保険理論から金融における顧客の最善の利益を考察すると
金融機能を保険理論の視点で再検討するとき、顧客の最善の利益を実現するためには、金融から非金融への展開が必然であると理解されるはずです。
損害保険における事故処理と事故防止
保険会社として、事故によって顧客に損害が発生したときに保険金を支払うことは、契約上の最低限の義務の履行にすぎず、顧客の利益に適うためには、保険金支払い以上の付加価値を創造しなくてはなりません。そこで、顧客にとっての最重要の先決課題は事故処理なのですから、例えば、現在の自動車保険においては、保険という金融機能よりも、事故処理という非金融機能へ重点が移行しているわけです。
また、保険会社をはじめ、全ての金融サービス提供事業者は、法律上の義務として、顧客の最善の利益を勘案しつつ、誠実公正に業務を行わなくてはならないのですが、損害保険においては、顧客の最善の利益に適うのは、事故の発生を未然に予防することですから、保険会社としては、保険という金融機能よりも、事故防止という非金融機能を提供すべきだと考えられます。
この非金融への展開は、金融全体に起きることです。そもそも、例えば、住宅ローンが住宅購入のための補助手段であるように、一般に、金融機能は、単独では意味をなさないのであって、非金融の課題を実現するために利用されるにすぎません。故に、金融行政においては、顧客の最善の利益が問題とされたとき、金融と非金融の境界が見直されたのです。その結果、金融機関の提供できる非金融機能は、金融機能の自然な延長、もしくは代替である限り、利益相反や優越的地位の濫用等の弊害が完全に排除されている前提で、広がりつつあるわけです。
金融機関の持続可能なビジネスモデル
近江商人の三方よしは商業の基本であって、この原理は、金融行政においては、顧客との共通価値の創造といわれていて、更には、金融機関の持続可能なビジネスモデルの構築といわれています。なぜなら、金融機関のビジネスは、顧客の利益を前提にしてこそ、持続可能になるからです。そして、この原理からすれば、金融機関は、持続可能性のもとで利益を最大化するために、顧客の最善の利益を実現することになるわけです。
金融機関にとって、顧客の最善の利益を実現することは、多くの場合、金融から非金融への展開、あるいは金融と非金融の融合につながりますが、高度に標準化された金融機能においては、利益率の改善に限界があるのに対し、非金融機能においては、差別化によって利益率を高めることができるので、自己の利益の最大化になるのです。逆にいえば、金融機関は、非金融機能なくしては、顧客の最善の利益を実現できず、収益性を高めることもできないわけです。
融資の保険としての担保
融資において、担保は弁済不能という事故に対する保険として機能します。保険を提供するのは債務者であり、事故を発生させるのも債務者ですが、債務者は、弁済を免れようとして故意に事故を発生させると、保険者として、即ち、担保提供者として、損失を被ることになっていて、故に、保険が機能しないように、即ち、担保権が実行されないように、弁済に努めることになるわけです。
金融機関は、企業に融資するとき、担保を要求して、担保という保険の顧客になります。金融機関からすれば、融資債権が担保によって保全されているとしても、債務者が弁済不能に陥ることは望ましくないのであって、債権者の最善の利益は、債務者による事故の回避、即ち、企業の経営努力による業況悪化の未然の防止になります。つまり、担保権が実行されないことは、債権者と債務者の双方の最善の利益なのであり、共通価値の創造になるのです。
金融機関と顧客との協働
融資という事業においては、債務者は債権者にとっての顧客です。そこで、金融機関として、顧客の最善の利益を実現するためには、融資先企業の業況の悪化を未然に防止すべく、経営支援することになります。そして、経営支援によって、顧客企業の経営が安定すれば、融資の質が高まり、また、顧客の事業が成長すれば、融資の量が増えて、金融機関自身の利益となりますから、そこに共通価値が創造されるわけです。
こうして、融資においては、担保という保険機能の顧客、即ち、金融機関の最善の利益の視点から、債務者である企業の業況悪化を防止する自助努力が促され、融資の顧客、即ち、債務者である企業の最善の利益の視点からは、金融機関による企業に対する経営支援が促されるわけです。つまり、融資においては、金融機関と顧客の双方の最善の利益のためには、必然的に金融機関と顧客との協働が促されるのです。
融資から経営支援への展開
銀行等の金融機関は、顧客の最善の利益を実現するためには、融資という伝統的な金融機能を超えて、融資先企業の経営支援能力を強化し、この新たな非金融支援の領域で、差別優位を競うことになりますが、実は、そうすることで、不毛な金利競争から脱却して、自己の最善の利益を追求することになるわけです。また、金融機関として、経営支援を強化すれば、担保という保険への依存を低下させることができます。つまり、保険は、使われなくなることで、保険者と顧客との双方の最善の利益を実現するのであって、ここに保険の本質があるのです。
保険としての資本
どの事業にも、程度の差こそあれ、損失の発生する可能性があるので、企業は、株式を発行して資本を調達し、一時的な損失を資本に吸収させて、事業を持続可能にしているわけです。つまり、株式の投資家は、損失の発生という危険に対して、企業に保険を提供して、その対価として保険料に該当する資本コストを得るのです。なお、コストは企業の立場からいわれる用語で、投資家の立場からは資本利潤です。
また、株式の発行は、企業にとって、資金調達の手段でもあります。資本として調達された資金には、弁済義務も、利息の支払い義務もなく、弁済義務も、利息の支払い義務も伴わないからこそ、資本は一時的な損失を吸収する保険機能を発揮できるのです。つまり、株式の投資家は、保険機能と資金供給機能との両方を同時に提供しているわけです。
企業は投資家の顧客
金融機関が企業に融資するとき、資金供給を受ける企業が金融機関の顧客となるのは、金融機関が資金供給の対価として利息を得ているからです。株式の投資家は、企業に資金を供給しても、そのことに基づく対価を得ていないので、企業は投資家の顧客とはいわれませんが、投資家は、保険を提供することで、企業から資本利潤を得ているのですから、その面からは、企業は投資家の顧客です。
資本が保険として実際に機能することは、企業の業況の悪化を意味していますから、投資家にとっても、企業にとっても、望ましくありません。逆に、資本が保険として機能しないことは、企業業績の安定的な成長を意味しますから、企業にとって望ましく、それは同時に株式価値の成長でもありますから、投資家にとっても望ましいことです。資本は、保険の本質に従い、保険として使われないときに、保険者としての投資家と、顧客である企業との共通価値を創造するわけです。
スチュワードシップ・コード
企業にとっての最善の利益は企業価値の最大化ですが、それは同時に株式価値の最大化であって、投資家の最善の利益です。故に、投資家は、顧客である企業の最善の利益を実現することを通じて、自分自身の最善の利益を実現するわけです。故に、投資家は、企業価値の最大化のために、企業を支援するのです。
英語のスチュワード(steward)という言葉は、他人の資産の管理人、あるいは執事などの意味をもっています。実は、金融行政においては、投資家は企業のスチュワードとして働くべきであるとされ、スチュワードとしての働きはスチュワードシップ(stewardship)と呼ばれていて、その基本原則は、2014年に「「責任ある機関投資家」の諸原則」、別名「日本版スチュワードシップ・コード」として策定され、公表されているのです。