すする派? かむ派? どっちの音も気になる「鼻水ハラスメント」を検証。【花粉症シーズン】
花粉症の季節は鼻水の季節
この季節になると、毎年気になることがあります。それは人の鼻水。具体的には鼻をすする音です。
先日もこんなことがありました。電車で隣に座っていた人が、何度も、鼻を「ズズッ」「スッ」とすするのです。花粉症で鼻水が出るからか、かなり頻繁に大きな音を立ててすすっていて、蓄膿症になってしまわないかこちらが心配になるほど。静かな電車の車内だと特に、実際気分の良いものではありませんし、一度気づくとつい気になってしまう。心なしか、周りの人も少し顔をしかめていました。
誤解のないように大きな声で言っておきたいのですが、私はなにも鼻水を非難しているわけではありません。私も小さいころからの筋金入りの鼻炎持ち。鼻水が出て辛い気持ちはわかりますし、この時期の辛さが尋常でないというのも知っています。薬を飲んだからといって完全に改善するものではありませんし、体質的に出るものは仕方ない。出したくて出してるわけじゃない。
かむのか、かまないのか、それが問題だ
ただつい、「鼻水が出るなら、かんですっきりさせてしまえば?」と思ってしまう自分もいるわけです。
私自身、鼻水に悩まされてきたので、鼻がつまった状態が辛いのはわかりますし、鼻をかんでしまえばすっきりするのも知っています。さらには、鼻水をすすり続けると、頭が痛くなったりしますよね。
周囲に不快感を与えながら体内にとどめておくのはなぜなのか? さてはティッシュを持っていないのではないかと心配し、思わず自分のポケットティッシュを差し出しそうになったことも、一度や二度ではありません。
問題はそんな簡単ではない?
というような話を、とある女性に無邪気にしてみたところ、「私は人前で鼻をかむ人が不快です。とんでもない。だから私もかまない」と毅然とした答えが返ってきました。
彼女曰く、そもそも鼻水というのは汚い排泄物。マナーとしてトイレなどでかむものであり、電車などの人前でかむのはあり得ない、言語道断とのこと。「鼻水って汚いじゃないですか。そんなものを人前で出すなんて、人してどうかと思いますよ。音も不快だし」とかなり厳しいお言葉。
では、彼女は人前でどうしているのか聞くと、「人前ではマスクをして何度かすすって我慢します。かみたいときはトイレで。職場でも、席を立ってトイレでかんでいます」ということでした。
なるほど。彼女のように「かまない派」からすると、電車などの人前では、すすりながら我慢するのが正解になるのですね。
「かまずにすすり続けるのは、体に悪そうだし、音が周囲にも迷惑」という意見もあれば、「何を言ってるんだ。人前で鼻をかむなんて、汚いし、うるさい。排泄行為だ」という意見もある。
私自身は生まれながらの「かむ派」。大人になるまで親からも周囲からも注意されたことがなかったのですが、大学に入って知り合った初対面の同級生女子に「人前で鼻をかんでいいとは知らなかった。私もこれからはかむ」と、驚かれたのを思い出します。それは遠回しな批判だったのか、純粋な驚きだったのか。実際、その直後、彼女は気持ちよさそうに鼻をかんでいましたが、真相は闇の中です。
そんな私ですから、人が鼻をかむ音を気にしたことはありません。本当に気にならないのです。むしろ、すすっている音のほうが、幼少期、ティッシュをきらしてしまったときの地獄のような時間がフラッシュバックしてきて気になってしまう。鼻の奥がぎゅんぎゅんと痛む。
そうだ、小さいころよく、電車の中で「ティッシュありませんか?」とよその人に恵んでもらってたような記憶さえおぼろによみがえってきました。あれは本当にあったことだろうか・・・。
とまあ、そのように自分にも他人にも、鼻をかむことについて寛容な私ですが、ようやくこの年になって、「鼻をかむのは人前でしてはいけないこと(のようだ)」という常識のようなものも少しインストールされたので、人前でなるべくかまないように気をつけるようになりました。ですが、内心は、人がかむのはまったく気になりません。それは繰り返しになりますが、生理現象だし、くしゃみのようなものです。
個人的な感覚としては、マナーがよくない度でいうと、おならよりは下・くしゃみよりも上、ぐらいでしょうか。
