【入間市】日常の中の戦争を知る。「第28回 入間市平和祈念資料展」が入間市博物館にて開催されました。
令和6年7月31日(水)~8月8日(木)の間、核兵器が人類におよぼした悲惨な現実と平和の尊さを伝える「第28回 入間市平和祈念資料展」が入間市博物館ALITにて開催されました。
この資料展は入間市に在住の方々から寄贈された資料や、広島平和記念資料館、沖縄県平和祈念資料館から借用した貴重な資料を展示し、多くの方々に平和に対する認識を深めてもらいたいとの願いが込められています。
皆さんは、入間市が平和都市宣言活動の一環として入間市博物館ALITを会場にし、平成9年度より毎年「入間市平和祈念資料展」が開催されていたことをご存知でしたでしょうか?
エントランスホールには、入間市博物館ALITの向かい側に広がる狭山台土地区画整理事業地から、金子台一帯に存在していた「狭山陸軍飛行場」に関する資料が展示がされています。
皆さんの中には「どうして、こんな茶畑の中に得体の知れない建造物の跡があったり、路地裏に石碑があるのかな?」「なぜ物資の足りない時代に、鉄を使った強固な橋がかけられたのだろう?」と疑問に感じたことのある方もいらっしゃるかと思います。
この飛行場の展示を見ていくと、全ての謎がスルスルと紐解かれていきます。
それでは展示室の中へと入って行きましょう。
こちらは入間市の姉妹都市である、ドイツのヴォルフラーツハウゼン市から頂いたという花瓶です。
入間市博物館学芸員の梅津さんによりますと、花瓶の絵を描いたのは今現在も戦禍の中にあるウクライナのお子さんだということです。
この花瓶には平和の象徴とされる白い鳩が描かれています。実はこの花瓶となっているのは「砲弾」なんですよ。筆者はその事実を知った時、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
こちらは入間市内にお住まいの方々から寄贈された資料です。この展示では入間市の人々の「日常」の中にあった「戦争」が紹介されていました。
戦時中に使用されていたラジオや日々の日記。宮寺地区で空襲があった際の爆弾の破片や、銃弾もあります。
また、空襲のときに赤ちゃんが被っていた防空頭巾や、子どもたちに「遊び」として与えられた木製のパズルや絵合せ。
夏休みの課題や教科書なども展示されています。
こちらは終戦後の資料です。皆さんも一度は教科書などでご覧になったことがあるのではないでしょうか?「あたらしい憲法のはなし」の有名なページが展示されています。
子どもたちが使用する教科書には「墨ぬり」がほどこされ、戦時中とは180度転換された教育の姿となっています。
この資料だけでも、入間市の人々にとって戦争は常に隣り合わせであったことが分かりますね。
沖縄県地上戦が繰り広げられた沖縄の資料には、鉄かぶとや軍靴、銃弾が貫通した痕が残された水筒。折れ曲がった飯盒や薬品瓶、手術に使ったであろう器具などが展示されていました。
梅津さんによりますと、今でも戦時中の遺品などが沖縄では発見されるのだそうです。終戦から今年で79年経過していますが、まだまだ戦争の傷跡が深く残っているのですね。
宮古島に住む方々の証言がインタビュー形式でまとめられた資料のコーナーもありました。
このコーナで、梅津さんから「私たちは戦争というと、当たり前のように戦闘のことばかりを頭に思い浮かべてしまいますよね。沖縄戦でお亡くなりになった方々は、戦闘だけが原因で命を落とされというわけではないんですよ。」「疎開先とされた地に追いやられ、マラリアや食糧不足が原因で亡くなった方が多くいらしたんです。」と、詳しく教えていただきました。
来年、令和7年には戦後80周年を迎えます。戦争という暗闇の広がる世界を生き抜くことの非情さは、現代に生きる私たちには想像を絶するものがあります。
ですが「目を背けたくなるような日常が、目の前にあった。」ということは揺るがない真実です。
入間市の子どもたちの弾けるような笑顔や、日々ある平穏な暮らしに幸せを感じつつ、筆を置きたいと思います。貴重な時間をありがとうございました。
▼入間市博物館ALIT▼
住所:入間市二本木100
電話:04-2934‐7716
開館時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
休館日:月曜日(その日が祝日または振替休日の場合は、その翌日)
祝日の翌日(その日が土曜日・日曜日、または祝日である場合は除く)
年末年始(12月27日から1月5日)