ヒップホップシーンの中で我が道をひた走る、熊本が生んだヒーロー・餓鬼レンジャーが支持され続ける理由
ヒップホップのスタイル数あれど、日本語ラップのエンターテイナーとして、オリジナルスタイルを確立した餓鬼レンジャーは、結成から20年を超え、デビューからも16年、常に注目を集め走り続けてきた。しかし彼らはさらに攻めに出た。8月2日に発売したアルバム『キンキーキッズ』から新たに5人組となり(4人+1神!?)、新生・餓鬼レンジャーとして始動。インディーズから放たれるこの新作はより自由と強度、エンターテイメント性が増している。そんな彼らに、このアルバムについて、自身による人気の分析、これからの野望までを、インタビューした。
「10代のラッパーもうまい人が増えて、今また時を経てラップが身近になってきたと実感」(ポチョムキン)
――結成22年、メジャーデビューして16年、これまでのヒップホップシーンは、餓鬼レンジャーさんの目にはどのように映っていたのでしょうか?
ポチョムキン 僕らがメジャーデビューした2001年は、日本のヒップホップシーンがすごく全国に広がりを見せていた時期で、メジャーデビューするアーティストも増えて、景気がいいというかメジャーブームでした。その前に東京を中心に「さんピンCAMP」(1996年)とか、色々なイベントで日本語ラップが徐々に盛り上がってきて、僕たち世代も90年代後半に続々とインディーデビューして、いよいよヒップホップが来るぞ来るぞってなって、その波に乗ったのが2001年でした。それから何年かはブームが続いて、今また第2次ブーム的に盛り上がってる感じでしょうか。ただメジャー、インディー、ブーム関係なく続いてるものではあります。
DJオショウ あの当時はメジャーのレコード会社の中に、レゲエとかヒップホップを扱うレーベルがどんどんできて、勢いがありましたね。
ポチョムキン 昔の話でいうと、僕らがラップ始めた90年代頭とか中期くらいって、ひどいライヴをやってる人とかいっぱいいた気がするけど、今は今日が初めてライヴですという10代のラッパーも、そこそこできちゃうって人が増えている気がします。それ位、時を経てラップが身近になってきたんだなって実感しています。
「色々あったけどそれを乗り越え、一周して楽しくなってきた。継続する事に意味があるのかも」(ポチョムキン)
――ここまで20年以上続けてられてきて、いなくなったアーティストや仲間もいると思いますが、餓鬼レンジャーさんが続けてくることができている理由は、ご自身達ではどういう風に分析していますか?
ポチョムキン たしかに、ソロに比べたら、最近はヒップホップグループ自体があんまりいなくなりましたよね。我々も、メンバーそれぞれが、やってられるか!と思う瞬間は数えきれないくらいあったと思いますが、それもうまいこと越えてきて、考え方もみんな大人になってくると、一周して楽しくなってきましたね。もちろんそれぞれのスタンスや環境の違いはあるのですが、それをお互い認めた上で、継続する事に意味があるとも思い始めていて。とにかく続けていきましょうという思いが、昔よりも強くなってきています。常に今からが面白いしと言い聞かせて、今後どうやっていくかという工夫を楽しみたいと思っています。
DJオショウ 僕は今作から餓鬼レンジャーに新メンバーとして加入しましたが、僕が以前いたグループも解散しましたし、やっぱり同年代で続けているのはすごいと思うし、続けることの凄さを改めて思い知らされました。
ポチョムキン そもそも続かないのが普通、というのがわかるというか。
YOSHI 僕ら以外の先輩でいうと、スチャダラパーさんやライムスターさん達が数少ない長く続いているグループだと思いますが、僕たちを含めての共通点があるとすると、多分お互いが自分にはないものを持っていて、それをリスペクトしている点ではないでしょうか。なので、個々が別の活動している時もそれそれが応援しているし、グループの存在が、最後に帰ってくる実家みたいな居心地の良さがあるからですかね。
