今年の安田記念はどんなドラマが待っているのか分からないが、全人馬の無事を、星となった皆が空から見守ってくれていると、信じたい。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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