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テクノロジーで語られる聖杯とは

津田建二国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長
インタビューしたNavalia社のドクター・ケイト・ストーンCEO

最近、Holy Grailという英語をハイテク企業のインタビューやビデオ会見などで聞くようになった。辞書を引くと、「聖杯」とある。聖杯とはキリスト教の最後の晩餐に出てくる杯に由来する言葉であり、何度か聞くうちにわかったことは、非常に高く手が届かない所にあるという意味で使われるようだ。

1年前、フレキシブルエレクトロニクスの取材で英国ケンブリッジのNovalia社を訪問した時にこの言葉を初めて聞いた(取材の紀行は「急ぎ足の英国出張記」(参考資料1)参照)。その後、ビデオ会見でも2度聞いた。最初はNovalia社のドクター・ケイト・ストーンCEO(図1)を取材した時だ。フレキシブルエレクトロニクスの基本となっている、プリンテッドエレクトロニクスでトランジスタを作るのはもはやHoly Grailだと述べた。つまり、いくら努力しても目標が遠すぎて、到達することが難しすぎる、というたとえで使っていた。

図1 Novalia社のCEOであるDr. Kate Stone氏
図1 Novalia社のCEOであるDr. Kate Stone氏

プリンテッドエレクトロニクスでトランジスタを作る研究は10年以上も前から世界中の研究者が手掛けてきたが、いまだにろくな性能のモノが研究試作レベルでさえ出来ていない。世の中に出回っているシリコンCMOSでは、世界を変えるような素晴らしい性能でムーアの法則と共にさまざまなガジェットや機器の機能を実現してきた。かつて有望と言われたGaAs集積回路でさえ、微細なシリコンCMOS集積回路は凌駕した。

つまり、これからのプリンテッドエレクトロニクスは、論理回路やメモリなどの演算にシリコンを使い、センサや配線、ディスプレイなどをプリントなどで形成する方法が主流となろう。これをフレキシブルハイブリッドエレクトロニクス(FHE)と呼び、FHE アライアンスという組織までできた。幸い、シリコンCMOS ICの中でも先端的な製品は直径300mmのシリコンウェーハ(円盤)を用いて、回路を形成するが、焼き付けた回路が完成するとウェーハの0.8mmという厚さを0.1mm程度まで薄く削る。その後、ダイシングと呼ばれるチップ化工程を短縮するためであり、薄い分だけ熱抵抗が下がり発熱対策にもなる。0.1mmすなわち100ミクロンほどに薄くなると単結晶のシリコンといえどもフレキシブルになる。図2はドイツのインフィニオン・テクノロジーズが製作した300mmの完成ウェーハだが、薄く削った後ではポテトチップのようにフレキシブルに曲がってしまう。シリコンでなくてもガラスでも100ミクロンまで薄くなると丸めることができる。

図2 ドイツInfineonが製造している直径300mmシリコンウェーハ
図2 ドイツInfineonが製造している直径300mmシリコンウェーハ

これまでのApple WatchやFitBitの活動量計のようなウェアラブル端末では、まだフレキシブル基板を使っていない。固いプラスチック基板にICなどを搭載して形成しているが、さらに曲線形の人間の体に合った端末を目指すのなら、フレキシブル基板に薄いシリコンを使う回路がふさわしい。フレキシブル回路基板はすでに小型の端末や時計などの製品で実績がある。加えて、有機ELディスプレイはフレキシブル基板上に作り込むことができるようになっている。さらに、全固体リチウムイオン電池でさえ、フレキシブル基板上に形成できるようになってきた。これからのウェアラブル端末にはFHEが使えるようになってきている。

これまで研究のための研究として良いテーマであったフレキシブルエレクトロニクス、あるいはプリンテッドエレクトロニクスは、薄いシリコンCMOS集積回路を搭載することで商用化が見えてきた。FHEアライアンスは製造装置や材料などのサプライチェーンを確立しなければならず、昨年10月に半導体製造装置・材料の協会であるSEMIの傘下になった。このことで、フレキシブルエレクトロニクスの商用化は早まったといえよう。

一足早くプリンテッドエレクトロニクスを商用化しているNovalia社は、フレキシブルに重点を置いていないが、すでに米国や香港、オーストラリアなどで製品を販売している(参考資料2)。同社は紙に配線やタッチパネルのセンサを印刷して作り、固いプリント基板にシリコンICを実装している。タッチセンサに触れるとドラムやピアノなどの音が出るという仕掛けである。ピアノには厚手のボール紙に鍵盤を描き、その下にタッチセンサを配置する。ドラムには丸い模様を描き、そこをタッチするとドラムの音が出る。これを広告代理店が採用し、いくつかの企業広告に使っており、街行く人がタッチして音を楽しんでいる。ただし、これまでのところは紙に印刷するエレクトロニクスであり、必ずしもフレキシブルではないが、早晩フレキシブルに手を広げることは時間の問題である。

最後に、インタビューしたドクター・ケイト・ストーンの経歴も実は、Holy Grailから商用化への転身をよく表している。彼女はケンブリッジ大学で博士号を取得した才女であるが、その時のテーマは、単電子トランジスタの研究だった。これこそ、研究のための研究であり、実用化は遠い話のテーマであり、彼女が純粋な研究者だったことを物語っている。教授がプラスチックロジック社を設立したため一緒に参加し、印刷技術で作る電子ブック(アマゾンのキンドルのような製品)を目指したが、何年たっても実用化できなかった。結局、プラスチックロジックを飛び出し起業した。

今度は、商用化を第一に考え、これまでの新技術ではなく古い技術で実現することを考え続け、最新のトレンドである、エクスペリエンスを採り込むことをじっくり考え、面白いタッチセンサベースの楽器を作り出した。これまでの先端新技術ばかりの考えをガラリと変えるために考えたことは、Cleansing(浄化するように)、Immersive(仮想現実のように没頭するような)、Emotional(感情が高まるような)、Experience(体験)であった。紙から魔法を生むような製品を作ろうとしたのである。

(2016/04/26)

参考資料

1. 「急ぎ足の英国出張紀」(2015/04/01)

2. 「既存技術で、プリンテッドエレクトロニクスを実現。新しいエクスペリエンスをつくる」

国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

国内半導体メーカーを経て、日経マグロウヒル(現日経BP)、リードビジネスインフォメーションと技術ジャーナリストを30数年経験。その間、Nikkei Electronics Asia、Microprocessor Reportなど英文誌にも執筆。リードでSemiconductor International日本版、Design News Japanなどを創刊。海外の視点で日本を見る仕事を主体に活動。

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