「餓鬼レンジャーは自由度が高い。柱が20本くらいあって、なんでもできてしまうエンターテイメント性が武器」(YOSHI)
――餓鬼レンジャーさんが作るものは、色々なヒップホップのスタイルがある中で、すごくエンターテイメント性が高いというか、伝える事はきちんと伝えながら、それ以上に楽しませてくれるという感じがします。だから間口が広い感じがしています。
YOSHI エンターテイメントを追求するうちに、ダンサーのタコ神様が加入して、更にはこのタイミングでDJオショウも加入して、より他にはないというか、色モノばっかり集まってきました(笑)。僕も餓鬼レンジャーに入る時の大きなポイントになったのが、音楽的に決まりが少ない、自由度が高いところでした。ヒップホップというと、例えばハードなものにこだわるとか、一本太い柱を決め、それを元に作っていく場合が多いと思いますが、餓鬼レンジャーはその柱が20本くらいあって(笑)、今日のステージはこの柱を軸にやろうという感じで、なんでもできちゃうところが武器だと思っていて。
ポチョムキン 自分たちの歴史でいうと、引かれそうな事も面白がってやったり、そういうタガを外していく作業をやってるうちに、どんどんなんでもありになってきたという歴史でもあり、それが結果的にグループの個性になっていったと思っています。
「東京から離れた熊本で活動していたので、しがらみや煩わしさに惑わされる事なくスクスク育った。そこが他のグループと比べると特殊」(YOSHI)
「WANIMAとの対バンでその多彩な音楽性に触れ、彼らが「餓鬼レンジャーの音楽に影響を受けた」と言ってくれている意味がわかった」(DJオショウ)
――結成した時にそういうコンセプトというか、エンターテイメント性が高いヒップホップをやろうという話になったんですか?
YOSHI 元々の気質がそれに近かったというか、ハードコアなヒップホップも好きだったけど、ニュージャックスゥイングも好きだったし、チャラいヒップホップも好きだし、クラブにナンパしにいくタイプだったので(笑)。熊本という東京から離れた地方で活動していたので、色々なしがらみとかも関係なく、嫌な先輩とかも特にいなかったので、だからスクスク育ちました(笑)。そういう意味では他のグループと比べて特殊だと思います。
ポチョムキン そう考えると、当時は情報が少なかったので、少しの情報を噛み砕いて、自己発酵しちゃった感じかもしれません。今の時代だったらネットで何でも観られますけど、当時は全て手探りだったので…。
DJオショウ その点でいうと、90年代はラジオがかなり重要な情報源だったと思うよね。
ポチョムキン そう、それに加え、グループが結成された熊本はヒップホップが好きな人が多かったし、レコード屋さんも結構充実していたりして、福岡からも熊本に買いに来ている人もたくさんいた環境もあったと思います。
DJオショウ それでいうと、僕が正式加入する前に、餓鬼レンジャーの結成地である熊本と同郷のバンドで、今若い人たちに大人気のWANIMAが、餓鬼レンジャーを対バンコンサートに誘ってくれた際、いわゆるロックバンドだけどレゲエやヒップホップ的なアプローチのものがあったり、くだらない下ネタとかもあって、何よりライヴを楽しませようとする精神が、彼らが餓鬼レンジャーのことを学生時代から好きで影響を受けたと言ってくれている理由がわかりました。熊本にはそういう自由な雰囲気があるんですね。
「日本語ラップといわれるジャンルの中で、面白い事をするというのが僕らの役割分担だと思っている」(YOSHI)
