石垣島で1500日プラごみを拾い続ける男の奇跡 企業などのオファーが続々 海洋プラ解決の未来(1)
■雨の日も風の日も1500日間、石垣島の海洋プラを拾い続けた
2024年8月8日は田中秀典さん(通称ヒデさん)にとって記念すべき日だった。2020年から一日もかかさずに続けてきた石垣島での海洋プラスティックのゴミ拾いが1500日に到達したからだ。早朝5時半、朝焼けがゆっくりと水平線を染め始める頃、ヒデさんは、石垣島の南の海岸に到着した。
「今日も暑いですね。でも朝は涼しいのでなるべく早朝に拾っています。今日は1500日目だけど、気負わず、普段通りですね。」
ほどなく、ヒデさんの知り合いが海岸に集まってきた。友人もいれば、SNSを見て初めて参加した人もいた。その数、26人。
「今日は、2020年の7月に僕が海岸でゴミを拾い始めてから1500日の記念日です。まさか連続1500日も続くと思わなかったです。今日はこんなにたくさんの方が来てくださったので、みんなで1万個のゴミを拾ってみませんか!!」
■海岸を埋め尽くす海洋プラごみ 楽しみながら伝える
1万個という数字に「えー!」と驚きの声があがった。一人当たり約400から500個の換算になる。でもヒデさんの目算では、20分程度で拾えると説明があった。そんなに短時間で500個も拾えるのか?と、私も信じられなかったが、やがて参加者たちはヒデさんに導かれて、入江の一角に移動してゴミを拾い始めた。
海岸に降りてみると、見渡す限りの海洋ゴミ。椰子の実や流木などに混ざって多種多様な海洋プラゴミが、あたり一面に撒き散らされていた。漁網やブイなど漁業関連のプラ製品、ペットボトルや洗剤の容器、スプーンやストロー、キャップ。さらに、一体、なんなのか分からない色とりどりの小さなプラごみが海岸を埋め尽くしていた。写真で見る美しいビーチはそこにはない。
ヒデさんは「外国語が書かれたものが多いです。中国語やハングルに混じって、英語やベトナム語など。もちろん日本語の書かれたぺっtゴミもたくさんありますけど。」
■拾ったペットボトルのキャップをアップサイクル 企業からの依頼が殺到
実はいま、彼のもとには様々な企業や団体からオファーが殺到している。2020年に会社を立ち上げ、海洋プラのペットボトルのキャップだけを原材料とするアップサイクル事業を始めたからだ。アップサイクルとは、単純なリサイクルではなく、元の商品よりも付加価値が高くなるものに作り替えることだ。その詳細については、この記事の続編の「海洋プラが育む絆と未来(2)(2024年10月に配信開始予定)」で詳しく紹介するが、海洋ごみを1500日拾い続けたことがきかっで画期的なビジネスが生まれたのだ。
その一例が、日本トランスオーシャン航空(JTA)で今年5月から販売されている「JTAオリジナル アップサイクル スマホスタンド」だ。私も、石垣島に行く飛行機で、商品が紹介された機内誌とビデオを見た。原料はペットボトルのキャップ。ヒデさんたちが海岸で拾ったキャップと、日本トランスオーシャン航空(JTA)の機内で出たキャップが使われている。ひとつのスマホスタンドに、およそ30個のキャップが使われている。
商品誕生のきっかけをつくったのは(株)JAL JTAセールスの宮良直子さん。もともと地元の高校生が、海洋ゴミの問題解決に取り組む企画を通じてヒデさんと知り合い、彼の活動にも共感して、アップサイクル商品の企画を社内で提案した。
「残念なことに、ここ数年、石垣の海に漂着ゴミが増えたなあと、私も実感しています。私たちの職場は、石垣に来たお客様が、機内と空港の売店で、最初と最後に石垣とふれる場所でもあります。楽しい思い出をたくさん作ってもらいたいけど、同時に、石垣にいまある課題についても自然に知っていただけたらと思っています。」
飛行機の形のスマホスタンドは、「買ってすぐに捨てる商品ではなく、長く使える商品を作る」という宮良さんたちとヒデさんの共通の目標から始まった。完成までにはクオリティ、提供数、コストなど多くの課題があったが、会議や試作品を重ね販売にたどり着いた。飛行機好きのお客様や、SDGsへの感度が高い海外のお客様に特に好評だ。
日本トランスオーシャン航空(JTA)以外にも、ヒデさんのもとには、大小様々な企業や団体から、問い合わせが相次いでいる。石垣島の海洋プラを原料としたアップサイクル事業への関心の高さに、ヒデさん自身も驚いている。ゴミを拾い始めた日には、予想もしなかったことだからだ。
