shezooが語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集総括】
2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを連載してきましたが、最後にこのプロジェクトの首謀者であるshezooに語ってもらいましょう。なお、概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。
♬ 16歳でミュンヘンの音大生となる
──まず、shezooさんと〈マタイ受難曲〉の“出逢い”からうかがいたいと思います。
高校に入学して3ヵ月ぐらい経ったときに、たまたまミュンヘンへ行く機会があったんですが、そのときに「試験を受けてみませんか?」と言われて受験して、大学に入れることになったんです。
──大学に?
そう、あちらでは16歳から入ることができるんですよ。私、9月が誕生日で、入学時にはちょうど16歳だったので、入れたんです。で、10代の後半はずっとドイツにいたので、〈マタイ受難曲〉というのは彼の地ではルーティンというか年中行事というか、必ず復活祭のころには演奏される演目なんですね。特に当時のミュンヘンでは、そうだった。
ミュンヘン郊外にヴィース教会というところがあって、そこでは〈マタイ受難曲〉をカール・リヒター指揮で上演するというのが恒例になっていたんです。それを毎年のように聴いていただけでなく、ほかにもプロや学生を含めて〈マタイ受難曲〉を歌ったり演奏したりすることがメチャクチャ多かったんですね。
そのころ私はコレペティ(コレペティートル、オペラで各配役が個人練習をするときのピアノ伴奏のほか、歌手が音楽への理解を深めるための助言などを行なうサポート役)のバイトをやっていたので、結果的に〈マタイ受難曲〉は全曲弾けちゃうことになっていました。
〈マタイ受難曲〉って、バッハの作品のなかでも特にアリアの美しさが尋常じゃないと思っていたので、なんとか多くの人に聴いてもらいたいなと、そのとき以来、そう思うようになっていたんです。
帰国したあとも、結局はクラシックの活動はほぼほぼなにもしていないんですけれど、「〈マタイ受難曲〉を多くの人に聴いてもらいたい」という想いはもち続けていました。
“多くの人に”と思っていたのは、日本では〈マタイ受難曲〉に限らず、バッハもしくはクラシックの作品は“クラシック演奏のためのもの”になっているじゃないですか。私がフィールドとしてきたライヴハウスでは、特に私が活動を始めたころにはほとんど取り上げられることがなかった。でも、そういう場所でも、このすばらしい〈マタイ受難曲〉のような曲たちに触れる機会をもってもらいたいと、ずっと思っていたんです。
その後、スタジオのお仕事を経て、再びライヴハウスでの活動をするようになって、その“ずっと思っていたこと”を実現しようとした、というのがこのプロジェクトの発端なんです。
♬ 始まりは2013年
──日本ではいつごろ“思っていたこと”を始めたんですか?
〈マタイ受難曲〉をライヴハウスで取り上げたのは、私の記録では2013年の7月、横濱エアジンでの公演が最初ですね※。
※2013年7月27日に横濱エアジンで行なわれた「普通の歌手による普通の人のためのマタイ受難曲」:shezoo(編曲、訳・脚本、ピアノ、シンセサイザー)、山崎阿弥(エヴァンゲリスト)、Coco(歌手、from Die Milch)、CHINO(歌手)、松岡恭子(歌手)、輿美咲(歌手)、flute:中瀬香寿子(フルート)、Jasmine(ヴァイオリン、from Die Milch)
http://shezoo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/daysjs-shezoopf.html
──“バッハ祭”ですか?
いえ、まだそういう企画がないころです。たぶん、うめもとさん(横濱エアジンのマスター)もバッハを自分の店でやろうなんて思ってらっしゃらなかったと思うんですね。私もどうなるのかどうかわからなかったけれど、とりあえず試しにやってみよう、と。エヴァンゲリストに対しても、自分の感性で語っていただければ良いと思ったので、クラシックを手本にするものではありませんでした。確か、なにか原稿を書いてそれを読むというのではなく、イメージを書きだしたメモを渡して、感じたことを声に出してくれればいい、ということだったと思います。内容は訳詞をざっくりとまとめたものじゃなかったかな。あとはあらすじのようなものですね。
──エヴァンゲリストは日本語で?
