【富士宮市】明治に土地測量で使用した棹を奉納したのが社名の由来 3柱のご祭神を祀る『棹地稲荷神社』
富士宮市中央町。町中ですが一本裏通りの静かな通りに位置する『棹地稲荷神社』。
元は御殿地(大宮町)鎮守の神様として創建されたそうですが、1932年(昭和7年)の大宮町大火で焼失しました。
大宮町大火とは富士山本宮浅間大社の東側を流れる神田川から東の栄町付近で出火し、本町・神田町から大宮町駅(現在の富士宮駅)あたりまで、約1200戸を全焼させた未曾有の大火事です。
この災害で旧跡の多くが焼失してしまったそうです。
その後1934年(昭和9年)に現在地へ遷宮されました。
最初は五穀豊穣の神様である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っていた稲荷神社でしたが、仲宿(現在の中央町)にあった天王神社を合祀。
1935年(昭和10年)には、兵庫県の西宮神社より商売繁盛の神様、事代主神(恵比寿さん)を勧請しました。
現在は宇迦之御魂神、暴れん坊でありながらも正義感が強くヤマタノオロチを退治した英雄的な神の須佐之男命(すさのおのみこと)、事代主神の3柱がご祭神です。
由緒が書かれている石碑は、昭和15年に大宮町常磐区が建立されたものです。
しっかりと読めれば良かったのですが、旧字も多く使われていたためあまり知識のない私には、すべての解読はできませんでした。
いかにも稲荷神社という赤い拝殿は引戸の穴から中を覗き見ることができました。
拝殿の中には、真ん中に宇迦之御魂神、向かって左側に事代主神、右側に須佐之男命が祀られているようでした。
『棹地稲荷神社』と呼ばれるようになったのは、明治維新後に土地測量に用いた測量棹を奉納したのが由来なのだそうですが、拝殿の中に棹のようなものはありませんでした。
拝殿の左側には常磐連の山車蔵があります。
常磐連の山車の上には須佐之男命の人形が乗っています。荒々しい反面、英雄的な一面、愛情深いなんともドラマティックで人間らしさを持つ須佐之男命は、常磐連の山車人形にぴったりです。
山車蔵横には階段があり、ときわ区民館と繋がっていました。ときわ区民館は稲荷神社の社務所も兼ねているようです。
地区の方々の生活に沿うようにして存在する『棹地稲荷神社』。
狐を神使としている女神・宇迦之御魂神と、荒くれ物だけど正義感が強い須佐之男命、その笑顔を見ているだけで幸せになれそうな事代主神の同居生活を想像したら、毎日が楽しそうで笑ってしまいました。
棹地稲荷神社:富士宮市中央町7
アクセス:富士宮駅前県道53号を北へ向かい、マイロード本町入口を右折。フラワー通りに入り、1つ目の十字路を右折。約150mほど進んだ右側。
*この辺りは一方通行が多いため、車で移動する際は注意してください。