性の多様性、強制不妊、一票の格差 国民審査を受ける最高裁裁判官はどう判断?
報道では国政を左右する衆院選に重きが置かれているものの、最高裁の裁判官に対する国民審査があることも忘れてはならない。形骸化し、欠陥が多い制度だが、司法の頂点に民意を反映させる貴重な機会であることは確かだ。制度の仕組みや誰がいかなる裁判でどう判断したのか、知っておく必要がある。
誰が審査の対象か?
国民審査制度のポイントを挙げると、次のとおりだ。
●辞めさせたい裁判官がいれば、投票用紙に印刷された裁判官名の上部の欄に「×」を書く。
●辞めさせたくない裁判官に「○」を書いたり、よく分からないということで「?」や「△」などを書くと、投票用紙全体が無効となる。
●空欄の裁判官は「信任した」とみなされる。
●有効票のうち「×」が50%超の裁判官だけが辞めさせられる。
●受付で選挙管理委員会の担当者に棄権すると告げ、国民審査用の投票用紙を受け取らないか、いったん受け取っても投票箱に入れずに担当者に返せば、国民審査だけを棄権することもできる。
このように、罷免のハードルが極めて高い投票形式なので、制度が始まった1949年以降、過去25回の審査で辞めさせられた裁判官は一人もいない。不信任率は最高でも約15%で、昨今はせいぜい約6~8%にとどまる。
今回の国民審査の対象となる裁判官は、今崎幸彦長官ら6人だ。投票用紙には次のとおり、右からくじで決められた告示順に裁判官名が縦書きされている。
(1) 尾島明(元大阪高裁長官・66歳)
(2) 宮川美津子(弁護士・64歳)
(3) 今崎幸彦(元東京高裁長官・66歳)
(4) 平木正洋(元大阪高裁長官・63歳)
(5) 石兼公博(元外交官・66歳)
(6) 中村愼(元東京高裁長官・63歳)
憲法裁判ではどう判断した?
「憲法の番人」として彼らが関与した憲法の規定を巡る著名な裁判や、そこでどのような判断が示されたのかを分類すると、次のようになる。ただし、名前が挙がっていない裁判官はその裁判に関与していないので、注意を要する。
【性の多様性】
●戸籍上は男性だが女性として生きるトランスジェンダーの経産省職員に対し、執務室に近い女性トイレの使用を制限した人事院の措置は違法か?
<違法>今崎幸彦(ただし、社会全体で議論してコンセンサスを形成すべき問題である上、不特定多数の人が利用する公共トイレに関して判断したわけではないとの補足意見)
●戸籍上の性別変更要件として生殖能力をなくす手術を求める性同一性障害特例法の規定は違憲か?
<違憲>尾島明、今崎幸彦(ただし、2人とも直ちに性別の変更を認めるべきという意見には賛成せず、「変更後の性別に似た外観を備える」という別の要件に関する再審理を求めて高裁に差し戻し)
●犯罪被害者等給付金支給法が規定する遺族給付金の対象である事実婚には同性のパートナーも含まれるか?
<含まれない>今崎幸彦(「含まれる」という多数意見に反対)
●性別適合手術を受けて戸籍上の性別を男性から女性に変更後、それまでに凍結保存していた自らの精子で生まれた子について、父親としての認知による親子関係は認められるか?
<認められる>尾島明
【個人の尊厳と平等原則】
●精神障害や知的障害などに基づく強制不妊手術を可能としていた旧優生保護法の規定は違憲か?
<違憲>尾島明、宮川美津子、今崎幸彦、石兼公博
【一票の格差と選挙制度】
●一票の格差が最大2.08倍だった2021年の衆院選は違憲か?
<合憲>尾島明、今崎幸彦
●一票の格差が最大3.03倍だった2022年の参院選は違憲か?
<合憲>今崎幸彦 <違憲状態>尾島明
【表現の自由】
●護憲派の市民グループによる市役所前広場の集会使用を不許可とした金沢市の処分は違憲か?
