失敗した研究者が「骨と皮だけ」にされる北朝鮮"実験現場"の闇
2021年10月に発生した北朝鮮・咸鏡北道(ハムギョンブクト)の清津(チョンジン)化学繊維工場の爆発事故では、7人が重軽傷を負った。
工場内の朝鮮労働党委員会から「技術革新案を出せ」と迫られ、急いで実験を行った結果だった。政府は、化学試験場の所長と実験担当の研究者の2人を拘束し、咸鏡北道安全局(県警本部)に身柄を移したが、事件からちょうど2年経った今月、処分が下された。現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
所長と研究者は安全局に勾留され、2021年12月から予審(起訴前の証拠固めの段階)を受けていた。その間に所長は獄死した。いや、殺されたといった方が正しいだろう。
(参考記事:北朝鮮の女子高生が「骨と皮だけ」にされた禁断の行為)
戒護員(看守)からの度重なる暴行が死因だが、安全局はコロナによる病死として処理した。党委員会に都合の悪い証言が出ないようにする「口封じ」だ。実際、所長が亡くなったことで捜査は進まなくなってしまった。実験から事故に至るまでの経緯のすべてを把握していたのは、彼だけだったからだ。
研究者への予審は昨年5月に終了したが、その後も勾留されたままだった。予審は通常通りの期間で終えたことになっているが、所長の死によって事実上期間が1年以上延長された。そして、その後も勾留が続いた。そして今月初旬にようやく、教化所(刑務所)に収監された。
安全局は、研究者の家族に対して教化所への移送費用として25万北朝鮮ウォン(約4250円)を要求した。栄養失調で骨と皮だけにやせ細った研究者は、予審の過程で受けた精神的ショックが大きく、家族に「どうせ死ぬのでも、ここから出て死にたい」と訴えた。家族は急いでカネをかき集めて安全局に渡し、ようやく移送が実現した。
しかし、行った先も暴力と栄養失調が蔓延する地獄であることに変わりない。家族がワイロを使い、食べ物を差し入れたり強制労働を免除させたりするなど、充分なケアができなければ、彼の出所は期待薄だろう。
なお、所長に暴行を振るって死亡させた戒護員は別の部署に異動させられていたが、研究者の移送後に安全局に復帰したと伝えられている。
事故が起きた清津化学繊維工場だが、所長と研究者の受けた仕打ちを見た技術者と研究者らは誰ひとりとして、技術の国産化に必要な実験に乗り出そうとせず、プロジェクトそのものが頓挫してしまった。
「工場の技術者と研究者は、少しでも間違いを犯せば逮捕されるのに、誰が国の技術発展に乗り出すものかと言って、萎縮して何もせずにいる」(情報筋)
なお、実験を急がせて事故を招いた工場内の朝鮮労働党委員会の関係者に対して処分が下されたかについては、情報筋は言及していない。事故の背景にあるのは、このような「党の指導的役割」だ。
故金日成主席は1961年12月、南浦(ナムポ)の大安(テアン)電機工場を訪問したことをきっかけに、支配人が工場の経営を行う体制から、工場内の朝鮮労働党委員会が計画、技術、生産を総合的に指導する「大安の事業体系」を確立させた。
経営の専門知識や技術を持った人ではなく、「党の方針」しか知らない朝鮮労働党員に工場の一切を任せる体制だ。開発を行うに当たっても、技術者が「技術的に難しい」などと言おうものなら、「敗北主義」などと批判され、無理やり進めさせられる。
それにより逆に技術の進展が遅れ、事故が多発し、多くの国営企業が経営不振、操業停止に追い込まれるなど弊害ばかりだ。その隙をついて、市場経済化がなし崩し的に進んできた。企業経営から資本主義的要素を排除するはずのシステムが、逆に草の根資本主義を進めてしまう皮肉な結果を招いているのだ。