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井手口陽介がセルティックFCへ移籍。「伝えたいことはたくさんあります」

高村美砂フリーランス・スポーツライター
強いガンバを取り戻す力になりたかったと胸の内を明かした。写真提供/ガンバ大阪

 12月31日、井手口陽介のセルティックFCへの移籍が発表された。彼にとっては2度目の海外移籍。だが、その決断には1度目よりも長い時間が必要だったと言う。思えば、18年1月に初めての海外移籍に踏み切った際はどちらかというと自分に矢印が向いていたため決断も早かった印象だが、今回は違う。年齢を重ね、ガンバでの立ち位置も変わりつつあった中で、その一員として戦うことの『責任』も彼の中で少しずつ形を変えていたからだろう。「今年は全くチームの力になれなかった」という悔しさの受け止め方も例年とは違い、だからこそ、今のタイミングでガンバを離れることに、最後まで頭を悩ませた。

「今シーズンはチームとしても結果が出せなかったし、自分自身のパフォーマンスとしてもプロになって一番と言っていいくらい低調に終わってしまって、強いガンバを取り戻すどころか、1試合も相手を圧倒するような戦いを示せなかった。きっと、応援してくれていた人たちも楽しいな、面白いなって思ってガンバの試合を見たことはなかったんじゃないかと思う。そのことをすごく申し訳なく思っていたし、自分に対してももどかしさを感じていたからこそ、来シーズンはチームの戦力として不可欠な存在になると誓ってシーズンを終えました。過去の歴史を見ていても、ガンバのサッカーには『ボランチ』の安定感が不可欠で、それを担う自分の責任を改めて考えたところもありました。チームの流れが悪い時にこそ、それを一変させられるくらいの存在感を示せるようにならなければいけないということも、シーズンを終えて改めて自分に突きつけ、そのためには何が足りないのかを整理した上でシーズンオフを過ごそうとも考えていました。だからこそ、セルティックからオファーをもらっても二つ返事でいきますとは言えなかったし、実際、最初の海外移籍のようにすぐに答えを出すことはできなかったです。でも決して長くはないサッカー人生の中でこういうチャンスは何度もあるわけではないと思うので。最後は今、決断しないと後から自分自身に後悔を残すんじゃないかと思って移籍を決めました」

 もう1つ、今年の8月23日、25歳の誕生日に家族と話し合って決めた『約束』も頭にあった。

「どう考えてもサッカー界における25歳は若くはないですからね。チームでの活躍の先には日本代表への復帰も描いていた中で、25歳の誕生日を迎えて妻とも話をし、ズルズルと流されて毎日を過ごすのではなく、きちんと目標を定めようという話になった。その時に『来年の夏か、冬までに海外からオファーが来なければ、海外でのプレーは諦めて日本でのプレーに専念する』と決めたんです。もちろんこのオファーというのは、海外ならどこでもいいということではなく、自分がステップアップを図れるオファーなら、ということが大前提だったんですけど。当然ながら僕が歳を重ねれば子供も大きくなるわけで、子供たちの将来を考えてもその方がいいし、僕自身のことを考えてもしっかり線引きして、目標を明確にしてサッカーに向き合った方がいいだろうというのもありました。そしたら今回、セルティックからオファーをいただいて…正直、今年の自分のパフォーマンスを考えれば驚いたところもあったんですけど、少なからず25歳は勝負の歳だという決意でサッカーと向き合ってきたのは間違いないし、自分のキャリアだけを考えるなら行くべきなんじゃないかと。ただ、さっきも話したように強いガンバを取り戻す力になりたい、という思いも強かったですから。そこの葛藤はすごくありました」

 チャレンジを決めた背景として、日本のサッカー、日本人選手の特徴を十分に理解しているアンジェ・ポステコグルー監督率いるセルティックからのオファーだったことも大きかったと話す。今年の夏に同チームに移籍した古橋亨梧の活躍にも刺激を受けていた。