山崎さんなので、言葉はなかったですね。周囲で〈マタイ受難曲〉の演奏が行なわれていて、彼女が感じるままに音を発する、という感じだったと思います。
──念願の〈マタイ受難曲〉だったわけですね?
ええ。でも、ぜんぜん満足できなかった。メンバーもお客さんもすごく喜んでくださったんですけれど、私のなかで「あっ、これじゃダメだ……」と。歌手の方への負担が大きすぎたというか、私が考えている〈マタイ受難曲〉に近づくためにはまだまだ時間がかかると、そのときに思ったんです。
それで、小編成のユニットで少しずつ〈マタイ受難曲〉の曲をライヴでやり始めたんですけど、当初は楽器だけだったと思います。一方で、役割の配分を考えながらいろいろな歌手の方のライヴを観に行くようになって、それでお願いしたのが今回の4人の歌手の方だった。
──歌手が4人という構成は、〈マタイ受難曲2021〉にとって必然だったのですか?
必然です。
──……あ、失礼しました。今回、歌を担当したのは5人でしたね。ミクちゃん(酒井康志がオペレーションしたボーカロイド“初音ミク”)がいました。
そうですね。最初は子どものコーラス隊としての出演を考えていたんですが、結局このコロナ禍で大人数での出演ができそうにないという事情からコーラス全般をお願いすることになり、大活躍してもらうことになりました。
──楽器編成については?
この〈マタイ受難曲2021〉をどうやったらもっと多くの人に聴いてもらえる曲にできるかということは、ずっと考えていたなかでの、あの編成ということだったんです。
アイデアのきっかけになったのは、私が小編成でライヴをやってきたなかで、ジャズやラテンのフィールドで活動している人の演奏や音色に“スッと入っていけるもの”を感じたことでした。それがあの編成につながったわけです。
──メンバーの活躍のフィールドだけでなく、楽器の構成もクラシックらしからぬものがあります。
ええ。最後の最後になって、チューバの佐藤桃さんに参加してもらいました。彼女はクラシックの人ですけれど、バッハの時代にチューバという楽器はなかったんですよね。なので、チューバでベースラインを演奏するのはまったく〈マタイ受難曲〉の時代を感じられないというか、逆に“違うもの”に聞こえることに気づいた。
そういう要素が入ることによって、〈マタイ受難曲〉がキリスト信者やクラシック愛好家のためだけではない、むしろ“そうじゃない人”たちに興味をもってもらえる。「こんな良い曲があった!」ということを知ってほしい……。いや、知ってほしいなんて、私が言うのはおこがましいですね。でも、それが私のライフワークなんだと思って、進めてきたんです。
バッハのメロディーをテーマにアドリブしても、リアレンジしても、誰もバッハは超えられない。だからこそ、演奏者の活動フィールドや楽器の種類がクラシックに準じていないにもかかわらず、楽曲の中身をまったくイジらずに成立できるようにしたかった。それを踏まえたうえで、ソロを担当する方にはアドリブをお願いしました。
ミクちゃんを入れることもそうだし、チューバも、バンドリンもそうなんですけれど、考えていたのは「どうすれば〈マタイ受難曲〉という曲をスッと楽しんでもらえる音にできるのか」ということ。いわゆる“クラシックのサウンド”ってあるとおもうんですけれど、ガチガチにクラシックの音がしている演奏で「これ、良い曲なんですよ」と言っても、なかなか興味をもってもらえないというのがわかっていたので、ちょっとでもいいから、一糸乱れぬではなく余った糸が1本はみ出していてもいいから、それを引っ張ったらびよ~んって蓋が開く、みたいな、そういう仕掛けを施して、より多くの人に興味をもって聴いてもらいたい、ということなんです。
♬ 原曲には存在しない21世紀のストーリー
──その仕掛けの“目玉”として、エヴァンゲリストが語るオリジナル・ストーリーがありました。あのアイデアは?
