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「正気を偽装」トランプ氏報道の"バランス"巡りメディア批判が広がる

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
スクリーンに映し出されたトランプ氏、ハリス氏のテレビ討論会=9月10日(写真:ロイター/アフロ)

ドナルド・トランプ前米大統領の選挙報道を巡り、メディアが「正気を偽装している」との批判が広がっている。

トランプ氏は今回の大統領選では、「移民がペットを食べる」「学校で性別適合手術を行っている」「出産後の赤ん坊が殺される」などの根拠のない主張を行い、時に支離滅裂な発言を繰り返している。

そんなトランプ氏の意味不明な発言を、メディアが整形し、ニュースのパターンにはめ込むことで、その逸脱ぶりを有権者の目から覆い隠す「正気の偽装(sanewashing)」を行っている、との指摘がメディア関係者から相次ぐ。

ノーベル経済学賞受賞者でニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ポール・クルーグマン氏やMSNBCのキャスター、レイチェル・マドー氏ら著名人も、相次いでこの「正気の偽装」を取り上げている。

トランプ氏による虚偽の情報の拡散について、メディアが後押しをしてきた面があることは、以前から指摘されていた。

前大統領であり、共和党大統領候補であるトランプ氏の特異な発言をどう報じるのか。メディアの姿勢が改めて問われている。

●「トランプ氏の言動を擁護している」

トランプ氏の発言に対する「正気の偽装」報道は、低レベルのジャーナリズムというだけでは済まない。それ自体が、民主主義を脅かす一種の誤情報だ。トランプ氏の支離滅裂でしばしば危険なレトリックを、従来通りの政治的言説として整形し続けることで、主要な報道機関は国民に情報を提供する義務を怠り、その代わりに、前大統領で、新たな大統領の可能性があるトランプ氏の、ますます不安定な言動を援護しているのだ。

ライターのパーカー・モロイ氏は9月4日付の政治メディア「ニュー・リパブリック」の記事で、そう指摘している。

モロイ氏が、記事の中で取り上げた事例の1つは、トランプ氏が性別適合手術について「あなたの子どもが学校に行き、数日後に手術を受けて帰ってくる」と虚偽の発言をしたことについての、ニューヨーク・タイムズの報道だ。

トランプ氏は8月30日、保守派グループ「ママズ・フォー・リバティー」が首都ワシントンで開いた集会で、この発言をしていたが、集会を取り上げたニューヨーク・タイムズは、発言については触れていなかった。

モロイ氏はこのほかにも、トランプ氏が8月末、民主党大統領候補のカマラ・ハリス氏とヒラリー・クリントン元国務長官の写真と「ブロージョブ」という露骨な言葉で性的中傷をした投稿を拡散したことについて、ニューヨーク・タイムズが「通常の政治言説の範囲内で活動しているように見える」表現に収めた、と指摘している。

メディアはなぜ、トランプ氏の主張を「通常の政治言説の範囲内」に収めるのか。

モロイ氏は、老舗メディア「アトランティック」編集長、ジェフリー・ゴードバーグ氏による6月27日付記事の指摘を引用する。

トランプ氏の言っていることはまともじゃないように聞こえるが、そんなはずはない。なぜなら、彼は主要政党の次期大統領候補であり、主要政党がそんな人物を指名するわけがないからだ。したがって、彼のレトリックを滑らかにし、意味の核心を見極め、奇妙な発言を問題視せず、理屈をつけるのが私たちの責任なのだ。

ゴールドバーグ氏は、主要メディアのトランプ氏報道が、ニュースの型に収められる仕組みを、皮肉を込めてそう説明していた。

モロイ氏の指摘が火付け役となって、メディア関係者の間で「正気の偽装」が注目を集める。

●ノーベル賞コラムニストも指摘

米国人はトランプ氏の正体を知っているだろうか? いや、ほとんどの人が目にしてきたのは、クレイジーな部分を完全に編集した要約や短いクリップなど、「正気の偽装」がされたものだ。

ノーベル賞経済学者でニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ポール・クルーグマン氏は9月12日にXにそう投稿している。クルーグマン氏は、それ以前からXで「正気の偽装」に言及するようになった

MSNBCのキャスター、レイチェル・マドー氏は、9月8日付のニュースレター「ステイタス」のインタビューで、モロイ氏の記事に触れながら、こう述べている

トランプ氏のイベント、トランプ氏のスピーチ、ソーシャルメディアの投稿のすべてを取り上げ、それが普通の政治であるかのように見せるレンズを通して見る。トランプ氏の発言の中で、普通の政治家による普通の政治的発言と解釈できるものを1つ見つけて、それを見出しにするのだ。

作家のレベッカ・ソルニット氏は9月6日付のガーディアンのコラムで、「正気の偽装」という表現こそ使っていないものの、モロイ氏と同じ文脈でこう述べている

彼ら(主要メディア)は、真実と虚偽、正常と非常識を同等に正当なものとして扱い、共和党員、特にドナルド・トランプ氏を正常化することで、公平でバランスが取れているという体裁を追求している。

「正気の偽装」の拡散は、相次いで様々なメディアにも取り上げられる。

メディア専門サイト「コロンビア・ジャーナリズム・レビュー」のジョン・オールソップ氏は9月9日付の記事で、「主要メディアは、特に見出しやリード文のような短い形式で、トランプ氏の言葉を、実際に言ったことと似ても似つかないほどに整えてしまう」と指摘