「試合を見ててもポステコグルー監督は明らかに古橋選手の特徴を活かす起用をしていたし、Jクラブでの監督経験をもとに、日本人選手の特性や資質をすごく理解している監督だということも決め手の1つになりました。ポステコグルー監督に自分がどんな風に起用されて、どんな仕事を求められるのか。それによって自分がどう変化できるのかを見たかったのもあります。ただ、海外で結果を残すには、それ以前にまず僕自身が変わらなアカンとも思っています。前回の海外移籍の経験からも、もっと言葉の理解を深める努力をせなアカンし、自分が思っていること、やりたいことをプレーで表現できるようにならなければいけない。自分が思っていることを周りが察してくれるのを待つのではなく、自分から伝える意識を持ってプレーすることも必要だと思っています」

 目先の目標として定めるのは、セルティックで圧倒的な存在感、結果を残すこと。先の言葉にもあるように日本代表のことは常々頭の片隅には置いてきたが、兎にも角にもセルティックでポジションを掴まなければ話にならないと語気を強める。

「18年に海外にチャレンジしてほとんど主力として試合に絡めずに日本代表からも外れて…。その経験をしているからこそ、今はとにかくセルティックでの活躍が第一だと思っています。それがあって初めて日本代表のことも話せる状況になると思うので、とにかくまずはセルティックでポジションを掴めるように死に物狂いで頑張ります」

 その決意のもと12月30日には単身で日本を出発。31日にはセルティック、ガンバの両チームから正式に完全移籍が発表された。住まいのことも含めてスコットランドでの生活環境が整えば、家族を呼び寄せることになっているという。

「コロナ禍でイレギュラーなことも多いはずだし、慣れない海外での生活となれば大変な部分もあると思いますけど、妻もそばで支えてくれると言ってくれた。その想いにしっかり応えたい」

 今回、コロナ禍が影響して就労ビザの取得に時間がかかったたため、ビザ取得の翌日に日本を旅立つという慌ただしいスケジュールで事が進んだからだろう。「お世話になった人たちにきちんと挨拶が出来なかったのが心残り」と話した井手口。ファン、サポーターの皆さんへの伝言はあるかと尋ねたところ、普段はどちらかというとドライな彼にしては珍しく「伝えたいことはたくさんあります」と前置きした上で、1つ1つ丁寧に言葉を紡いだ。

「ビザが下りて正式に移籍が成立し、急遽、日本を離れることになったのでゆっくり挨拶もできずにすいません。今年は個人としてもチームとしても苦しい時間が長く続いて、応援してくれる人たちにとってもスッキリしない1年だったんじゃないかと思います。コロナ禍でなんとなく世の中が元気がない今だからこそ、もっとガンバのサッカーでワクワクさせたかったし、サッカーを楽しんでもらいたかったのに、おそらくそんな気持ちでスタジアムを後にできた試合はほぼなかったんじゃないかと思います。もしかしたら、近年で一番がっかりさせてしまったシーズンかもしれません。そのことにすごく責任を感じていたからこそ、シーズンが終わった時には『今年、経験した悔しさは来シーズンの戦いで取り戻していくしかない』と思っていました。来シーズンは、新しいエンブレムで戦う節目の年で、新監督のもとで新たなサッカーに取り組むことも楽しみにしていました。僕がアカデミー時代から見てきた、強いガンバ、勝つガンバを取り戻すために、その一員として戦うというより、自分の手で強いガンバを取り戻したいとも思っていました。それが、育ててもらったガンバへの、一度目の海外でうまくいかなかった僕を呼び戻してくれたガンバへの恩返しになると考えていたからです。だからこそ、こうして移籍を決断し、出発の準備をしている今も正直、まだ心のどこかでスッキリしていない自分もいます。でも悩んだ分だけ、やってやる、という思いも強いです。一度目の経験からも、簡単なチャレンジではないとわかっていますが、自分が下した決断に責任を持って、応援し、支えててくれる人がいる心強さを力に変えてセルティックに乗り込みます。サポーターの皆さん、ガンバをどうかよろしくお願いします。これからも温かく、熱く、ガンバを応援してください。その上で余力あれば僕のことも応援してもらえたら嬉しいです。ありがとうございました」

 悩んだ末の決断を自分の成長、変化につなげるために。チャレンジを恐れず、自分を信じて。井手口陽介は2度目の『海外』に足を踏み出した。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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