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井岡一翔に勝った南米の野獣マルティネスは奈落の底から這いあがった反骨の男

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
井岡一翔vs.フェルナンド・マルティネス(写真:ボクシング・ビート)

新統一王者が凱旋帰国

 7日、東京で行われたスーパーフライ級2団体統一戦で井岡一翔(志成)に3-0判定勝ち。WBA・IBF統一世界王者に就いたフェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)が故郷に凱旋帰国した。ブエノスアイレスのエセイサ空港には彼の贔屓チームでファンの地盤でもあるボカ・ジュニアーズの大旗がはためき、応援歌、爆竹が轟き、ボカが特別に差し向けた消防車でパレードを行った。大歓待を受けたマルティネスは「目標の半分を達成した。家族と少しリラックスした後、4つのベルトを獲るまで突っ走りたい」と抱負を語っている。

 井岡戦の予想は井岡がやや有利と出ていた。米国のオッズメーカーは5-3で井岡を支持していた。だから番狂わせとは言えないと思うが、地元アルゼンチンのメディアによると必ずしもマルティネスは期待されていたわけではなかったようだ。「マルティネスは両拳によって評判を覆した。試合前のうわさや陰口を封じてリスペクトされ、国のボクシング史にページを刻んだ。形勢は逆転し、彼は偉大な主役になった」(フアン・クルス・ルッソ記者)

 マルティネスが狙う残り2本のベルトを保持するのはWBC王者ジェシー“バム”ロドリゲス(米)とWBO王者の田中恒成(畑中)である。このうち今月20日にジョナタン・ロドリゲス(メキシコ)との初防衛戦に臨む田中にマルティネスとの統一戦の話があるようだ。また明日12日(日本時間13日)母国ニカラグアで復帰戦に臨む“ロマゴン”こと元世界4階級制覇王者ローマン・ゴンサレスも対戦候補に挙がっているらしい。

井岡戦で商品価値は急騰

 一方で米国をはじめ海外ファンが待望するのが“バム”とマルティネスの一騎打ちだ。井岡との超がつく激闘で文句ない勝利を飾ったマルティネスは日本で好印象を残したことは間違いない。試合内容と同じく戦前戦後のパフォーマンスや言動で親日家の一面を覗かせたアルゼンチン人が再び日本のリングに上がる可能性は大。バムが帝拳ジムとプロモート契約を結んでいることも実現の追い風になるのではないだろうか。

 ちなみに筆者は6月上旬、ラスベガスで調整中のマルティネスにインタビューしたが、4月に井岡戦の発表会見で来日したマルティネスは日本の文化やしきたりにいたく感銘したと強調していた。そこには軽量級のメインステージになっている日本のリングに立つ経済的なメリットもあるだろう。井岡戦でマルティネスの商品価値は相当、上昇したはずだ。

 他方で米国の軽量級では貴重なタレントのバムにかかる期待は極めて大きい。すでにスーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥(大橋)とのビッグマッチが待望されている。まだドリームファイトの域を出ないが、ファンの観戦意欲を刺激して止まない。

 一方、来週33歳の誕生日を迎えるマルティネスは早めに注目ファイトを実現させたい願望がある。レジェンドの一人、前WBC世界スーパーフライ級王者“ガジョ”ことフアン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)に鮮烈な決着をつけて戴冠したバムはスターの域に達した。それだけにマルティネスとの対決は米国開催も有力。プロモーター各氏の尽力に期待したい。

エストラーダをKOし、WBC王者に復帰したバム・ロドリゲス(写真:BoxingScene.com)
エストラーダをKOし、WBC王者に復帰したバム・ロドリゲス(写真:BoxingScene.com)

アルコール依存症&ドラッグ禍を体験した過去

 さて、井岡との激闘の余韻が残るマルティネスはラスベガス合宿は20日ほどだったが全部で5ヵ月に及ぶトレーニングを行ったと明かしている。勝因の一つに挙げた「1ラウンドに食らったボディーブローに耐えたこと」は特訓の成果に違いない。ボクシング能力といっしょにハートを誇示した“プーマ”マルティネス。南米の野獣の半生は波乱に富んだものだった。

 ブエノスアイレスの港町ボカ地区で1991年7月18日、12人兄弟の7番目として生まれたマルティネスは貧しいながらもサッカーに熱中する少年時代を送っていた。父アベルが熱心なボクシングファンだったことからボクシングに興味を持ち、11歳の時にアマチュアキャリアをスタート。17歳でアルゼンチン代表に選ばれる。

 順風満帆に思えたキャリアだったが、2014年に父が死去すると一転する。一家の大黒柱であると同時に自身をリングに導いてくれた師を失ったショックは大きかった。ジムから遠ざかり、アルコールとドラッグ依存症に陥る。理由もなく街を徘徊する日々が続き、悪習に染まる。マルティネスの表情から一瞬、狂気の光がはしるのは、そんなどん底を体験したからだろうか。

挫折を経験しながら世界王者に就いたマルティネス(写真:SHOWTIME)
挫折を経験しながら世界王者に就いたマルティネス(写真:SHOWTIME)

 幸い、ロドリゴ・カラブレッセ・トレーナーと母シルビアさんのサポートで最悪の事態を回避したマルティネスは再びグローブを握る。彼が回り道をしたのは1年ぐらいだろうか。16年のリオデジャネイロ五輪代表選手に選ばれ、復活をアピール。17年8月プロデビューを果たす。その後、南アフリカやアラブ首長国連邦でリングに上がり米国へ進出。IBF世界スーパーフライ級王座を9度防衛していたジェルウィン・アンカハス(フィリピン)を番狂わせで破り王座奪取。ダイレクトリマッチで返り討ちにして防衛。昨年6月、同じフィリピン人のジェイド・ボルネアに11回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。

 アマチュアで一度キャリアがとん挫したマルティネスがよみがえったのは周囲の尽力もあったが本人の反骨精神によるものが大きい。ビッグマッチの主役の一人に躍り出た2団体統一王者は本気で4団体統一王者を目指す。それが成就する日は訪れるのか。過熱するスーパーフライ級戦線がますます面白くなってきた。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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