中国、人民網までが西城秀樹さんを悼む
歌手、西城秀樹さんが逝去したことに関し、中国共産党機関紙「人民日報」の電子版までが彼を悼む記事を掲載。多くの他の大陸のメディアもこぞって報道している。日本のアニメ・漫画で育った世代の横顔を見てみよう。
◆中国共産党機関紙「人民日報」の電子版「人民網」が
5月17日16:32、なんと中国共産党機関紙「人民日報」の電子版「人民網」が「日本チャンネル」ではあるものの「日本の著名な歌手、西城秀樹、心不全で逝去。これは一体どういう病気なのか?」という見出しで西城秀樹さんに関する記事を報道した。
映像はNHKのものを転載し、内容は読売新聞の “yomiDr.” に載ったQ&Aを転載している。転載ではあっても、あの中国共産党の機関紙が日本の歌手の死を記事にするのは珍しいことだ。
それくらい、改革開放後に生まれた「80后(バーリン・ホウ)」(1980年以降に生まれた者)あるいは「90后(ジュウリン・ホウ)」(1990年以降に生まれた者)には、日本の文化が深く浸透しているという証拠だ。何しろ「80后」や「90后」等はみな、日本のアニメや漫画で育ってきており、日本のドラマや歌手、タレントなどに夢中だった(詳細は拙著『中国動漫新人類――日本のアニメと漫画が中国を動かす』2008年)。
◆「ちびまる子ちゃん」の憧れの歌手として
中国大陸の民間のネットでは、漫画「ちびまる子ちゃん」のお姉さんが、さぞかし悲しがっているだろうというコメントに満ちている。「ちびまる子ちゃん」では、作者「さくらももこ」(中国語では櫻桃子)さんのお姉さんの「さくらさきこ」(中国語では櫻咲子)さんが憧れていたのが西城秀樹さんだったとのこと。その声優をしていた水谷優子さんが2016年に亡くなられたことなどが書かれていて、「天国で会えるね!」とか「でも、ちびまる子ちゃんのお姉ちゃん、悲しんでるだろうな……」といった、「小丸子姐姐」という言葉が数多く出てくる。
たとえば、ここなどを見て頂くと、日本語の放送を転載しているだけだが、タイトルには「小丸子姐姐的偶像」(ちびまる子姉ちゃんの憧れのアイドル)とある。
◆「ターンAガンダム」の歌
「ちびまる子ちゃん」以外では「ターンAガンダム」の歌「ターンAターン」を歌った歌手として懐かしむ中国の「80后」が多い。ガンダムシリーズは中国では絶大な人気があり、「80后」で知らない者はいないだろう。コスプレでも、よく出現する。「80后」は筆者から見れば若者だが、「80后」に言わせれば、「現在の若者」はSEEDガンダム世代で、「ターンAガンダムは僕らの世代です。ターンAターンを歌った西城秀樹を知らない者はいません」と、このたび新たに取材した「80后」は言っている。
◆サンフレッチェ広島のための応援歌
それ以外にも、サンフレッチェ広島のために応援歌を作った巨星として讃える記事もある。この記事の見出しにある「三箭」は「サンフレッチェ」の中国語表現である。
◆「百度百科」にも
中国にはウィキペディアに相当したような「百度百科」というのがあるが、そこにも「西城秀樹」の項目があり、彼が歌った歌のタイトルが100曲近く列挙してある。曲名は簡体字混じりながら、基本的には日本語で書いてあるので、日本人にもお分かりになるだろう。「1. 恋する季節(1972年3月25日)」から「86. めぐり逢い(2006年9月27日)」まで細かく書いてあり、興味の深さが窺われる。
中国で特に有名なのは「ローラ」や「YMCA」などが挙げられるが、西城秀樹さんの歌を中国人歌手が歌ったものが多く「あなたが聞いたことがあるあれらの歌は実は西城秀樹の歌だった」という見出しの記事もある。
◆中には「覚悟していた」というコメントも
中には西城秀樹さんの行動をよく観察していて、「2回も脳梗塞に罹ったのだし、その後無理してYMCAを演じる彼の姿を見ていると、ああ、もう厳しいのかなぁと覚悟していた」というコメントがあり、「改革開放って何なのかさえ分からなかった時に、彼はすでに彗星のごとく現れて輝いていた。その後、山口百恵に目を奪われたが、しかし西城秀樹がわれわれに与えたあの神秘性は、伝奇的色彩さえ帯びるほど、われわれとはかけ離れたところで輝いていた」と感慨深く述べている。
誰もが「ご冥福を祈ります」と書いていることに、感動を覚えた。と同時に、日本の文化が中国に与える影響の大きさには目を見張るものがあると、感慨深く思う。