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「新・ガザからの報告」(15)(24年9月6日)ー石鹸がなく皮膚病が蔓延ー

土井敏邦ジャーナリスト
(避難する家族/撮影・ガザ住民)

【突然の避難命令】

 8月22日(木)、Mから突然メールが入った。

 「今、イスラエル軍から携帯電話に「すぐに避難しろ!」と連絡が入ったので、これから家族全員で避難します。避難先でインターネットがつながれば、連絡します」

 ガザ地区中部にある家は、去年12月31日にイスラエル軍の戦車に砲撃された。弟と義弟の2人が殺害され、家の一部が破壊された。一家はラファ市に避難し、ほぼ1カ月間、テント暮らしを余儀なくされた。この時も、その避難中はMからの連絡が途切れた。今回もいつまたMと連絡がとれるかわからない。

 でも、去年10月下旬以降、ほぼずっとMとインターネットでつながり、定期的にガザの状況を報告してもらえたことこそが、むしろ“奇蹟”というしかない。イスラエル軍の攻撃で壊滅状態にあるガザ地区でインターネットがつながる地域は極限られているからだ。

 Mからの報告は私にとって、“ガザ”と直接つながる唯一の“命綱”である。その有難さが、こうやって中断を余儀なくされる事態になった時に改めて思い知らされることになる。

 だからこそ、Mからの報告は、たとえ読者の数は多くなくても、ヤフー記事としてこうやって何がなんでも記録し公開しなければと考えている。これは歴史的な記録として重要な意味を持ってくるはずだからだ。

 一方、Mにとって、それは命がけの仕事である。とりわけ「ハマスに関する民衆の本音」を私に伝えることは、ハマス側から報復を受ける可能性があり、大きな危険を伴う。それでも敢えて伝えてくるMの「どうしても伝えなければ」という必死さが表情と語り口からひしひしと伝わってくるから、受け取った私は何が何でも日本に伝える“責務”である。

 前回の報告からほぼ3週間経った9月6日、やっとMとインターネットでつながった。以下のその時のMからの報告である。

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【深刻な水不足の避難生活】

(Q・まず、この3週間に何が起きたのか教えてください)

 私個人の話から始めます。

 8月23日の午後2時ごろでした。イスラエル軍が突然、私たち家族の携帯電話に通告してきました。まず私の母の携帯電話に、その数分後には父に、そして最後に妻にかかってきました。

 「すぐに全家族を連れてこの地区を出ろ!お前たちの地域で大きな戦闘が開始されるからとても危険だ。安全のために、すぐにこの地区を出ろ!」というのです。

 その直後に近所で砲撃音が聞こえました。大砲の砲撃音でした。その砲撃によって近所で3人が殺され、多くの負傷者が出たことは後で知りました。

 私たちはすぐに避難準備をしました。家から最も重要なものを運び出しました。お金、携帯電話、缶詰などの食料、それに着替えのためのわずかな服などです。準備する十分な時間もありませんでした。午後3時半ごろ、私たちは家を出ました。幼い子どもたちを肩に乗せて1時間ほど歩きました。車など交通手段もなかったんです。

 隣人たちの多くはデイルバラ町の西部に避難しましたが、私たちの家族はザワイダ村に避難しました。海の近くです。この村の親戚の家に避難しました。その親戚は私たちに1部屋を貸してくれました。妻と3人の子ども、それに両親です。そこで12日間を過ごすことになりました。

(ガザ地区の地図/作成・土井敏邦)
(ガザ地区の地図/作成・土井敏邦)

(Q・どういう避難生活でしたか?)

 とても辛い生活でした。部屋には小さな窓があるだけで、とりわけ日中はとても暑いのです。どんなに暑いか、あなたは想像もできないでしょうね。

 一番大変だったのが水不足です。この12日間、家族のほとんどは1度もシャワーを浴びられませんでした。私と父と子どもの1人は1回だけシャワーを浴びることができましたが。飲み水や手を洗ったり、皿を洗ったりする水も不足し、とても苦しい生活でした。

 食料不足も深刻でした。ザワイダ村は小さな村で、マーケットもありません。食料を買うには2つの選択肢があります。デイルバラ町のマーケットに行くか、ヌセイラート難民キャンプのマーケットに行くかです。その時は、デイルバラ町のマーケットはイスラエル軍の大砲の射程内でした。だから当時、デイルバラ町のマーケットに行くのは一種の冒険でした。時々、マーケット方向に向けて砲撃していたからです。

