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DIYでソーラーキッチンカーを作った男の覚悟と過去「失敗を失敗で終わらせないために」

太田信吾映画監督・俳優・演出家

かつて作家の村上春樹も暮らした高級住宅地として知られる兵庫県芦屋市を拠点に、一風変わったキッチンカーを経営する男性がいる。かのうさちあさん。看板メニューの「焼き鳥丼」と「クレープ」を求め、ランチタイムのオフィス街では連日大行列ができる人気店だ。店主は、自ら無農薬で栽培した食材を使い、キッチンカーの車体も廃材を利用して手作りしているDIY精神の持ち主。そんな店主が、新たな挑戦に挑んでいる。完全ソーラーのキッチンカーをつくることだ。ガソリンなしで太陽光だけで走る前代未聞のキッチンカーを、見事に完成させることができるのか?

・かのうさんが暮らす町 

2021年11月のある平日のお昼どき。かのうさんの姿は三ノ宮市役所の裏手の路地にあった。この場所で平日は毎日11時から13時頃まで営業している。まだ12時には少し早いというのに、周辺のオフィスからスーツ姿のサラリーマンがかのうさんのキッチンカーに次々と向かっていく。

「焼き鳥丼をお願いします」
「大盛り?サービスするよ」

注文を受け、威勢のいい声を出しながらかのうさんがたっぷりと盛り付けるのは、淡路の知り合いが作った無農薬の「愛鴨米」だ。ジュージューと鉄板の上で白い煙と音を立てて焼かれる「淡路朝引き鶏」をその場でカットし、自家製ソースをかける。オフィス街ということもあり、あたりには10数台のキッチンカーや弁当売りの車が所せましと並んでいる。

かのうさんの店に並んだ男性に、その理由を聞いてみた。「キッチンカーっていうと、すでに出来ているお弁当とかを売りに来てるところが多いでしょう。でも、このお店はこの場で焼いてくれる。出来立てが美味しくて、どうしても食べに来ちゃうんですよね」

・トラック

客足が途絶えることなく、閉店まで鶏肉を焼き続けたかのうさんに、人気の秘密を聞いた。

「とにかく美味しそうな匂いを立てること。それに尽きると思いますけどね」

コロナ禍で多くの飲食店が打撃を受ける中、3密になりにくいキッチンカーという業態が注目を浴びているが、かのうさんがキッチンカーを始めたのはそれよりはるか前の2015年のことだ。

北海道大学卒業後、アルバイトで生計を立てながら音楽活動に励んでいた。音楽だけで生計を立てるのは難しく、手づくりパン屋や自然食レストランで働いた経験から調理の道に関心を持った。阪神淡路大震災の経験をへて、各地で被災地のボランティア活動を続ける中で、ダイレクトに人の心を掴むことができる飲食業への想いはより強まっていった。

その後、障がい児の福祉施設で給食作りの仕事につきながら独立のタイミングを計っていた彼の頭をよぎったのは、かつて東南アジアや南米を旅行中に出会ったリヤカーの移動販売車だ。煙を立てて鉄板で焼くイメージに自然と食指をそそられて近づいていくバックパッカー時代の自分がいた。「このスタイルだ!」とひらめいた彼は勤めていた給食センターを退職すると、見よう見まねでキッチンカーをつくり始めた。

「ピザ窯を乗せたキッチンカーとか、自転車発電でライブもできるキッチンカーとか色々とやってきましたよ。全部手作りで」

キッチンカーの業者に頼むと、どんなに安くても1台数百万円の費用がかかる。そこでかのうさんは中古の軽自動車を自分で改造し、いずれも車両代を除けば5万円程度でキッチンカーに作り変えてきたという。最初は営業許可の取り方もわからず、ヤクザにからまれたり、出店エリアによるニーズの違いをつかみきれずに売上が伸びなかったたりの苦労も味わってきたが、最近ようやく経営的にも軌道に乗ってきたという。

「でも実はね、しばらく店を休んで今、もう1台、新しいキッチンカーを作ろうと思ってるんですよ」

・ソーラーパネルで走るキッチンカー

かのうさんが考えているのは、「ソーラーキッチンカー」。それも、外部から電気の供給を受ける電気自動車のようなものではなく、車両に備えた太陽光パネルから得た電力だけで走る完全なエコカーだ。このところのガソリン価格の急騰にも後押しされたが、何よりも彼のモチベーションとなっているのが地球環境へ負荷をかけずに暮らすこと。かのうさんのその気持ちの裏側には、積年の思いがあった。

・電力を自給することへの目覚め

時は今から34年前、1988年にさかのぼる。北海道大学に在学中だったかのうさんは、仲間たちと泊原子力発電所の稼働に抗議すべく、発電所のゲート前にいた。ボブ・マーリーやU2、尾崎豊、忌野清志郎などのアーティストたちが反戦や非暴力を歌った時代に青春を過ごしたかのうさんが、社会的なメッセージを発する活動をするのは自然の流れだった。彼らが考えた抗議活動は、試運転を間近に控えた発電所の敷地に入り込み、花を植えることだった。発電所が、自分たちが暮らす街に放射能汚染という恐怖をもたらすのであれば、自分たちは花を植えることで地球環境の持続を訴えていくべきだと考えた。ところがこの試みはあえなく失敗。仲間2人が逮捕される事態になった。発電所は計画通りに稼働し、その後、作業員が微量の放射線を被ばくするトラブルを何度か起こしている。

