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平手打ちをしたウィル・スミスにデンゼル・ワシントンが言ってあげたことの意味

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
オスカー授賞式でウィル・スミスに寄り添ってあげたデンゼル・ワシントン(写真:REX/アフロ)

「数分前、デンゼルは僕にこう言ってくれました。悪魔はあなたが最高の状況にいる時にやってくる。だから気をつけなさいと」。

 オスカー主演男優賞を受賞し、舞台に上がったウィル・スミスは、6分近くにも及ぶ長い受賞スピーチの頭のほうで、そう言った。この部門が発表される前、スミスは、クリス・ロックに平手打ちをして会場を騒然とさせている。その出来事が起きた後のCM休憩中、デンゼル・ワシントンとタイラー・ペリーがスミスに駆け寄り、なんらかの話をしている様子は、会場にいた「The Hollywood Reporter」の記者によって目撃されていた。スミスが受賞スピーチの中で明かしたワシントンの言葉がその時に交わされたものだというのは理解されていたが、それがどういう意味を持つのか、授賞式から1週間が経つ現地時間2日、ワシントンは明かしている。

 ワシントンがそのことについて語ったのは、国際リーダーシップサミットというイベント。信仰深いワシントンは、牧師のT.D.・ジェイクスと一緒に登壇し、彼のキャリアや信仰について話をしたのだが、途中、あの出来事の話題になった。そこでワシントンは、「あなたが間違ったことをしている時、悪魔はあなたを無視してくれます。『こいつは俺のお気に入りだ。好きにやらせておけ』と。逆に、あなたが何か良いことをやろうとしていたら、悪魔はやってきます。何らかの理由で、あの夜、悪魔はあの状況を作り出したのです」と、スミスに言ったことを説明したのである。

 さらに彼は、スミス、ワシントン、ペリーの3人は一緒に祈ったとも述べた。また、すぐにスミスに駆け寄って行ったことについては、「自分の席についたままでいることはあり得ませんでした」と語っている。スミスが受賞スピーチでワシントンに言ってもらった言葉について触れたのは、その行動がスミスにとっていかに意味のあるものだったかを示すものだといえる。

アカデミーを退会したスミスの今後

 このオスカー受賞スピーチはスミスにとって人生初のものだったが、最後のものになるのかどうかは微妙だ。現地時間1日、スミスは自らアカデミーを退会したのである。アカデミーの役員は、今月18日の会議でスミスへの処分を決めることになっていたが、おそらく10年以上は会員資格を停止されるであろうことをスミスは聞かされていたようで、先回りして決断したと見られる。

 もちろん、アカデミー会員でなくなっても、アカデミー賞にノミネートされたり、受賞したりはできる。今年公開を控える主演作「Emancipation」も、オスカー狙いと位置付けられてきた作品だ。だが、18日の会議では、スミスがオスカー授賞式にしばらく出入り禁止を言い渡される可能性がかなり高いと見られている。前年の主演男優賞受賞者が主演女優部門のプレゼンターを務めるのはオスカーの伝統で、スミスは受賞スピーチの最後でも「アカデミーが僕をまた招待してくれることを願います」と言っていたが、これも相当に期待薄。あのショッキングな出来事を視聴者に思い出させるようなことをアカデミーがわざわざやるとは思えないからだ。

 しかし、アカデミーが彼にオスカーの返還を要求することはないだろうと考えられているし、アカデミーを退会したことで変わるのは、もうオスカーに投票できなくなることくらいだ。それはキャリア上、そんなに重要なことではない。ただし、米映画俳優組合(SAG-AFTRA)から懲戒処分を受けることになれば、それはスミスのキャリアに直接の影響を与えることになる。

 SAG-AFTRAには、スミス、ロックを含む、あの場にいたすべての俳優が加入している。組合員、つまり役者が健全な環境で仕事ができるよう常に働きかけているSAG-AFTRAは、オスカー授賞式会場という職場で暴力がふるわれたことに強い遺憾の念を表し、アカデミー、テレビ局ABCと、この件についての話し合いを進めていると述べた。その声明には、「組合員に対する懲罰」も検討していると書かれている。つまり、スミスに何らかの処分が与えられる可能性があるということだ。

 ハリウッドで映画やテレビに出演するには、SAG-AFTRAに入っていることが必須。もしスミスが一時的にでも組合員資格を停止されれば、その間、彼は仕事ができなくなってしまう。ただし、高いギャラを稼ぐスミスは、毎年高額な組合費を支払っていることから(組合員は200ドルの基本組合費にプラスして、収入の1.575パーセントを支払う)、SAG-AFTRAはお手柔らかに彼を扱うはずだとの皮肉な声も聞かれる。

過去にSAGを追放されそうになった人物は?

 少なくとも、スミスがSAG-AFTRAを追放されることはおそらくないと言っていいだろう。過去にSAG-AFTRAを追放されそうになった例は、たったひとつしかないのである。その対象となったのは、ドナルド・トランプだ。

 テレビ出演で知名度を上げ、大統領選当選につなげたトランプは、30年以上にわたってSAG-AFTRAの会員だった。だが、昨年1月6日の議会議事堂襲撃事件が起きた後、組合は懲戒委員会を設立。この委員会が自分を追放しようとしていることがわかると、トランプはさっさと自ら組合を退会してしまった。

 退会を知らせる手紙で、トランプは、「あなたたちがどんな仕事をしてきたかは知らないけれども、私は自分の出てきた映画やテレビを誇りに思っている。『ホーム・アローン2』『ズーランダー』『ウォール・ストリート』『Fresh Prince of Bel-Air』『Saturday Night Live』、そしてもちろん、テレビ史上最も成功した番組のひとつである『The Apprentice』だ!」と書いた。

 彼が挙げた「Fresh Prince of Bel-Air」は、スミスの出世作であるテレビ番組。こんなところでふたりの運命が重なるとは、何とも奇妙だといえる。だが、セクハラ、パワハラがひどかったトランプと違い、スミスは現場で誰にでも優しく仕事熱心な、すばらしいリーダーとして知られてきた。この理想的なメンバーに、組合は、どんな処分を与えることになるのだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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