債券市場と日銀のバトル開始か
日銀は何としても10年債利回りの0.25%を死守する姿勢を明確にした。28日には初めて2度の指し値オペを実施した。さらに日銀は初の10年国債への連続指値オペを実施することを明らかにした。3月29日から31日にかけて、10年国債の363回、364回、365回を無制限に買い入れるオペを実施する。10年債カレントを0.250%で買い入れることになる。
それだけではなく、この間の長期国債の買入れ(利回り・価格入札方式)については、市場の動向等を踏まえつつ、必要に応じ、買入日程の追加・買入金額の増額を行うことがあるとも日銀は示唆した。
28日には10年債利回りが0.250%に上昇するとともに、超長期債利回りが大きく上昇していた。日銀はオペによってこの超長期や中短期ゾーンも買入の追加・増額を行う姿勢を示していた。
28日のナイトセッションの債券先物は買い戻しが入るどころか、一時148円72銭と当日の引けの149円15銭から大きく下落していたのである。
ドル円が一時125円台をつけるなどの円安を受けた動きとも言える。ただし、その後ドル円はいったん急反落となり、米債は買われていた。それにもかかわらず債券先物は下落したままとなっていた。
当然ながら債券先物を日銀が買うことはできない。ただし、債券先物はチーペストと呼ばれる国債に連動するため、まったくの別物ではない。
それにもかかわらず債券先物はどうして売られていたのか。債券市場ではいくら日銀が利回り上昇を止めようとしても流れは変えられないとの認識も強まっているためと思われる。
30日にはあらためて日銀が国債買い入れ増額の具体的な数値を示し、この日の債券先物は買い戻しが入った。しかし、このまま素直に買われるのであろうか。
中央銀行と市場とのバトルは昔、事例がある。ベルリンの壁の崩壊後、1990年10月に東西ドイツが統一され、旧東ドイツへの投資が活発化したことで欧州の金利は上昇し、これを受けて欧州通貨も全般に高めに推移した。しかし、イギリス経済は低迷していたことからポンドは過大評価されているとみたジョージ・ソロスのクオンタム・ファンドなどのヘッジファンドが大量のポンド売りマルク買いを仕掛けた。
1992年9月15日にはポンドが上下2.25%という変動制限ラインを超えたことから、16日にイングランド銀行は公定歩合を10%から12%へ引き上げ、さらにその日のうちにもう一度引き上げ15%とした。しかし、イングランド銀行は仕掛け的なポンド売りに対し、買い支えることができず、9月17日にイギリスはERMを脱退し、変動相場制へ移行したのである。
これまでの円債は外部環境も影響し、日銀の意向も意識しながらの相場展開となっていたようにみえた。しかし、物価の上昇などにより日銀のいわゆるリフレ政策の矛盾点が表面化してきた。市場参加者は日銀の政策に対して次第に疑問を投げかけることになり、1992年にイングランド銀行で起きたようなことが起きないとも限らない。それを防ぐには金融政策の柔軟性を前面に押し出すほかはないと思われる。