ブルース・リー没後50年 映画史に名を刻むブルース師父の軌跡をフィギュアで振り返る
【S.H.Figuarts ブルース・リー】バンダイ
[発売日]2017年1月21日
[価格]5500円(税抜)
パッケージ
映画史に残る稀代のアクションスター、ブルース・リーがこの世を去って50年の月日が経ちました。武道家であり、俳優であり、また哲学者としての側面も持ち合わせるブルース師父は、今なお人々を魅了し続けています。
ブルース・リー
本名は李振藩(リー・ジャンファン)。1940年11月27日にサンフランシスコで生を亨け、その後イギリス植民地下の香港へ帰国します。幼少の頃から子役として多くの作品に出演していたブルース師父ですが、18歳の時に転機が訪れます。息子ブルースの将来を心配した父に渡米を命じられ、単身シアトルに移り住むことに。渡米後はワシントン大学哲学科に通いつつ、中国武術の指導を開始します。大学中退後は道場経営に専念し、そこで生まれたのが「ジークンドー」です。そしてここからブルース師父の快進撃がスタートします。
ドラゴン危機一発
アメリカのプロデューサーの目にとまったブルース師父は、TVドラマ「グリーン・ホーネット」の準主役に抜擢され、ここからトントン拍子に2本の映画出演の契約が決まります。1971年に公開された「ドラゴン危機一発」の大ヒットによって、ブルース師父は一躍香港のトップスターに躍り出ることに。
ドラゴン怒りの鉄拳
1972年公開の主演2作目「ドラゴン怒りの鉄拳」では武術指導も担当します。ヌンチャクさばきも見所です。
ドラゴンへの道
1975年公開の「ドラゴンへの道」では、主演・監督・脚本・製作・音楽監修・武術指導をこなす八面六臂の大活躍。
燃えよドラゴン
1973年公開の「燃えよドラゴン」は世界各国で大ヒットとなり、世界的なカンフーブームが到来しますが、残念なことにこの映画が公開されたときにはブルース師父はすでに帰らぬ人となっています。
死亡遊戯
1972年にクライマックスのシーンのみを撮影後に中断となり、その後ブルース師父が死去してしまったため未完となっていたのが「死亡遊戯」です。最終的にはブルース師父の代役としてユン・ピョウ、ユン・ワーを起用し何とか完成にこぎつけましたが、正直、代役はあまり似ていないどころか完全に別人です。そのせいかあまりヒットはしなかったようです。しかし、ストーリーは良くできていますし、黄色のトラックスーツに至ってはもはやブルース師父のアイデンティティになっています。「キルビル」のユマ・サーマンもバリっと着こなしていました。観る価値は十分にあると思います。
名言
未だに中二病をこじらせている私にとっては最高の名言です。