■石垣への移住 憧れのもずく事業に暗雲 失意の中で拾い始めた海洋ゴミ
愛知県出身のヒデさんは、10年前に都会の生活に疲れて、海外を放浪する旅に出た。帰国後、どこで暮らしたいかを考えたときに浮かんだのが石垣島だった。そこで、石垣島を行き来しながら、縁ができた水産会社のもずく事業のサポートを始めた。2019年4月、もずくビジネスで一旗あげようと一念発起して石垣への移住を決めた。しかし、事業に取り組んだ最初の年、ヒデさんを不幸が襲った。気候変動の影響か、もずくの大不作に見舞われ、さらに移住直後の2020年春からのコロナウイルスによるロックダウンも重なって、予定していた事業は八方塞がりに追い込まれてしまった。
進むことも戻ることもできない失意のどん底で、癒しを求めて石垣の海岸を歩いていると、観光客として来ていた頃には気がつかなかった大量のプラごみがあることに気がついた。ちょうど、もずくの大不作の背景から、それまでは他人事だった環境問題を「自分事」に感じていた時期で、環境に関わる仕事ができないかと思い始めていた。ただ、どこに就職すれば良いのか?どんな仕事が環境に良いのか?まったく分からず悶々とした日々を過ごしていた。
そんな折、たまたま2020年7月1日からプラスティック削減のために、レジ袋などが有料になるというニュースを耳にしたヒデさん。
「いま、自分にできることをやってみよう」と海岸でプラごみを拾い始めた環境に関わることを仕事にしたいという自分の気持ちが、どのくらい本気なのかを確かめるためにと、7月1日から100日間の継続チャレンジをスタートさせた。
最初は100日間で終わるつもりだったが、100日間を通じて、何か新しい使命のようなものを感じるようになったインスタなどに海洋プラを毎日拾っていることをアップし始めると、予想外に多くの人から反応をもらうことになった。
「もしかしたら、自分が石垣でしなければならないことはこれなのではないか?と思い始めて。それまでなにもうまくいかなかったのに、海洋プラを拾い始めたら色々なことが好転し始めたんです。」
最初はひとりで拾っているだけだったが、人の輪がだんだん広がって、現在は、修学旅行の学生に海洋ごみを拾う体験をしてもらう事業や、拾ったゴミでアップサイクル商品を作る事業にたどり着いた。
「石垣のこの素敵な海が多くのものを教えてくれました。僕はある時期からビーチクリーンじゃなくて、アースクリーン活動と言っています。海だけの問題じゃなくて陸のゴミがやがて川へ、海へとつながっていますから。正直、毎日、続けていると、汚染のひどさから暗い気持ちになる日もありますが、たくさんの人とこの問題を共有する、なるべく楽しい方法で一緒に取り組む人を増やす。それが僕の使命です。」
■拾い続けることで生まれた たくさんの絆
ヒデさんの1500日目のアースクリーン活動の参加者の年齢は様々だった。12歳の少年から60代の大人まで。石垣在住の方もいれば、観光客もいた。多くの人がSNSでヒデさんと繋がっている。ひときわ楽しそうな笑顔で周囲を盛り上げながら拾っていたピンク色の髪の若い女性がいた。環境問題などをコミカルなSNSで発信しているインフルエンサーのピンクマンさん。
「ヒデさんの笑顔にさそわれて参加しています。楽しんでやることが大事かなーって。自分の発信していることと重なる部分があって。海プラの問題もそうだけど、楽しい活動の中から課題が見えたり、人と人とのつながりが生まれることがいいなと思います。」
最年少の12歳の少年は、海岸で廃棄された自転車をみつけた。東京からダイビングの免許をとるために石垣に訪問していた。母でメイクアップアーティストのCeCeさんは、息子をビーチクリーンにさそった動機をこう話す。
「ヒデさんのSNSを見ていた石垣の友人にさそわれて来ました。息子と一緒に体験したいと思って。まさかこんなにプラスティックがあるとは想像していなかったので驚きました。ダイビングと、アースクリーン活動の二つを、親子一緒に体験できたことが本当によかったです。」
別れ際、ヒデさんは初めて参加した方々とも、SNSアカウントなどの交換をした。
「いろんな出会いがあります。それも僕の宝物です。失意の中で、一人ぼっちで始めたゴミ拾いでしたが、それが様々な絆を育んでくれました。1500日を通過点に、あしたもあさってもまた拾い続けます。」
この記事は、海洋プラが育む絆と未来(2)(2024年10月に配信開始予定)に続きます。