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緊急発言:児童ポルノ禁止法改正案の「児童ポルノ」についての定義は最悪だ!

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
児童ポルノ禁止法改正案

児童ポルノ禁止法改正案の審議が、6月4日の衆議院法務委員会で行われることが決まったようです。今の国会の会期中に、児童ポルノ禁止法改正案が可決されるのはほぼ確実ではないかと思われます。

今回の改正案の焦点は、児童ポルノの単純所持(児童ポルノを購入したり、ダウンロードしたりして、単に所持している行為)を処罰するかどうかということです。この単純所持の犯罪化についての危険性はすでに多くの人が発言されていますので、ここでは「児童ポルノ」の定義についての改正が提案されている点を問題にしたいと思います。

私は、この新しい定義は、児童ポルノ問題について最悪の結果をまねくおそれがあると思っています。

改正案の具体的な中身については、すでに公になっていますので、問題となる定義の部分について見ておきたいと思います。

児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案要綱

■「児童ポルノ」の定義についての改正案

まず、現行法で「児童ポルノ」は次のように定義されています。

児童ポルノ禁止法第2条3項

この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。

1 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態

2 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの

3 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの

このように法律は「児童ポルノ」について3つのものを規定しており、それぞれ「1号ポルノ」「2号ポルノ」「3号ポルノ」と略して呼ばれることがあります。

今回、単純所持を犯罪化することに関して、特に3号ポルノがこのままでよいのかという議論がありました。その理由は、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態」という要件があまりにも広くて、あいまいなため、単純所持を処罰するようになると、処罰対象とされる行為があまりにも不明確になるのではないかというものでした。

そこで最終的に出てきた改正案は、次のようなものです(ただし、まだ修正される可能性はあります)。

【改正されようとしている3号ポルノの定義】

「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀(でん)部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かっ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」

実は、この改正案は、2014年2月に民主党から出された次のような試案に基づいています。

【2014年2月の民主党試案】

「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され、又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」

そして、さらに遡ると、このような定義は、2010年11月16日の日弁連の意見書に由来していることがわかります。

【2010年11月16日の日弁連意見書】

「【改正案】下線部分は改正部分

第2条第3項

この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる実在し、又は実在した児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。

1 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態

2 殊更に他人が児童の性器等を触る行為又は殊更に児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態

3 殊更に性器等が見える状態に置かれた児童の姿態

■児童の「性器な部位が露出され又は強調されている」ことは重要なのか?

では、改正案の「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀(でん)部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かっ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」というのは、具体的にどのようなものを指すのでしょうか?

参考になるのは、上の日弁連の意見書です。同意見書は、「殊更に(児童の)性器等が見える状態」について、次のように説明しています。

「乳幼児が,裸体で室内を這っているのは自然な光景であり、その際、乳首や男性器が見えることも自然な動作の中で十分にあり得ることであるから、これは『殊更に・・・見える状態』にはあたらない。しかし、乳幼児の女性器は、不自然に開脚させなければ見えることは通常はあり得ず、女性器が見える写真は、『殊更に・・・見える状態』にあたる。」(同3頁)

確かに、このような画像を児童ポルノとして規制対象にすることには異論はないだろうと思います。しかし、このように事実的な要素に定義を還元しようとする場合、たとえば「性的な部位」に(アダルトビデオのような)モザイク処理がなされていた場合に、それがはたして法的な意味で「児童ポルノ」だといえるのだろうかという疑問が湧きます。

日弁連の意見書は、そのような疑問について次のように答えています。

「児童ポルノの定義を前述のとおりとすると、女性器が見える状態で撮影された写真等は、その女性器部分を黒塗りにして完全に見えないようにすれば、その段階では児童ポルノには該当しないということになる。」(同3頁)(太字強調は筆者)

つまり、上のような定義を採用すると、性的な部位等が「見えなければ」そのような画像を「児童ポルノ」として規制できなくなり、極端なことを言えば(名誉毀損等の問題は別として)、まったく合法な画像として流通するおそれがあるということなのです。このことは、日弁連の意見書に対する疑問だけではなく、それに影響を受けたと考えられる改正案にも妥当することなのです。

■改正案は根本的な誤りを犯している。

児童ポルノの問題性は、「性器等」が「見えているかどうか」あるいは「強調されているかどうか」ということではありません。児童ポルノの問題性は、児童に対して性的な虐待を行い、それを記録することによって、児童に対する性被害を恒久化するという点にこそ存在するのです。議論はあまりにも「ポルノ」という言葉に引きずられすぎています。

レンタルビデオ店に行けば、性器部分等にモザイク処理を施したアダルトビデオがあふれています。これらは、18歳未満の者への貸出しや閲覧等が禁止される「有害図書」という判断は受けても、刑法のわいせつという判断を受けることなく、いわば合法的に流通しています。日本では、性器等が「見えていること」ことがわいせつ(つまり、犯罪)とされるために、日本のポルノは、性器等を隠して、全体として極めて情緒的に作られています。そのような制作態度が、結果的にアダルトビデオを世界一わいせつなものにしているのではないかと思います。

「児童ポルノ」の定義を(性器等が見えているかどうかといった)事実的な問題に還元する方法は、ある意味、恣(し)意的な判断を排除し、判断の明確性を保障するものですが、児童ポルノに関してそのような方法を採用することは間違った方向に行く可能性があります。児童ポルノにとっては、性器等が見えているかどうかはまったく問題ではありません。児童に対する性的虐待が記録されているかどうか、ここが問題の核心なのです。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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