複数人とキスも「向き合った結果」 バチェラー・黄皓はコロナ禍の恋愛を救うヒーローか
〈ネタバレを含みませんのでご安心ください〉
「バチェラー・ジャパン シーズン4」が、12月16日配信の最終話をもって、堂々のフィナーレを迎えました。
バチェラー・黄皓がどのような決断をしたかは、番組を見てもらうとして、見終わったあとに幸せな余韻が残る壮大なラブストーリーでした。
さて、今シーズンもさまざまな名シーン・名セリフがあったわけですが、個人的にもっとも気になったキーワードが「向き合う」。”バチェラー流行語大賞”なるものがあれば、ぜひイチ推しにしたい、実に味わい深いワードです。
「向き合う」ってどういう意味?
バチェラーは、全エピソードを通じてたびたび「向き合う」という言葉を口にします。
「これからひとりひとりと、きちんと向き合っていきたい」
「その点は、ちゃんと向き合わなくちゃいけないと思っている」
「自分ともっと向き合う必要があるなと感じました」
「向き合う」。
意味がわかるようで、いまひとつよくわからないこの言葉を、バチェラーは時に眉間にしわを寄せながら、時に満面の笑顔を見せつつ、頻繁に口にするのです。
おそらくは、「きちんとコミットする・話し合う」「時間を割いてきちんと考える」ぐらいの意味だとは思うのですが、結局、具体的にはどういうことかわからないまま、エピソードは進みます。
そして、この言葉の意味するところがもっともフィーチャーされたのは、シーズン中盤のクライマックスである「複数人キス事件」の最中のことでした。
「複数人キス事件」。
その名の通り、バチェラーが参加メンバーたちと親交を深める中で、同時に(水面下で)何人もの女性とキスを交わしていた、そのことが、女性たちに知られることとなった事件でした。
そもそも、シーズン序盤から何人もの女性とキスするのは、バチェラー史上初、前代未聞のことです。その展開の早さと画面から発せられる熱量に、視聴者たちは圧倒されました。
向き合った結果のキス
…と、視聴者は「圧倒された」ですみますが、当事者である参加メンバー達にとっては一大事。
その事実がメンバーの知るところとなると、女性たちは「信じてたのに」「そんな軽い人とは思わなかった」と一様にショックを受けます。中には、人目をはばからず泣きじゃくるメンバーも。
一番最初にキスをされて有頂天になっていたメンバーは「いったい、どういうこと?」とバチェラーを問い詰めます。
どうするバチェラー。
危うしバチェラー。
ばれたよ。
浮気(厳密には違うけれど)がばれたよ。
いったいどうするの!?
視聴者が固唾を呑んだ次の瞬間、バチェラーの口から出たのは、弁解でもなく謝罪でもなく、そう、「向き合う」という言葉でした。
曰く、
「僕は今回、仕事を投げうって、本気で伴侶を探しに来た。しかも短期間でたくさんの女性の中から相手を選ばなくてはいけない。そのためには、すべての女性と本気で『向き合う』必要があるし、その過程でそういう気持ちになったら、それには嘘をつけない。だからキスをしたのであって、そこには後ろめたい気持ちはまったくない」
という趣旨のことを、晴れやかな面持ちで静かにやさしく語るのです。
「おお…、ここでも『向き合う』のか、黄皓よ…」と、思わず感嘆の声を上げてしまいました。
人類史上もっとも潔い言い訳
向き合う。
きちんと相手を知ろうとするし、自分の気持ちもストレートに伝える。
そうやって心を通じ合わせたら、その結果、キスすることだってある。
「してないよ」とウソをつくでもなく、「雰囲気でそうなっちゃったんだよ」とごまかすでもなく、あくまで「向き合った結果だ」と胸を張る。
なんと潔い主張でしょう。
古今東西の恋愛において、浮気(厳密には違うけれど)をとがめられた人類(男女問わず)史上、もっとも潔い返答だったのではないでしょうか。
仮に「向き合う」=「真摯な気持ちで関係を深める」ということだと定義すると、なんとも使い勝手のいい言葉なことに気づきます。
キスをしたければ、「もっと向き合いたい」。
浮気をしても、「その子と向き合った結果だ」。
別れを告げるときには、「向き合えなくてごめん」。
ストレートでありながら、生々しくない。
どこかすがすがしい趣きさえあります。
しまいには、
「ちょっと、私に黙ってあの子と向き合ったでしょ?」
「最後までは向き合ってないよ」
「でも途中までは向き合ったってことじゃん!」
「いや、俺も最初はあの子と向き合おうとしたけど、最後はやっぱり、君と向き合いたいと思ったんだよ」
「ほんと? …私ももっと向き合いたい!」
なんて会話がカップルで交わされたりして…、と妄想が止まりません。
コロナ禍の恋愛事情
…と、冗談はさておき、「向き合う」という言葉がこれだけ強い意味を持って私たちの心に響いてくるのは、現代の恋愛事情・社会背景と無関係ではありません。
コロナ禍に見舞われて2年弱。
世の中ではコミュニケーション不全が危惧されています。
面と向かって飲んだり話したりという機会が失われ、なんということのない雑談が消え、多くの人が言葉にならない不安を抱えています。
見知らぬ男女同士がふれ合う場も激減し、それこそ初めて会った人とのボディタッチ・スキンシップなんて、夢のまた夢、という世界になりました。
そんな中、いつでも誰とでもフルスイングで向き合い続けるバチェラーは、まさにスキンシップの鬼、恋愛の権化でした。
実際、番組は「対策をきちんとしたうえで撮影しています」という但し書きとともに、ご時世的にはありえないシーンのオンパレードです。
当然、マスクなんて誰もつけていませんし、知り合ったばかりの人がたくさんで集い、密接し密着し、挙げ句の果てにはキスまでする。
南国・プーケットを舞台に、肌の露出もおしげなく、昼間からシャンパンを飲みつつ、視線を交わし合う美男美女たち。
しかも、そこにはコロナの影はみじんも感じられない。
まさに二重の意味で、ウソみたいな夢みたいな世界が、繰り広げられたのです。
コロナ禍の恋愛を救うヒーロー
「人とつながりたい」という原始的な恋愛欲求。
それが思う存分満たされるキラキラ非現実恋愛ワールドとしての、バチェラー・ジャパン。
となれば、史上初の度重なるキスも、ご時世を踏まえた演出だったのでは? などと陰謀論のようなことを勘ぐってしまったりもします(コロナが落ち着くタイミングを見計らったかのように短期集中で配信されたのも巧みでした)。
とことん真摯に、時には必要以上に、女性たちと「向き合い」続けるバチェラーの姿勢はまるで、瀕死に陥った日本の恋愛を救うために、さっそうと現れたヒーローのようでした。
いやはや、大変おつかれさまでした。
堪能しました、ありがとうございました。
愛を育んだ末に結ばれたふたりの幸せを、心から祈っています。