YOSHI そういう意味でいうと、結果的に今の餓鬼レンジャーの立ち位置は、日本語ラップといわれるジャンルの中での、役割分担のひとつだと思っていて。やっぱり熱い歌を歌う人もいれば、ヤンチャで強そうなイメージで発信する人もいる中で、餓鬼レンジャーはどうしようもなくくだらないけど、アガれる曲だったり、笑える下世話な曲があったり、とにかく面白い事をするという役割分担なのかなと。僕とポチョムキンの2MCのスタイルが全く違うし、下手したら別のグループになりかねない2人がいて、ヒップホップもレゲエも全部吸収した音楽をやり、エンターテイメント性が高いステージでお客さんを楽しませるのが僕らの役割。
GP 昔からその片りんはあって、僕が餓鬼レンジャーに加入する前の90年代、福岡でライヴを観た時は、とにかくノリと勢いが凄くて、それまではコアなヒップホップのアーティストのライヴしか観た事がなかったので、2人のスタイルはそれとは全然違って、衝撃を受けましたね。
YOSHI 8~9年くらい前に、ZEEBRAさんと飲む機会があって、その時に言われたのがみんなそれぞれの担当があるから餓鬼レンジャーは、エロ担当、ということでした(笑)。僕も嬉しかったというか、なるほどなと思って。それぞれのアーティストが日本語ラップの中で、役割分担をしっかりやっておけば、多分この音楽はもっと発展していって、まだまだ面白いことになると思います。
「日本語ラップはやっている事の精度が上がっているかもしれないけど、実は昔からそんなに変わっていない。今からでもその思白さに気づいて欲しい」(ポチョムキン)
――若い人はもちろん、年齢は関係なく「言葉」を求める、言葉の重要性を感じる人が増えてきていると思いますが、そういう中でヒップホップはストレートに言葉を突き刺す音楽だと思います。それも「フリースタイルダンジョン」が盛り上がっているひとつの理由だと思いますが、その中で餓鬼レンジャーさんはヒップホップとしては入りやすいスタイルですよね。8月2日に発売された2年ぶりのオリジナルアルバム『キンキーキッズ』を聴いて、改めてそう思いました。
ポチョムキン 時代的にそういうノリもあると思うし、日本語ラップ自体は言葉の面白さとか、言葉遊びだったり、メッセージが直接的だったり色々あって、やっていること自体の精度は上がっていますが、実は昔からそんなに変わっていなくて。もし面白さに気づいてくれたら前の作品とかも聴いてほしいという気持ちも強くて、このアルバムがきっかけで、興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいですね。
――曲間のスキット(寸劇)が絶妙でした(笑)
ポチョムキン そこに一番力を入れてますから(笑)。お笑いコンビ・サンドウィッチマンさんとかの作家をやっている友達に協力してもらって、台本まで作ってそれをメンバーでアレンジを加えながら作っていったのですが、そのスキットを録るためだけにスタジオを抑え、丸一日かけてレコーディングしました(笑)。
――置き場所が絶妙というか、最後まで聴きたくなります。Hな曲もあるけど、すごくメッセージ性が強い曲もあって、とにかくメリハリが強烈です。
ポチョムキン 最近はダウンロードで、単曲で買えるじゃないですか。寸劇も含めてどこを切り取っても最高というのが理想だけど、アルバムを通して見えてくるものがあるというか。だからいつも曲順にはこだわっています。
――こんな時代だからこそ、一枚通して聴いて、その世界を感じて欲しいですよね。
ポチョムキン 1曲1曲が相当インパクトがあるテーマばかりですが、それが一枚通して聴いた時にまた違う楽しみがあるというか。
「『キンキーキッズ』は16年ぶりに自主レーベルから発売。多くの人に伝わるように、1曲1曲に磨きをかけ、曲順も見せ方もこだわりにこだわった」(ポチョムキン)
――曲を作る時はやはり、餓鬼レンジャーさんの最大の武器、ライヴで盛り上がるかどうかを考えますか?
