「天国」から「地獄」にUターンしようとする脱北者 疎外と貧困と望郷が動機
今年8月に韓国では北朝鮮の民間人が黄海(西海)の漢江河口南北中立水域を歩いて韓国に脱北した事件と軍人1人が江原道・高城地域の軍事境界線(DMZ)を越え、脱北した事件が大きな話題を集めていたが、一昨日(10月1日)午後1時頃、「北朝鮮に戻りたい」との想いからバスをジャックし、北朝鮮に通じている京畿道坡州市の統一大橋を渡り、北朝鮮に向かおうとして脱北者が逮捕されるという衝撃的な事件が起きた。
逮捕されたのは2011年に脱北した30代の男性で、警察の取り調べに対してUタ―ン亡命の理由として「韓国で生活が苦しかった」ことと「北朝鮮にいる家族に会いたかった」ことを供述していた。
男には窃盗容疑の他に国家保安法違反の容疑が掛けられている。政府当局の許可なく北朝鮮に勝手に行くことは許されず、国家保安法(第6条)で禁じられている。韓国への脱北者は熱烈歓迎されるが、北朝鮮への脱南者は厳重に処罰される。
統一大橋の検問所を突破したバスが橋の北端のバリケードにぶつかったところで停止し、男は逮捕されたが、止まらなければ、哨兵らに射殺されていたであろう。反国家団体(北朝鮮)が支配する地域への逃亡、脱出は事実上「敵前逃亡」とみなされ、言うことを聞かなければ、射殺の対象となるからである。
南北連絡事務所や工業団地のある北朝鮮の開城まで約20km、車で約30分のところにあるこの場所では2021年9月にも60代の女性が現金と非常食だけを手にして歩いて北朝鮮に渡ろうとして逮捕される事件が起きている。検問所でチェックされ、警察に引き渡されたが、この女性もまた哨兵に「北朝鮮に戻りたかった」と動機を語っていた。
変わったところでは、2018年8月30日に車に乗った韓国人男性が検問所の制止を振り切り、さらに共同警備区域(JSA)の歩哨所を通り抜け、非武装地帯(DMZ)の入り口にある第4通門を通過したところでJSA第4大隊兵力に逮捕される事件が起きている。驚いたことにこの男は過去に中国から北朝鮮に不法入国し、板門店で韓国に送還された経歴の持ち主だった。
北朝鮮にUターン亡命した脱北者は判明しているだけでも2023年末現在、50人いるようだ。
様々な調査の結果、脱北者が北朝鮮に戻りたい理由は主に▲疎外▲貧困▲望郷の3つである。
ソウル大学統一平和研究院が昨日(10月2日)公開した「2024年 (韓国人の)統一意識調査」によると、韓国政府が脱北者を温かく迎い入れるよう今年から7月14日を「北韓(北朝鮮)離脱住民の日」に設定したにもかかわらず、「脱北者に親近感を持っている」とする国民は17.5%しかいなかった。
また、政府の統一諮問機関である「民主平和統一諮問会議」が昨年11月に実施した「脱北者に対する認識調査」によると、脱北者が3万4千人もいるのに国民の78%が「会ったことも、見たこともない」と答えていた。偏見や差別を恐れ、脱北者が身分を隠していることが原因とみられている。
脱北者の生活状況についてはソウル研究院が昨年12月に公開した脱北者アンケートによると、ソウル在住の脱北者のうち70%が生計維持に困難を来していた。平均で10人中、6人が100万ウォン(日本円で約10万8千円)以下の生活費で暮していた。
さらに管轄の統一部が2022年1月に発表した「脱北住民脆弱階層調査」によると、調査対象の脱北者1582人のうち47%が情緒不安定に陥り、精神的に参っていたこともわかった。中には自ら命を絶った脱北者もいて、脱北者の自殺率は2006年から2020年までの15年間で年平均23人に達していた。
第3国に移住する脱北者も急増し、2016年から2018年までは毎年700人に上っていた。
脱北者が第3国に移住したのは2007年に英国が最初で、その後「脱南」は急速に広がり、2013年にはカナダに「難民」申請した脱北者数だけで700人を超えた。朴槿恵(パク・クネ)政権下のこの年の脱北者数は1514人なので、単純計算だと、半数近くが入れ替わりで韓国を離れたことになる。
韓国を離脱し、第3国に行けば、そこから先は韓国政府も所在を掴めない。中には第3国から北朝鮮に戻った脱北者がいても不思議ではない。