<合憲>今崎幸彦
●薬物事件を起こした俳優の出演を理由として映画「宮本から君へ」に対する助成金交付を取り消した日本芸術文化振興会の処分は違法か?
<違法>尾島明
【生存権と年金制度】
●年金の支給額を段階的に引き下げる国民年金法などの規定は違憲か?
<合憲>尾島明
【国会・地方議会制度】
●森友学園問題などを審議する必要があるとして臨時国会の召集を求めた野党議員は、3カ月余りにわたって召集に応じなかった安倍内閣により損害を受けたとしてその賠償を請求できるか、また、この不召集は違憲か?
<請求できない+憲法判断には踏み込まず>今崎幸彦
●選挙買収で当選無効となった元大阪市議会議員は有罪判決確定までに受け取っていた議員報酬を返還する必要があるか?
<必要なし>今崎幸彦(「必要あり」という多数意見に反対)
刑事事件や民事事件の判断は?
また、最高裁は人権擁護の最後の砦でもあるから、次のとおり著名な刑事事件や民事事件でも様々な判断が示されている。ただし、ここでも名前が挙がっていない裁判官はその裁判に関与していないので、注意を要する。
●孤立出産に追い込まれた技能実習生のベトナム人女性が死産した赤ちゃんの遺体をタオルに包んで段ボール箱に入れ、自宅の棚に置いた行為は死体遺棄罪の「遺棄」にあたり有罪か?
<「遺棄」にあたらず無罪>尾島明
●1961年に名張市で毒ぶどう酒を飲ませて5人を殺害、12人に重軽傷を負わせたとして死刑判決が確定し、執行前に医療刑務所で病死した男性の事件について、再審開始を認めるべきか?
<認めるべきではない>今崎幸彦
●福岡県内の自宅で妻と9歳の長男、6歳の長女を窒息死させて殺害したとされるものの、関与を全面的に否認する元警察官の夫に対する死刑の量刑は妥当か?
<妥当>今崎幸彦
●無期懲役にとどまった首謀者である共犯者と共謀の上、元暴力団組員や元会社社長ら3人を次々と姫路で監禁、殺害するなどしたものの、うち2人の遺体が発見されていない実行役の男に対する死刑の量刑は妥当か?
<妥当>尾島明
●旧統一教会に対する高額献金を巡り、返金や賠償の請求権を放棄するという元信者の念書は有効か?
<無効>宮川美津子
有意義な制度にするために
もっとも、最高裁の裁判官は任命後に初めて行われる衆議院議員総選挙の際に国民審査を受ける決まりだから、就任直後に衆院選が行われれば、最高裁でこれといった実績がないまま国民審査を受けることになる。今回も、6人の裁判官のうち平木正洋裁判官の就任は今年8月、中村愼裁判官に至っては9月だから、彼らが最高裁で関与した著名な裁判はなく、判断材料が乏しい。
10年経過後の再審査制度もあるが、60歳超で就任しているので、現実には70歳の定年まで再審査はない。いったん国民審査で信任されれば、以後の実績や判断内容を問わず、そのまま定年まで勤め上げることになる。その意味でも、6人の裁判官にとって最初で最後の機会となる今回の国民審査は極めて重要だ。
とはいえ、投票日の2日前までには選挙管理委員会が「審査公報」と呼ばれる新聞紙大の文書を全戸に配布し、裁判官の経歴などを紹介しているものの、いずれも「中立公正」といったごく当たり前のことを心構えにしていて代わり映えがしない。政見放送のような制度もない。
国民審査を有意義な制度にするためには、普段から最高裁の動向に関心をもつとともに、各裁判官の経歴や最高裁入りする前の仕事ぶりなどをネット検索するなどし、国民自らが積極的に情報収集を行う必要がある。中には司法に危機感を抱かせるため、常に全員に「×」を付けるという有権者もいるほどだ。(了)