YOSHI ライヴのことは常に意識しています。ただ、最近すごく思うのが、昔ってアルバムを出してライヴという感じではなくて、ライヴで新曲をやって、その新曲が噂になってリリースという流れもあったと思うんです。それが今はほとんどないので、僕としてはライヴで新曲をやって、そこで受けた曲が口コミで広がるという形が理想的です。
ポチョムキン そうですね。今回のアルバムはわりと早く完成していたのですが、ライヴを含めて、これをどういう形で発表すれば一番世の中に伝わるかということを考えました。しかも16年ぶりに自主レーベル、インディーズから発売する事を選んだ以上、どういう見せ方が一番餓鬼レンジャーらしいのかと。曲順もそうですが、一曲ずつ丁寧にやすりがけしていって、もっと多くの人に伝わる曲になるように考えて、ブラッシュアップしていきました。
「歌詞ひとつとってもメジャーでは制約があって、それが一番ヒップホップをつまらなくする。でも今回は自由に思い切りできた」(GP)
――メジャーとインディーズの境もよりなくなってきていますよね。
ポチョムキン そうですね、メジャーでその良さが出るアーティストは関係あるかもしれませんが、僕らとか、特にヒップホップをやっている人間は、ファンも含めて昔からメジャーだからとかインディーズだからって考えている人は少なくて、それぞれのスタイルとスタンスの違いなので。
YOSHI 逆に今回は自由になって良かった点もありますね。自分たちが思った時にすぐに形にできるので。例えば今なら音源はすぐにYouTubeとかネット配信とかできるじゃないですか。以前はそういう動きをするのもなかなか難しくて、MUSIC VIDEOをフルで公開するのも大変だったり。そういう部分では、今作は何でも自由にできたので、「超越feat. TWIGY & 呂布カルマ」という先行リード曲が今ネットを通じて広がっていることにも繋がりましたね。
GP それと、細かい事でいうと、メジャーだと歌詞にコンプラの問題で制約が色々あって使えないことがあるのですが、ヒップホップでそれをやられるとつまらくなってしまうので、今回はそういう事を気にせず、思いきりできました。
ポチョムキン ヒップホップにおけるメジャーとインディーズの大きな違いは、既存の曲をサンプリングして、切り取ってループにして組み合わせたりすると、メジャーでは権利関係の問題があるので、使わないで欲しいという場合があるので、そういう部分ではインディーズの方が自由度は上がりますね。
――伝えたい事、面白さ半減、という感じですよね。
ポチョムキン すごくナンセンスな時がある。そこを規制して、本当に売りたいの?って思う時もあります。ただ補足しておくと、僕らはメジャーでもかなり自由にやらせてもらっていた方だと思うので、携わっていただいた方々には感謝しかないです。
――アルバムに収録されている、映画『獣道』の主題歌「Miss PenPen feat.伊藤沙莉」では、女優・伊藤沙莉とのサプライズコラボ“餓鬼連合”が実現しました。
ポチョムキン 楽しかったです。僕らもこういう取り組みはガンガンやりたいし、できるし、そういうのも求めてくれる人も多いとことに気づけたし。これからもどんどんやっていきたいですね。
GP 沙莉ちゃんのラップがうまくて、レコーディングに時間がかかるかなと思っていたら、1テイク目で、もうこれでいけるんじゃないかというレベルでした(笑)。また沙莉ちゃん含めこういったコラボは餓鬼レンジャーならではなので、積極的にやっていきたいですね。
熊本大震災後、すぐに復興支援に立ち上がり、今も活動を続ける。「地元で結成して、地元の曲を何曲も作らせてもらい、離れてからもみんなが応援してくれて、ここでしっかりやらなければ全てが嘘になると思って、長期的にできる事を考えた」(ポチョムキン)
――去年の熊本大震災を受け、制作されたメッセージソング「ONE」は、SUGAR SOULとJESSE(RIZE/The BONEZ)という豪華なゲストと共演しています。震災後はすぐに復興支援プロジェクトを立ち上げて、曲を配信したり様々なアーティストに呼びかけてチャリティータオルを販売したり、それを継続的に行っています。