公共放送「NPR」のオンブズマンも務めるメディア専門サイト「ポインター」のケリー・マクブライト氏は9月12日付の記事で、「記者にとって最悪の習慣は、ジャーナリズムの目的にまったそぐわない発言の引用を、つなぎの材料として盛り込むことだ。よくて、読者の時間の無駄だし、最悪の場合、発言に正当性を与え、説明責任を妨げることになる」と述べている

●「ペットを食べる」「乳児が殺される」

トランプ氏の放言や虚偽の情報の拡散は、今に始まったことではない。

ファクトチェックメディア「ポリティファクト」によるトランプ氏の発言・発信1,051件の検証結果によると、全体の76%、805件で誤りが確認されている。

また、トランプ氏が落選した2020年大統領選を巡る根拠のない「選挙不正」の主張は、トランプ氏側が起こした60件超の訴訟のうち、1件を除き、すべて退けられている

また、この「選挙不正」の主張がきっかけとなり、数千人が関与した2021年1月の米連邦議会議事堂乱入事件では、1,200人超が摘発され、トランプ氏自身も刑事責任を問われている

それでも、トランプ氏は9月7日のXへの投稿で、「2024年の選挙は、専門家による最も厳しい監視下に置かれ、私が勝った場合、不正行為をした人々は、この司法の堕落が二度と起こらないように、長期の禁固刑を含む法律の最大限の範囲で起訴される」といった主張を行っている。

これらの経緯に加え、最近のトランプ氏が拡散する偽情報は、以前にも増して現実離れした内容が目につく。

9月10日のハリス氏とのテレビ討論で、トランプ氏が言及し、司会の1人、ABCニュースのデイビッド・ミュアー氏が「そのような事実は確認されていない」とファクトチェックした、「移民がペットを食べる」という根拠のない主張も、その1つだ。

これは、ハイチ移民が多いオハイオ州スプリングフィールドで、移民がペットの飼い猫を食べる、という非公開グループのフェイスブック投稿が発信源とされる偽情報だ。

メディア評価サイト「ニュースガード」の9月12日付の検証記事によると、この投稿をした住民、その情報源となった友人に問い合わせたところ、この話にまつわる直接の情報は「知らない」と答えたという

トランプ氏は討論会以前から、「(移民の)追放は血なまぐさい話になる」とも公言している

また、今回のテレビ討論会でトランプ氏は、中絶を巡る主張の中で、「誕生後の乳児の殺害」を認める州がある、との根拠のない発言もしている。

これについても「誕生後の乳児の殺害を認める州はない」と、やはりABCニュースの司会、リンゼイ・デイビス氏が即答でファクトチェックをしている。

●「誤ったバランス」と「真実のサンドイッチ」

「正気の偽装」の指摘は、トランプ氏報道におけるメディアの「誤ったバランス」の問題に行き着く。

メディアは、どれほど極端な主張であっても、中立的・客観的にバランスを取ろうとしてしまう。

バーバード大学教授、ヨーハイ・ベンクラー氏らの研究チームが2020年10月、米大統領選にまつわる「選挙不正」の主張の拡散についての調査結果を発表している。

調査によると、トランプ氏らの発言を主要メディアが報じることで、拡散に大きな役割を果たしていたことが明らかになったという。

※参照:デマ拡散の犯人はSNSではなくマスメディア、その理由とは?(10/09/2020 新聞紙学的

研究チームは、トランプ氏が「大物信仰(大統領の発言ならニュースだ)」「見出しありき(血が流れたら大ニュース)」「バランス・中立性・偏向回避」という、メディアの3つの習慣を利用することで、自らの主張が拡散するようニュースを操ることができた、と指摘した。

(トランプ氏は)政治的な関心が薄く、政治の知識もさほどない人々を混乱させるのに、最後のメディアの習慣「バランス・中立性・偏向回避」を頼りにしている。この習慣によって、マスメディアに所属するプロのジャーナリストは、「不正投票」の主張を“デマ”と呼ぶのをためらう、あるいははっきりとはそう呼べなくなることがわかっているからだ。

メディアの習慣である「誤ったバランス」への対策として、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授で認知言語学の第一人者、ジョージ・レイコフ氏が提唱するのが「真実のサンドイッチ」だ。

※参照:「真実のサンドイッチ」と「スルー力」、フェイクを増幅しないための31のルール(12/13/2019 新聞紙学的

レイコフ氏は、単にトランプ氏の発言を繰り返し伝えるのではなく、(1)まず事実の全体像を提示する(2)その上でトランプ氏の発言を紹介(3)さらにトランプ氏の発言内容をファクトチェックする、という構成にすることを提案した。

事実+発言+ファクトチェック、の三段重ねの「サンドイッチ」に挟み込むことで、根拠のない主張がメディアを通して拡散することを防ぐ狙いだ。

トランプ氏、ハリス氏のテレビ討論では、2人の司会者によるスタジオ内でのリアルタイムのファクトチェックも行われた。

ジャーナリズムの目的は、市民が自分たちの生活、コミュニティ、社会、政府について、最善の決定を下すために必要な情報を提供することだ。

メリーランド大学教授で『ジャーナリストの条件』共著者、トム・ローゼンスティール氏は、そう述べている

「最善の決定を下すために必要な情報を提供する」役割を、メディアが果たせているかどうかが、問われている。

(※2024年9月17日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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