【市川市】鎌倉殿と市川市(其の壱) ~国府台で見た風景~
2021年もあとわずか。今年の歴史物語の主役は渋沢栄一でした。2022年は鎌倉殿とその13人の重臣たちの物語。日本初の武家政権を鎌倉に成立させた源頼朝。その頼朝のもとに集まった者たちは頼朝=将軍を鎌倉殿と呼びました。その後幕府は2代将軍頼家を補佐するため、13人の合議制によって政治を進めることとしました。
今回紹介する「里見公園」やその一帯はその「源氏」にとっても大変ゆかりのある場所です。小田原の石橋山で大庭景親に敗れ、安房(千葉県)に逃れた頼朝。
それでも頼朝の挙兵を知った関東の武士たちは安房に集まりました。そして1180(治承4)年。源氏の再興を願った頼朝は下総国府(国府台)に入り、千葉常胤(ちば つねたね)らの支援のもと「鎌倉」へと向かいました。
下総国府の正確な場所は分かっていないそうですが、下総総社跡が市川スポーツセンター内にあります。当時国司が着任した際、一宮から順に拝する決まりを簡略化するために、国府の近隣に置かれたものが総社といわれています。
国府台は源氏再興と150年に及ぶ鎌倉武家政権誕生の出発点であるといわれています。
バラや紅葉などでおなじみの「里見公園」。この地は、そのあとの「源氏」足利氏とそのあとの「北条氏」後北条にも深くかかわります。戦国期に太田道灌が築いたとされる国府台城が現在の里見公園であり、現在でも土塁や空堀などの名残を見ることができます。足利義明が里見義尭らを率いて北条 氏綱軍と戦ったのもこの国府台城です。
里見公園から見下ろすことができる江戸川と対岸に広がる東京の眺め。もちろん、かつての風景をうかがい知ることはできません。ただ江戸川とその先に広がる関東平野の風景は間違いなく頼朝ら関東武士たちの士気を高め、源氏再興の希望を抱かせたことであると考えます。
普段何気なく訪れることができるこの地で、遥か800年以上前の武士たちが見たであろう景色に想いを馳せる。2022年は鎌倉殿を深く知る機会でもありますし、違った目線で訪れてみませんか。(参照:市川市HPより)
【里見公園】
住所:市川市国府台3-9
【下総総社跡】
住所:市川市国府台1-6-4