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「悔しいほど、楽しい!」リオ自転車・銀の鹿沼がエイジパラトライアスロンで復活!

佐々木延江国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表
バイクスタートを待つ鹿沼由理恵(右)とガイドの脇真由美 写真・山下元気

 オリンピック・パラリンピックにつながるエリートレースが行われた翌日、同じ山下公園の施設を使って、5月19日(日)横浜トライアスロン2日目、市民による「エイジグループ(5歳ごとの男女)」のレースが行われ、パラトライアスロンにも過去最多の29名が出場。7時15分に第1ウェーブでスタートした。

 年々参加者が増えるエイジパラトライアスロンだが、今年は2人のパラリンピック・メダリストが出場してのレースとなった。うち一人がリオパラリンピック(2016年)自転車の銀メダリスト・鹿沼由理恵(視覚障害/B2)である。

フィニッシュテープを切った鹿沼由理恵とガイドの脇真由美 写真・山下元気
フィニッシュテープを切った鹿沼由理恵とガイドの脇真由美 写真・山下元気

 「自転車20キロのあとのランは楽勝じゃないかと思っていましたが、けっこう苦戦してしまいました!」と、フィニッシュ後、呼吸を整えながら、こらえきれない喜びに包まれた表情をみせ、鹿沼は話した。

 スイムは義手制作が途上にあるためスキップし、バイク20kmを37分25秒、ラン5kmを33分36秒で終えた。

 鹿沼は、冬季バンクーバーパラリンピック(2010年)にクロスカントリースキー日本代表として出場。その後、左肩を痛めて自転車に転向。リオパラリンピックに自転車競技で出場し、銀メダルを獲得した。

  リオを終えすぐ、神経まひで痛めていた左腕を手術、左腕を切断。その後も手術を重ねた。病床からSNSを更新するなかで競技への想いや現実の苦悩が綴られていた。

 横浜での「エイジパラトライアスロン」が、長い闘病生活を経た目標の一つにあり、「パラリンピックへつづく道」への復帰戦となった。 

鹿沼と脇によるバイクパート 写真・秋冨哲生
鹿沼と脇によるバイクパート 写真・秋冨哲生

 「リオのあとすぐ入院したので、じつは(トライアスロンで)自転車に乗るのは今日が初めてなんです。練習すらしていません。(闘病の)苦悩のなかで(どうなるかと)いろいろ考えていましたが、今、一番は、悔しさです。悔しいくらい、楽しかった。初めて乗った時の楽しさだった」と鹿沼は話す。

 「悔しい。」というのは、闘病の苦悩のすえ、自転車に乗れて嬉しい。練習ができ、パラリンピックを目指せる身体があることへの喜びの表現(言葉)として筆者に伝わってきた。

ガイドとの出会い

 「一緒に出てくれる選手がいなくて、探していたんです」とガイド。

 今回、鹿沼のガイドを引き受けたのは脇真由美氏だった。リオパラリンピック日本代表の円尾敦子のガイドの経験もある、ベテランガイドで、エイジグループのトライアスリートでもある。鹿沼とのレースのあと、自分のレースにも出場する。

トランジッション後、ランパートへ向かう 写真・山下元気
トランジッション後、ランパートへ向かう 写真・山下元気

 「(鹿沼は)トライアスロン初めてと思えない選手。当然ながら、脚力も違うし、最初は私のほうがこわごわしてしまい、叱られました(笑)。1週目、2周目、3周目とどんどん成長していきました」と、鹿沼とのレースの感想を話し、これまでの選手とは違うことを感じとっていたようだ。

 鹿沼のほうも、町田市(東京都)に住み、関東圏でガイドが少ないことは知っていたため、脇の申し出に感謝していた。

 こうして、銀メダリスト鹿沼は「トライアスロンの初チャレンジ」を果たした。

 「やれないってあきらめないで、どれだけやれるか?試せる身体はある。スイムはスキーのトレーニングでやっていた。自転車は感覚を戻す。伴奏者とのランニングも実ははじめてですが、いろいろな模索をしながら進めていける。つまり、試せることがいっぱいあるってこと!」と、この日の鹿沼のポジティブ・シンキングが突き抜けていた。

レースの準備をする鹿沼 写真・山下元気
レースの準備をする鹿沼 写真・山下元気

 また鹿沼は、「パラリンピックって、障害の軽い人のスポーツってイメージがあると思うんです。重度の人にも競技する権利はもちろんあるし、重複障害の人でもやりたいって気持ちがあれば、できる。私はそれを証明できる。どんどん自分を試して門戸を開いていきたい。それから、パラリンピックが全てではありません。パラにない種目もある。大事なのは、運動したい、うごきたい、という気持ち。そして、多くの楽しさを仲間と分かち合えるかが重要」と話してくれた。

<参考>

横浜トライアスロン・リザルト

https://yokohamatriathlon.jp/wts/result_all.html

国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表

パラスポーツを伝えるファンのメディア「パラフォト」(国際障害者スポーツ写真連絡協議会)代表。2000年シドニー大会から夏・冬のパラリンピックをNPOメディアのチームで取材。パラアスリートの感性や現地観戦・交流によるインスピレーションでパラスポーツの街づくりが進むことを願っている。

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