「今日ダメならもう代表はダメだと思った」長友佑都が「20代の頃のように」原点回帰の好プレー
「普通だったら逃げてますよ」
最初から何やら様子が違った。元より自他共に認める“気合い系”のDFだが、最近は少し構えて守ることも多かった。よく言えばベテランの余裕、悪く言えば肉体的な衰えを誤魔化すようなプレー。だが、この日は違う。まずボールへ向かう。相手に向かうむき出しの闘争心を漂わせ、攻撃に転じれば猛然と駆け上がる。いつか見た「長友佑都」がそこにいた。
試合前まで厳しい批判を受けてきた。中国戦では交代出場のDF中山雄太が好プレーを見せたこともあり、テレビの解説者まで左サイドバックの交代を主張するような逆境である。
「普通だったら、代表への想いがなかったら逃げてますよ」と本人は少し冗談めかして振り返ったが、メンタル的に難しい面があったのは間違いない。だが元より無名選手から叩き上げ、日本代表として十年以上にわたって戦ってきた選手である。折れる男ではなかった。
「たくさんの批判をいただいた。でも、みなさんの批判が僕の心に火をつけてくれた。あらためて批判は自分にとってのガソリンであり、必要なものなんだなと思った。追い込まれれば追い込まれるほど、逆境になればなるほど、力を発揮できるんです」
「原点に返らせていただいた」
届いていたのも手厳しい批判ばかりではない。「温かく応援して下さった皆さんがいて、温かいメッセージもいただいていた」。そしてこの日のスタンドも、闘志むき出しの長友を自然と応援する空気感だった。
「(自分への声援は)感じてましたよ。すごく温かい声援と愛をもらったので、今日は絶対に最高のパフォーマンスで恩返ししたいと思っていた」
そして心と体は連動するもの。「20代だったころのフィジカルでしたし、体も動けました」という言葉はさすがに言い過ぎとしても、ある種のフレッシュさを感じさせたのは事実。よく言えば慎重、悪く言えば消極的(あるいは迷い気味)だった攻撃参加のためらいも消えて、中途半端なプレーが減ったことで周囲とも連動するようになった。
「日本の左サイドが停滞していると言われていて、その責任はすべて自分にあると思っていた。躍動できないなら自分がいる意味はない。今日ダメならもう代表ではダメだと思っていた。生きるか死ぬかだった」
吉田麻也と冨安健洋が揃って欠場する緊急事態に際し、トレーニングからチームを盛り立て、経験の浅い二人のCBを精神的にサポートする役割もこなしてきた。ただ、ベテランらしくあろうとすることが、長友から持ち前の躍動感を奪っていた面もあったのかもしれない。その点、この試合は完全に吹っ切っていた。
交代後の立ち居振る舞いも印象深い。ラフプレーを受けた選手がいれば、即反応して抗議の声をあげ、「ピッチの外でも変わらず同じような指示とみんなをモチベートすることを自然とやっていた」と前に飛び出してコーチングも敢行するなど、ピッチ外でまで“躍動”していたのも“長友らしい”姿だった。
「このチームが好きだし、このチームのためなら何でもできるなと感じた」と語った長友は、「本当に可愛い後輩たちが、いい仕事をしてくれた」とCBコンビの奮闘も称え、「(南野)拓実がよくやってくれたから」と、ついに爆発した左サイドの相棒へも賛辞を贈った。
これで「W杯まで左サイドバックは長友で安泰」なんてことはもちろんないし、この日のパフォーマンスも別に百点満点というわけではあるまい。ただ、中山との競争の中で代表OBからも批判が飛び出る状況で、そのハートにもう一度火が灯ったのは疑う余地もなく、日本代表の看板にふさわしいプレーだった。
「いろんなことを経験する中で自分の中に慢心もあったのかな」と語った36歳のDFは、「原点に返らせてくれたというのはありますね。魂込めてプレーすること心がけていました」と満面の笑顔を浮かべた。この最終予選最大の大一番で、日本代表の左の翼が、もう一度羽ばたいた。