鼻をかんだ後も気を抜けない
さて、話がそれましたが、奥の深そうなこのテーマ、こうなると、いろいろな意見を聞いてみたくなります。
ある男性は「鼻をかむのは悪いとは言いませんが、そのティッシュの行き先が気になりますね」といったコメント。「街中でかむと、近くにゴミ箱がないことも多いじゃないですか。それはどうしているのかな。鼻をかんだティッシュが、カバンの中に入っていくのを見ると、『汚い』って思っちゃいますね」
確かに、それは鼻炎持ちにとっては究極の問題です。私は、たくさんティッシュを使うとわかっているときは小さなごみ袋を持ち歩いていますが、そうでないときはいつも困ってしまいます。仕方なく、ポケットティッシュケースの隙間に押し込んだり。確かに、これは不潔と思われても仕方ないかもしれません。小学生のころ、私の机の中は、かんだティッシュがパンパンに詰まっていたものです。懐かしも不潔な記憶です。
また、「ごみ箱に捨ててあっても、鼻水が外側から見えないようにちゃんと包んでほしい」というのは、アルバイトでゴミ捨てをすることがよくあるという女子大生。
確かに、ゴミ箱に入れる場合であっても、そのあとごみを処理する人のことを考えると、最低限そこは守るのがマナー。でももちろんこれも、気にしない人はまったく気にしません。ゴミはゴミだ、と。
人によってマナーはバラバラ
女性だからかまないのかと思えば、「私はいつでもどこでもかみますよ」と宣言する女性もいました。
彼女は一家全員が花粉症で、本人も小学校高学年から毎年悩まされているそうです。「人前でかまないなんて言ってたら、やってられませんよ」と彼女は言い切ります。「体質で仕方ないんだから、隠れてやるような後ろめたいことでもないんですよ。母にも、体に悪いから鼻をかめと言われて育ちましたし」と言うと、彼女はおもむろにかばんからティッシュを取り出し、ちょっと横を向いて思い切り鼻をかみました。ぶっ!!
あまりに堂々としているので、その場にいた別の女性が、「友達から何か言われたことないの?」と聞くと、「たまにちょっと嫌だなってそぶりをしてくる人はいますね。『よくやるね』って言われたり。そういう人の前では、ちょっと控えめにかみます。でも、いちいち席を立っていたらきりがないし、すすったら体に悪いし頭痛がするしで、やめろって言われても無理なんですよね」とキッパリ。
きりがないからかまない
さらに根強い意見としてあったのが「かんでもきりがないから、かまない」派。
とくにこの時期の花粉症の鼻水は、水っぽくてさらさらとしたものが多いですよね。「風邪を引いたときのものならいざ知らず、この時期の鼻水はかんでもすぐに次が出てきてきりがない。だからかまないんです。もはやマナーではなく効率や無駄の問題ですね」と。
確かに、鼻水はかむと爽快感がありますが、鼻の粘膜にとってみると、守る液体がなくなるのでその時点でむきだしになって無防備に。そうなると自然にふたたび鼻水が分泌されて、鼻の中を湿潤に保とうとする。医学的にどうかは分かりませんが、そういった一連の流れを体感することも、実際あります。鼻水は鼻を乾燥から守ってくれているのだ、と。
となると、鼻を守るためにすする、という発想も出てきそうです。
鼻水マナー、結局何が正解?
念のため、「鼻水 マナー」でググってみましたが、サイトによって言っていることはバラバラ。私の周囲の意見を考えても、鼻水のマナーに正解はないようです。
'''人前でかまないのがマナーなのか、人前でぐずぐずさせないのがマナーなのか。
排泄としてかむのか、きりがないから(あるいは粘膜を守るために)かまないのか。'''
どちらにしても、鼻水が出るのはその人にとっては仕方ないし辛いことですが、結果として周囲の人に不快感を与えてしまうのも事実。そこは人によって考え方が違うことを理解して、お互いに思いやりながら共生していくしかありませんね。「スメハラ」「ヌーハラ」のように、「鼻水ハラスメント(ハナハラ)」などと名をつけて目くじらを立てることなく。
花粉はこれからどんどんひどくなるばかり。「鼻水マナー」について、一度、自分の家族や周囲の人と話してみるのは得策でしょう。あなたの常識は他人の非常識であることは、ままあるのですから。
(作家・心理カウンセラー 五百田 達成)