 一方、ヌセイラートに行くためには交通手段がなく、この暑さの中で7キロほど歩かなければなりません。しかし私はむしろヌセイラートまで歩く方を選びました。デイルバラ町のマーケットは砲撃を受ける可能性があったからです。だからこの12日間で3度、ヌセイラートのマーケットまで歩いて往復しました。

 パンや野菜など食料の値段はとても高いんです。イスラエル軍の戦車がデイルバラ町の近くまで侵攻してきて、ガザ地区の主要道路のサラヒディーン通りを遮断しました。それによってハンユニス地区と中部地区の間の交通が切断されましt。これによって支援物資のトラックは中部地区までたどり着くことができなくなり、食料が入ってこなくなったのです。だから食料が不足し、私たちは消費も抑えるしかありませんでした。2食がやっとでした。朝と午後です。

(Q・この避難中はどういう食べ物を食べていたんですか?)

 缶詰です。いつも缶詰の食べ物です。1度だけご飯とマカロニ、ポテト、玉ねぎを入れたものを1食べました。他は缶詰で、豆やジャム、チーズ、ビスケットなどです。

(Q・子どもたちはポリオのワクチンを受けられましたか?)

 昨日、子どもたち3人を診療所に連れていき、ポリオワクチンを受けました。注射ではなく、口からの点滴です。口の中に2滴を入れるんです。これは1回目で。28日後に2回目の点滴を受けます。

 そのワクチン接種のために毎日、停戦があります。毎日早朝から午後までワクチンが接種され、その時はイスラエル軍は空爆も地上からの攻撃もしません。しかしワクチン接種が終わる午後3時ごろからは攻撃を再開します。

【ガザ地区中部の攻撃の目的】

 ザワイダ村に12日間、留まった後、イスラエルのメディアが、この地区から避難した者は戻るように伝えました。イスラエル軍はデイルバラ町東部での作戦を終えたのです。

 イスラエル軍が私たちの家の近くで作戦を行いました。その地区の電話回線、水供給のネット、電線などインフラの大半を破壊しました。また私たちの地区の多くの家々は砲撃で破壊されました。しかし私たちは幸運でした。家のドアや窓ガラスは破壊されただけでしたから。近所の家の中には家全体が破壊された家もありましたから。

(Q・「砲撃」というのは戦車からの砲撃ですか?)

 戦車と大砲です。戦車の砲撃と大砲の砲撃は区別しなければなりません。大砲の砲撃は戦車より大きな打撃を与えます。大砲の砲撃は大きな砲弾を使い、より強力だからです。

(Q・大砲はデイルバラ町の中からですか?町の外からですか?)

 ガザ地区内からではなくイスラエル領内からの砲撃です。この戦争の初めから、大砲はイスラエル領内からです。

(Q・でもイスラエル領内からは遠いはずです。どうやって正確に標的を砲撃できるんですか?)

 ガザの地図を見ればわかるように、ガザ地区はとても幅が狭いんです。最も幅が狭いのは中部で8キロほどにすぎません。北部はもっと広く、12キロほどです。南部はさらに広く、16~18キロです。最もその幅が狭いのは中部です。国境から地中海まで7~8キロに過ぎません。大砲の射程は40~50キロです。だからイスラエル領内から簡単にガザ内を砲撃できるのです。

(Q・イスラエル軍の作戦の目的は何だったんですか?)

 イスラエル側の発表によれば、ハマスのトンネルを破壊すること、またハマスの軍事基地を破壊することです。いつもイスラエル軍が主張するのは「ハマスの部隊を壊滅する」ということです。

 ガザ地区中部のハマスの部隊は、唯一イスラエル軍がまだ攻撃していない旅団です。その中にはデイルバラ町の部隊、ヌセイラート難民キャンプの部隊、ブレイジ難民キャンプの部隊などあります。それぞれ600~700人の戦闘員がいます。  これまでイスラエル軍はこれらの部隊にまだ手をつけていませんでした。ただ空爆による攻撃だけで、まだ中部には地上侵攻はしていません。だからイスラエル軍は今、デイルバラ町の部隊を掃討しようとしているのです。

【衛生用品の不足で、皮膚の感染症が】

(Q・すでに戦争は1年近く続いている。一般住民の心理的な面を含め、彼らの状況はどうですか?)