〈マタイ受難曲〉だけでなく、受難曲にはそもそもイエス・キリストという人が登場して、彼が捕まって処刑されるという話じゃないですか。それを“受難”というわけですよね。その結末がわかっていてストーリーも進んでいくんですが、曲に含まれるアリアのひとつひとつを見ると、必ずしもそれが存在しなければストーリーの展開に不都合があるというものでもないんです。
そこで私は、バッハがこの〈マタイ受難曲〉で本当に言いたかったのはなんだったのかを考えたんですね。それはやはり、ペテロが「イエスを知らない」と言ったことではないか、と。そこがこの作品のなかで音楽的に最も美しいところでもある。それはつまり、間違いなくバッハがそのことを言いたかったんだろうと、勝手に解釈したわけです。
私はその部分に集約されているものを、いまの世の中で生きている人たち、私と同じ時代を生きている人たちにぜひ知ってもらいたいと思った。それにはどうすればいいのかを考えたときに、“私たちにとっての受難とはなんなのか?”の答えとして“人は嘘をつく”ということをひとつのテーマとして掲げながら、いまの事柄としてとらえてもらえるようなストーリーを作ることを思いついて、試行錯誤を続けていたんです。それはもう、考えて考えて、脚本を書いては捨て、書いては捨てを繰り返していました。エヴァンゲリストのお2人には申し訳なかったんですけれど、本番ギリギリまでご意見をうかがいながらストーリーを詰めていったという状態でした。
──ストーリーはオリジナル、音楽はあくまでもバッハのまま、ということなんですね?
そうです。全体の流れのなかで、アリアはあるべき場所に置かれています。それはつまり、ストーリーとの整合性を取っていたということです。歌手の方々には歌う前に短い文章を読んでもらったりしているんですけれど、それがエヴァンゲリストの語りとリンクするようになっていました。
そもそも土台には、大作曲家であるバッハが生み出した〈マタイ受難曲〉というあまりにもシッカリしている軸があるわけです。しかし、そのストーリーは必ずしも現代の私たちが知りたいと願っているものではない。だったら、そこに別のストーリーを走らせて、300年ほど前の音楽作品に現代的な物語を加えた“立体化させた作品”ができるのではないか、と。
──ただ、あのオリジナル・ストーリーを観客は本番で突きつけられて、正直に言うと、「shezooさん流の陰謀論ととらえられかねないのでは?」と心配になったりしたんですが……。
(笑)それはまったく見当違いですね。私が言いたかったのは、コロナ禍におけるウィルスもワクチンもマスクも「嘘だ!」というのではなく、すべてが不透明な状態であることをまず認識して、わからないことは自分で調べ、自分とは違う意見の人の話をよく聞いて、情報を集めて、それで判断してほしいという願いを込めて書いたつもりなんです。もちろん、そのように「このストーリーはいったい本当なのか嘘なのか?」と考えながら観てもらうことも、〈マタイ受難曲2021〉の狙いのひとつではありましたけど。
──〈マタイ受難曲〉は受け身的に楽しむだけの作品ではなく、自分の考えを確かめながら自分なりの〈マタイ受難曲〉を作っていく作品であると?
そうですね。
♬ クラシック勢からの意外な反応
──本番を終えて、shezooさんの耳にはどんな反応が届いていますか?
もっとクラシック勢からボコボコにされるかと思ったのに(笑)、誰からもなにも言われなかったのがいちばん意外でしたね。まぁ、箸にも棒にもかからないと思われているのかもしれませんが、クラシック界で評論を書いている方々から「おもしろかった」という感想をいただいたのは救いにもなりました。
──クラシック側からも認められて嬉しい、と?