ポチョムキン やらなければいけないという気持ちはもちろん、それまでに地元の曲を何曲も作ってきて、それも歌っているし、地元で結成した後、離れてからもみんな応援してくれているし。今ここでちゃんとやっておかなければ、そういうのも嘘になってしまうしと思って、まずは長期的にやれることは何かを話し合いました。
――長期的というのが大切ですよね。
ポチョムキン 本当にそうですね。ああいうのって、すぐに風化してしまいがちだけど、親戚や友達が、行政とやりとりをしている話を聞いたりすると、まだまだ困難は続いているなと実感します。この楽曲もそうですが、引き続き少しでも熊本の皆さんに恩返しできることをやっていけたらなと思っています。
「ラッパー50歳ピーク説を勝手に唱えていて(笑)、たぶん自分達はまだ気づかれていないという事にして、ピークに向けて助走を続ける」(ポチョムキン)
――このアルバムには他にも、先ほども話題に出たカリスマラッパーTWIGYと、今のフリースタイルブームのキーマンの一人・呂布カルマを迎え、時代も世代も超えたマイクリレーを聴かせてくれる「超越」などが収録されていて、強力なライナップかつ楽しい一枚になっていますが、次の構想はもうあるのでしょうか?
YOSHI それぞれが餓鬼レンジャー以外のプロジェクトもあったりするので、具体的にはまだですが、とりあえず、ライヴで一緒に盛り上がりたいですね。
ポチョムキン 餓鬼レンジャーでしかできないことってすごくあって。多分他のことやっていると、餓鬼レンジャーとして次に何をやりたいかが出てくると思いますし、まずは12月9日の東京ワンマンを含めワンマンツアーやライヴで盛り上げていきたいと思います。
――新体制になって、“新生”餓鬼レンジャーと資料にも書いていますが、まだまだこれから楽しい事ができそうですね。
ポチョムキン 何の根拠もないのですが、ラッパー50歳ピーク説というのを勝手に唱えていて(笑)、あとはのび白しかないって自分に言い聞かせています(笑)。20年やっているといっても、まだ「おーいここにいるよー、ひょっとしたらこういう人達好きかもよ~」と言いたい感じです。
YOSHI 気づいて欲しいっていう(笑)。
ポチョムキン たぶんまだ気づかれていないんじゃないかってことにして、ピークに向けて助走を続けます(笑)。
<Profile>
写真左からポチョムキン(MC)、DJオショウ(DJ/パフォーマー)、タコ神様(ダンサー)、GP(DJ/プロデューサー)、YOSHI(MC)。1995年熊本で結成。98年ミニアルバム『リップ・サービス』でインディーデビュー。その高いラップスキルと、ユーモアあふれるライブパフォーマンスで注目を浴び、瞬く間に全国で話題となり、2001年「火ノ粉ヲ散ラス昇龍」で、メジャーデビュー。同年1stアルバム『UPPER JAM』を発表し、当時地方在住グループとしては異例の、約20万枚のセールスを記録。2015年、20周年を迎える。全国のフェス、イベントに多数出演し、て6thアルバム『祭事』 を発表。iTunesヒップホップチャート1位、タワーレコード渋谷店では総合CDチャート2位を獲得。2016年、20周年記念の活動中に発生した熊本大地震を受け、メンバーが発起人となりチャリティータオル「がまだせ熊本」を賛同アーティストと共に制作。更にポチョムキンが中心となり、熊本出身の水前寺清子、コロッケ、高良健吾と共に復興ソング「おてもやんサンバ2016」も制作。それらの収益やチャリティーライヴで集めた募金を義援金として、熊本に寄付するなど復興支援活動を積極的に行う。2017年、兼ねてよりサポートDJだったDJオショウが正式加入。より自由な表現活動を求め自身のレーベル・東雲レコーズに移籍し、5人組となった新生・餓鬼レンジャーとして初となる、約2年ぶりのニューアルバム『キンキーキッズ』を発売。