 感染症は大きな問題です。3日前にある女性と話をしました。息子が背中皮膚にひどい感染症を患っていました。この少年のできものの写真を撮りました。彼女は私にその薬を買うためのお金がほしいと懇願しました。抗生物質やクリームが必要です。私のポケットに50シェケル(2000円)を持っていました。食料を買うための金でした。でもその金をその女性にあげました。妻には「食料は残り物でなんとかしてくれ」と頼みました。

 この少年はどれほど苦しんでいることか。とても痛み、眠ることができないでいます。日本でこんな子どもを助けることができないか聞いてみてくれませんか。薬かお金で支援してくれないかと。こんな子がたくさんいます。

(皮膚病に苦しむ少年/撮影・M)
(皮膚病に苦しむ少年/撮影・M)

 この周辺にはたくさんのテントがあり、その数は増えつつあります。

 地面には下水があふれています。ゴミも収集されていません。このゴミを集めて燃やしています。

 病気が蔓延しています。それに蛇やサソリ、害虫に住民は襲われています。そんなひどい状況が続いています。彼らは1日1食です。2食を食べられる恵まれた人を見つけることはなかなかできません。WFP(国連世界食糧計画)や「ワールド・セントラル・キッチン」(NPO)などが食料配給所を作り、調理された食べ物、豆やご飯、スープなどを配給しています。テントで暮らしている人たちに限定しています。

 しかしその量は限られています。テントの家族のために2食分しか配布されません。ほとんどのパレスチナ人の家族は少なくとも6~8人はいます。この8人に2食分です。とても足りません。だからテント暮らしの人びとは1日1食です。この配給の食料ではもちろん十分ではありません。ひどい状況です。

 これが心理的に大きな影響を及ぼしています。うつ状態、フラストレーション・・・。しかも何の解決策も見出すことができません。停戦の可能性もありません。それがさらに人々をうつ状態にし、さらにフラストレーションを増加させています。だから彼らの生活はとても困難です。将来にまったく希望がありません。ハマスもネタニヤフ首相も戦闘を止め、停戦を実現することに真剣ではありません。だから人びとはとても落ち込んで、深刻なうつ状態にあるのです。

(Q・今最も深刻な問題は何ですか?最も必要とされるものは何ですか?)

 最近、最も必要とされているのは衛生用品、石鹸、シャンプーなどです。それらを搬入することをイスラエルが許可していないからです。これらを店で見つけることができたとしても、それを買おうとすると、とてつもなく高価です。石鹸一つが20~40シェケル(800~1600円)です。かつては1シェケル(40円)で。最も高価なイスラエル製の石鹸も2シェケルでした。しかし今は20~40シェケルです。小さな石鹸がです。シャンプーはほとんど手に入りません。とても品不足で、非常に高いです。150シェケル(6000円)です。180シェケル(7200円)だったりもします。50ドルです。小さな器のシャンプーがですよ。

 この衛生用品の不足がどのような影響を及ぼすかわかりますか。テントで暮らす子どもたちは皮膚病の感染に苦しんでいます。たくさんの細菌が蔓延しています。肝炎も広がっています。血液の病気、胃腸の感染もです。だから衛生用品の不足がテントで暮らす人びとの健康に破壊的な状況を生み出しています。

 下水とゴミの中で暮らす人びとに身体を洗う石鹸もない状態を想像してみてください。とても深刻な状況です。

【自殺急増と精神的な苛立ち】

(Q・心理的な状況も教えてください。フラストレーションを抱えているとあなたは言ったが、具体的などういう現象が起きているのか?)

 2つの実例を挙げます。このフラストレーションがこれらの人びとにどういう影響を及ぼしているかを示すためです。

 まず自殺が増えています。もちろん公に聞こえてきません。毎日、自殺が続いています。これはフラストレーション、うつ状態の結果です。あなたは自殺のケースを取材しましたが、あの時は状況はまだよかった。

 今のこの状況ではどれほどの数の自殺があるか想像できますか?答えはあなたに委ねます。数は増えています。

 もう一つの例は、神経質、苛立ちです。どれほど人びとが神経質になっているか想像できないかもしれません。マーケットへ行けば、もし腕や背中に触れたら、叫び、罵ります。宗教、神を罵ります。父母を罵ります。忍耐を失っているのです。とても神経質に話をします。ちょっとしたことにもです。すべての人がそうです。テントを歩いていると、親たちが子どもたちを残忍なまでに殴っているのをよく目にします。ときどき、殴られる子どもたちが血を流していることもあります。これはとても危険な現象です。テントの子供らが両親によって殴られているのです。子どもに暴力を振るうのです。

 ザワイダ村でテントの近くを歩いていました。母親が8~9時過ぎ歳の子供の息子を非常に残忍な方法で殴っていました。その子の口から血が流れていました。まったく慈悲もなく殴っていました。

 これもいかに人びとが神経質になり、苛立っているかを示す例です。(続く)

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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