でも、理解されたら理解されたで、それでよかったのかな、みたいな感じも残るんですよ。クラシックの枠から飛び出し切れてなかったのかな、って。
──そもそもバッハ自体がそういう異端的な要素を作品に織り込んでいて、繰り返し再評価されるたびにその時代の人がその時代なりの発見をして、バッハが作品に隠してきたものをどんどん現代的に暴いてきたところで評価が逆転してきたようなところがあるのではないかと思っています。それをハッキリと示してくれたのが、〈マタイ受難曲2021〉であり、shezooさんであった、と。
そうかもしれませんね(笑)。私、バッハは別にイエスの受難の話を再現したかったわけじゃないと思うんですよ。そうじゃなくて、「人は嘘をつく」ということを言うためにこの受難を使ったんだ、と。
──そういうバッハの意図を探し出して、解きほぐしていくことが〈マタイ受難曲2021〉の目的でもあり、刺激的な部分でもあった。それが見事にかたちになったわけですね?
であればよかったです。
──締めに、〈マタイ受難曲2021〉のプロジェクトはこれで完結できたのかということをうかがっておきたいのですが。
〈マタイ受難曲2021〉によって、ようやく私が考えていた〈マタイ受難曲〉の扉がひとつ、開いたという感じなんです。もちろん、あれを〈マタイ受難曲〉と呼んでいいのかどうかもわからないんですけれど、なんとなく300年も前の作曲家が考えていたことに対して現在の私たちが、楽譜に忠実とかそういうことではなく、もうちょっと作品の意図する部分に踏み込んでいくことができることがわかったというコンサートだったと思っているんです。
──では、このプロジェクトは終わったわけではない、と?
そうです。
マタイ受難曲2023上演決定!
shezooさんが「終わったわけではない」と言い切った〈マタイ受難曲2021〉プロジェクト。その続編である〈マタイ受難曲2023〉の上演が発表されました。
タイトル:マタイ受難曲2023
サブタイトル:神と嘘(仮)
公演日時:2023年1月7日(土) 開場 16:45 開演 17:00(予定)
会場:HAKUJU HALL 渋谷区富ヶ谷1-37-5
料金:前売 5,500 当日 6,000
問い合わせ:岩神六平事務所 http://roppei.jp/ 046-876-0712
Profile:しず 作・編曲、ピアノ
16歳でミュンヘン国立音楽大学に入学。情景や映像を喚起させるアーティストとして多様なかたちで音楽を生み出す。その音楽は美しく懐かしく妖しく、異次元の世界へと聴くものを誘う。
活動は多岐にわたり、CM、映画(「白い犬とワルツを」ほか)、舞台音楽(東京セレソンデラックス「流れ星」ほか)の作曲、アートとのインスタレーションなどを手がける。
バンドとして自身のオリジナル作品を展開する“Trinite(トリニテ)”を率いている。ユニットとしては、藤野由佳(acc)との“透明な庭”、髙橋美千子(vo)との“Eternal flame”、さらに2022年からは、石川真奈美(vo)、永井朋生(perc)との” shinono-me”などに参加するほか、さまざまなアーティストと共演。
また、「ソロヴィオラのための3つの作品 words」(アサヒビール芸術文化財団委託)などの楽曲提供も行なっている。
音楽担当として、日曜美術館「愛を描いてベラとシャガール」、東京国立近代美術館展示作品「魂の軌跡(カンディンスキー展)」(NHKエデュケーショナル)など。絵画、朗読、音楽によるアンデルセン「絵のない絵本」(2018年)、夏目漱石「夢十夜」の制作・音楽監督を担当。
画家ジェームズ・アンソールのピアノアルバム『La Gamme D'amour』、ピアノソロアルバム『nature circle』、オリジナルアルバムとして『月の歴史』(Trinite)、『神々の骨』(Trinite)、『prayer - sabato santo - 』(Trinite)、「Invisible Garden」(透明な庭)のほか、音楽担当映画、舞台のサウンドトラック、DVDのリリースがある。
2021年2月上演〈マタイ受難曲2021〉の企画、プロデュース、編曲、脚本を担当。
引用:shezoo公式サイト http://shezoo.cocolog-nifty.com/