スターオーラを封印した松本潤、もうひよっこじゃない有村架純。愛の気配に胸がざわめく『ナラタージュ』
松本潤と行定勲監督がタッグを組んだ『ナラタージュ』。ヒロインを演じるのが有村架純と知った時は、正直、意外なキャスティングという印象を受けたものでした。「決して許されない恋」という触れこみの大人な香りのするラブストーリーを演じるには、彼女は清純すぎる気がしたのです。実際、映画を観終わってから手にした島本理生の原作小説のヒロインのイメージも、私の中では有村の演じた工藤泉とは重なりません。けれども、映画と原作小説は別物。有村は、許されない初恋の苦しさを演じて、彼女がいかに素晴らしい女優であるかに改めて気付かせてくれました。
今は映画配給会社に勤務する泉が、ある雨の夜、高校の演劇部の顧問教師だった葉山貴司(松本潤)へ想いを寄せた日々を思い出します。
居場所のなかった自分に救いの手を差しのべてくれた葉山への恋心を秘めていた高校時代。葉山への泉の想いを承知のうえで交際を始めた小野怜二(坂口健太郎)の中で生まれていく嫉妬と束縛に苦しむ大学時代。
2つの時制を行き交いながら静かに進む物語が描くのは、おたがいを想いながらもさまざまな事情から踏みだせずにいる葉山と泉。周囲に事件は起きるものの、2人の間に起こるのはいわゆるドラマティックな出来事ではありません。ドロドロとした愛憎が繰りひろげられるのではなく、相手を静かに想うふたりが漂わせる情感が、大人な恋の印象。そう、これは静かに薄皮を剥ぐように、なぜ、泉が葉山に惹かれるのか、なぜ、彼らは恋に突き進めないのかを、男たちの弱さや情けなさを交えながらゆっくりと解き明かしていくリズムと空気感を楽しむ映画。そして、このリズムがもたらす、どこかサスペンス映画のような不穏な気配こそが、この作品をひと味違うものにしているのです。
とはいえ、そこはラブストーリー。有村架純は、ベッドシーンで清純派イメージを打ち破る演技を見せてくれます。その肝の座り方には驚くばかり。なおかつ、世の中的に「体当たり演技」と評されそうなシーンに妙な気負いを感じさせないところにも、彼女の女優としての器の大きさを感じずにいられません。公開1週間前まで朝ドラのヒロインとしてお茶の間をほっこりさせていたギャップとあいまって、このインパクトはかなりのもの。
ヒロインが美しく撮れていることがラブストーリーの大切な要素という意味においても、本作は大成功。さらに、『ピンクとグレー』(脚本:蓬莱竜太)では原作小説にはなかった構造を加えることで、原作とはまったく異なる余韻を味わわせてくれた行定監督ですが、本作でも原作の要素を巧みに抽出・編集した脚色(脚本:堀泉杏)で、小説とは対照的な余韻に浸らせてくれます。エンターテインメントとしての映画において、劇場を出るときの後味で行定監督が大切にしているものがうかがわれるラスト。有村のひたむきな魅力と相乗効果を生む、小説から映画への変換力がもたらす余韻もまたこの映画の魅力です。
けれども、やはり、この作品の最大の魅力と言いたいのは、葉山と泉の恋の気配を見つめる時に、観客が抱かずにいられない胸のざわめきです。その独特な空気感の鍵となっているのは、松本が演じる葉山の存在。強烈なスターオーラの持ち主である松本がそのオーラを封印し、抑制した演技で、妻との間に問題を抱えた平凡な高校教師を演じる。松本が作りあげた葉山像は、彼のファンが観たい松本とは違うでしょうし、好き嫌いの分かれるところでしょうが、それもまた松本の役者としての挑戦。そもそも葉山という男は優柔不断で、普通なら高校生が恋心を抱くような男ではありません。そんな葉山が抱かせる違和感こそが、この作品にミステリアスな空気感をもたらしているのです。観終わった後、松本のアプローチについても熱く語りあわずにいられないはず。
『ナラタージュ』
10月7日(土)より全国公開中
配給:東宝=アスミック・エース