「原発反対運動に自分たちは失敗したんです。その失敗を引き受けて、どう生きていくか。今は反対を叫ぶのではなく、生活のレベルで原発でつくられた電気を使わない暮らしにシフトしていくことが原発にこれ以上頼らない生活にに繋がると感じています」

・ソーラーキッチカーづくりを始めるまで

2011年の福島第一原発事故の後、遠ざかっていた脱原発運動を再開。イベントの電気を自作の自転車発電「発電チャリダー」で賄うなかで、みんなが力を合わせて力を取り戻していく笑顔を知る。自転車発電でバナナジュースやかき氷をふるまう中、おいしい食べ物にも引力があることを発見。かのうさんは発電の仕組みを知るため電気工事士の資格を取り、SNSを通じて日本各地で太陽光発電を生活に取り込んでいる先人たちに教えを請うなどして、太陽光発電の仕組みを学んでいった。東日本大震災の後にはこの自転車発電ライブや、芦屋駅付近に構える固定店舗と自宅の屋根にソーラーパネルを設置するなど積極的に活動を進めてきた。日々の営業で使っているキッチンカーにソーラーパネルを組み合わせるソーラーキッチンカーの構想は早くから温めていたが、高価な蓄電池や重量があるソーラーパネルにはなかなか手が届かなかった。ようやく念願が叶ったのは、近年、薄型・軽量のフレキシブルタイプと呼ばれるソーラーパネルが登場し、さらに蓄電池として廉価で充放電特性に優れ、安全性も高いリン酸鉄リチウムイオンバッテリーが流通し始めたためである。かのうさんは店の売り上げが好調で貯金もできたことから、一念発起して中国からソーラーパネルや蓄電池を大量購入。この取引を通じて知り合った太陽光パネルや蓄電池を扱うネットショップを営む岡崎慎一代表がこのプランに興味を持ち、製作への協力を申し出たという。

「ウチの太陽光パネルをこんな使い方してくれる人は初めてでした。太陽光パネルだけで走る車なんて素敵じゃないですか。とても意義深い活動だなと思って応援したくて」

岡崎さんはキャンピングカーで東京から兵庫の山奥にあるかのうさんの作業場を訪れ、連日の作業を手伝った。

・ソーラーキッチンの具体的な作り方

かのうさんが設計でこだわったのは、とにかく車体を軽量化 することだ。軽トラックの後ろのキッチン部分は「貨物」という扱いにして、車検の際には毎回おろす必要がある事情からも、それは必要不可欠の課題だった。そこで、軽天材と呼ばれる建築資材と薄型フレキシブルタイプの太陽光パネルを組み合わせて使うことにした。

新工法もあみだした。骨組みは、ホームセンターで売っている軽天材を2×4用のリジットタイでビス止めして、主要部分には内側に木材を入れて補強した。それまで木材でつくってきた数台のキッチンカーと比較して半分以下の重量になるという。

壁の材料はやはり軽量安価で入手しやすく加工も容易なポリカプラダンを使い、主要部分は縦横2枚合わせの合板貼りとすることで強度を確保した。ここにフレキシブルソーラーパネルを両面テープで貼り付け、さらに強度が必要な部分は軽天材の枠にビス止めしている。フレキシブルソーラーパネルのセルとセルとの隙間にビス止めができることは新たな発見だった。

これまでつくったキッチンカーの問題点だった雨漏りや隙間風も、屋根をアーチ型にすることや、ポリカプラダン、強力テープ、コーキング、マジックテープなどを使うことで、これまでにない快適さを実現したという。また、これまではガラス製のソーラーパネルを屋根に載せていたため、走行中に引っ掛けたりして割らないように気を遣っていたが、フレキシブルソーラーパネルにしてその心配もなくなった。

約1週間の製作期間中、平日の営業を休んで作業に没頭したため、常連客から心配の電話が相次いだという。途中、大容量の太陽光発電による電力を蓄電するためのファームウェアのアップデートが上手くいかないなどのトラブルはあったが、岡崎さんをはじめとする専門家のサポートもあり、なんとか完成にこぎ着けた。ソーラーパネルは、200Wのものを13枚使用した。理論的には1日50km走れる。日々の営業には問題ない発電量と走行距離だ。

・ソーラーカーでぬくもりを届ける

2021年11月。かのうさんのソーラーキッチンカーの営業許可を担当した神戸市東部衛生監視事務所の職員はユニークな車体を見て驚きの声をあげた。「私が営業許可を担当させていただいてからこんな車を見るのは初めてです」。走行面も設備面も問題なく、かのうさんがDIYで作り上げたソーラーキッチンカーは無事に産声をあげた。兵庫県内を中心に、これまで通りオフィス街での通常営業を続けるほか、全国各地への出張出店も積極的に行いながら、クリーンエネルギーを活用して安全安心な食事を届けていくつもりだ。

かのうさんは、これからをこう語る。

「温かな食事、温かな音楽、それを地球に優しい温かなエネルギーで運ぶこと。それを続ける日々の中でダイレクトにお客さんの心にぬくもりが届いているなという実感があります。原発反対運動の反省・力及ばず感をバネにこれからもこの活動を続けていきたいと考えています」

クレジット

ディレクター:太田信吾
プロデューサー:初鹿友美、金川雄策

映画監督・俳優・演出家

1985年長野生まれ。早稲田大学文学部卒業。『卒業』がIFF2010優秀賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13)がYIDFF2013をはじめ、世界12カ国で配給。その他、監督・主演作に劇映画『解放区』(14)、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2022優秀芸術賞受賞の『現代版 城崎にて』(22)。俳優としても、舞台や映像で幅広く活動。

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